- naobotaka_magi
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私は非車乗りである。生まれてこのかた一度も運転経験はない。車の免許もない。両親が車好きだったため、その癖を嫌っていたためでもある。だから10代の頃は車嫌いの居場所の要求を切実に感じていた。当時も「車嫌い」はいたが、その人数はわずかで、社会の笑われ者となっていた。
2020-03-02 22:34:52それが時が経ち、立場は逆転した。今では日本人の半数は車嫌いで、逆にわずかな「車好き」が残るのみとなった。ここまではいい。だがその後、私は「転向」することになる。
2020-03-02 22:34:53例によって環境左翼への異論である。 「車社会の排除は安全上の問題のないところでは徹底すべき」と何の疑問もなく自分の正義を述べている。だがはっきり言おう。これは侵略主義すなわちファシズムであると。
2020-03-02 22:34:54私は「共存するための配慮」を要求してきたのである。そうできれば、あとは車好きの自由にしてもらえば結構と考えている。ところが世の中というのは流れが自分の方に寄ってきたと見るや図に乗って居丈高になる人が多いようで、今度は完全に車好きを閉め出せと言い始めたのだ。
2020-03-02 22:34:55ここで私は車嫌い侵略主義者とは決別することにした。 都市部や学校などでは車の利用は一部を除いて禁止のが普通になった。もちろん愛車家と嫌車家がいれば、譲るべきなのは前者であることは間違いない。
2020-03-02 22:34:55ここで言う愛車家の権利とは、いついかなる時も車を利用していい場所という意味ではなく、車によって社会に影響が出てくるとき、その時は愛車家に自動車を遠慮してもらうくらいの配慮はあってもいい。
2020-03-02 22:34:55だが愛車家も譲歩するのはこれくらいまででいい。ネットの書き込みを見ていると「近所の車好きの趣味が不愉快だ」というもはや「お前が心の病気じゃないのか?」と思うほどの極端な意見も見られるようになった。ならばタバコや危険ドラッグはどうなのだ?
2020-03-02 22:34:56こうした書き込みは残念ながら鉄道オタクや高学歴者に多いが、リア充も車は嫌いなようである。 最近の愛車家を見ていると昔とは違い、随分遠慮がちに車を愛するようになった。見てて気の毒なほどである。
2020-03-02 22:34:57今時そんな人の迷惑顧みず、車を面前で走らせる人などまずお目にかかれない。脳内愛車家の存在はこの際消してもらいたい。 旗色の悪くなった愛車家にここぞとばかりに「車が嫌い」と文句を付けるのは、かつての嫌車家である私から見ても不愉快な光景になったのである。
2020-03-02 22:34:57資源の浪費の根源のだから、車が社会に悪いことは言うまでもない。だが人間には「愚行権」というものも存在する。 「他人に迷惑を及ばさない範囲であれば、内容的に愚劣な行為であってもそれは保障される」 というものだ。
2020-03-02 22:34:57「いや、車社会の害によって増税や保険料値上げという迷惑を蒙っている」 と主張する人もいる。ならばタバコはどうなのだ?お酒だって病気の元である。ゲームは? こうした考え方は「健康は義務だ」と言って国民を縛ったナチスと同じ思想である。
2020-03-02 22:34:58道ばたの片隅で小さくなって車を愛する人にまで、地獄まで敷き詰められた「善意」によって愛車行為を攻撃する、そんな度量の狭い人間になりたくはない。
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