- nikko81_fsi
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今さらですが、通勤電車で資料読み返しながら振り返る朝。まず真理姫、木曾義昌の甲府出仕の返礼として、信玄公が木曽に出向こうとし、果たせなかった(義信勝頼も果たせず)という文書自体は知っていたけど、当時の婿入舅入という儀礼として位置付けられたのが興味深かった。 twitter.com/nikko81_fsi/st…
2020-01-29 12:41:26信虎の諏方・駿府訪問や菊亭晴季に娘を嫁がせた際のエピソードと合わせると味わい深い。ないだろうけど勝頼公の小田原入や氏政の甲府入り(氏康いないから)とかあったどうだろとか想像できたりする。楽しい。
2020-01-29 12:42:32松姫。確実にわかる松姫と織田信忠の縁談の根拠が家康の甲尾縁談を妨害してやるとの書状からという皮肉。しかも織田方の取次が明智光秀?先般発表された丁重な『謹上弾正忠殿』の信長宛信玄書状もこの縁談が進む時期と理解して味わうとまた楽しみ方が変わってきそうだ。 twitter.com/nikko81_fsi/st…
2020-01-29 12:44:01あと、破談後の天正六年仁科盛信に招かれ森城にいたという伝承もあり、先日森城を訪れた際に、盛信・松姫の兄妹が過ごしていたかと思うと、丸馬出だけでない感慨深さが出てきてた。
2020-01-29 12:44:24菊姫。実は上杉景勝の前に縁談があった(甲陽軍鑑による)のは知らなかった。武田家滅亡後、秀吉に臣従した景勝の人質として上洛、公家との交流など人脈形成・外交に力を尽くされたとか。滅亡した実家武田家の話題にもなっただろうか… twitter.com/nikko81_fsi/st…
2020-01-29 12:45:38個人的にグッときたのは、勝頼公以下の首級を何とか埋葬することに奔走した妙心寺南化玄興に帰依され、慶長初期に信玄公二十五回忌、勝頼公十七回忌を執り行われたこと…ある意味、偶々在京できたということもあるのだろうが、来月妙心寺玉鳳院に行く際にまたこのエピソードを思いだし噛み締めたい。
2020-01-29 12:46:19慶長九年、危篤に陥った菊姫。景勝は病平癒の祈祷を行う一方、直江兼続は菊姫を頼って逃れた武田信清へ連絡、伏見に急行するも… 林泉寺の菊姫墓は既知だが、葬られたのは妙心寺とか。普段は公開されない隣華院にあるらしい。公開される機会があればお参りしたいもの。eonet.ne.jp/~rinkatm/reien/
2020-01-29 12:48:23