茂木健一郎さんの「恐山」

脳科学者・茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの6月10日の連続ツイート。
5
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(1)「恐山」というと、イタコの口寄せで、死者と対話することが有名。なんとはなしに、おどろおどろしいイメージだった。それが、実際に訪問して印象が変わった。人々の思いが集まった、祈りの場所だった。

2011-06-10 07:39:32
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(2)本殿のすぐ前に濁った素晴らしい温泉があり、参拝者は誰でも入ることができる。「賽の河原」へと歩いていくと、子どもたちをおいかける鬼の足を引っかけるようにと、草がたくさん結んである。祈りと温かさが渾然一体となった、素晴らしい霊場である。

2011-06-10 07:40:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(3)最初に訪れたとき、夜、一人で賽の河原まで歩いてみた。不思議に、怖いという気持ちはなかった。考えてみれば、ここにいる「霊」はみな参拝者の肉親である。自分たちに好意を持っていこそあれ、悪意などない。変な話だが、祖先の霊に包まれた温泉のような気持ちになった。

2011-06-10 07:42:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(4)恐山の院代は、私の尊敬する友人、南直哉さん。南さんとの共著に「人は死ぬから生きられる」(新潮新書)がある。南さんが書いているように、今回の被災地には信者の方がたくさんいる。特別な思いがあるだろう。 http://t.co/9N5gpby

2011-06-10 07:44:02
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(5)私の母親に、震災後しばらくして旅行をすすめたら、「そんな気になれない」と言って落ち込んでいる。6月になって、ようやく少し元気になってきたようなので、「東北行ったら」と言ったら、「浅虫に行く」という。そして、父親が「恐山に行ってみたい」と言い出した。

2011-06-10 07:45:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(6)今頃恐山に着いた頃だな、と考えていて、そうか、と思った。まだ父母は元気だが、そのうちあの世に行ってしまったら、一度恐山に行っておけば、そこにふらふらと行くかもしれない。「死んだら恐山で」。恐山に行けば父母に会えるような気がしてきた。

2011-06-10 07:46:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(7)もちろん、お断りしておくが、私は近代合理主義者だから、霊や死後といっても、それはあくまでも脳内現象としての仮想である(『脳と仮想』をご参照ください)。しかし、仮想をめぐる切実さがあり、長く育まれた文化がある。その文化との関わりがある。

2011-06-10 07:48:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(8)だから、読者のみなさん、お父さん、お母さんが健在なうちに、一度恐山に旅させるといいです。お亡くなりになった後で、恐山に行くと、なんとはなしにそのあたりに父母がいるような、そのような脳内現象としての仮想が生まれるのではないかと思います。

2011-06-10 07:49:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

恐山(9)恐山には、すばらしい施設をもった宿坊があり、法話を聞いていただく精進料理もおいしいです。もちろん、温泉も良質。院代をしている友人の南直哉に成り代わって宣伝するわけではありませんが、もし東北地方におでかけの際は、恐山に行ってみてください。

2011-06-10 07:50:34
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、恐山についての連続ツイートでした。

2011-06-10 07:50:49