- uchida_kawasaki
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被爆者が差別に苦しんだ問題といえば、そんなもんは無かったよなんて思ってる人は流石にいないだろうと思いますが。 仮に具体的によく知らない人でも、聞きかじりでも、そうらしいねと。 そういうことでしょう。 とにかくひたすら無視してれば当事者は差別から身を守れますかね。 絶対無理でしょうね。
2020-03-27 22:29:09どんな分野のマイノリティも日ごろは我慢してるぶん、本当に本気で噛みつくときはガブッといきますよ。 窮鼠猫を嚙むで。 被差別側に置かれている立場の人が耐え続けているそれは、体験をしてない人には分からない。
2020-03-27 22:35:34嚙みたくはないから、あらかじめ言ってるんですよ。無視せずに直接。 あのすみませんが、それやめて下さいねと。 素直にやめてもらえれば平和に終わる話。
2020-03-27 22:44:13被爆体験者訴訟の原告全面敗訴が報道された時、島薗さんが白石さん投稿のツイートに反応してたのを、たまたま偶然みかけたのだけれど、気づくの超おせーって思いましたよ。 もう遅いよ。
2020-03-27 23:29:21飯館村のエコロジー研究会主催のシンポジウムとか、振津かつみ医師が被爆者制度を説明する動画を観てみて何だこりゃ?と思いました。 その間違った知識をわざわざその場の人達全員が一生懸命共有してる。 真剣にやってるんでしょうけれど、ほんと稚拙というかファクトチェック全然できてないというか。
2020-03-28 00:24:31そういうのも以前は私なりに心配して、ひとつひとつ指摘してたんですが、最近それもどうでもいいですね。 なんで事実を言う私が敵意を向けられるのか。 おなじことを何年も何年も。ばかげた妄想みたいなことを。 すっかり呆れちゃったですよ。
2020-03-28 00:29:39原爆症認定の最高裁判決を記事にしたジャーナリストの方が、やりとりの中で私に仰ったんですよ。 自分のヤフー記事につく沢山のコメントがね。腹に据えかねる位、それはもうひどいと。 まだ原爆にこじつけて給付狙いだとか、そういう中傷ばかり。 まあ被爆者は慣れてるけれど普段からボコボコですよ。
2020-03-28 01:34:16そりゃ無視です当然。そんなのいちいち暇かけて相手にしてられない。 だけど長いこと病気の被爆者なんかを家族に抱えてて、それ言われてみなさいな。 無視はしても思わず自分の口を一人かみしめますよ。 そんなのなら毎日だってあります。 いい加減な情報に私がいきり立つの何故か分かって頂けるかな。
2020-03-28 01:40:30ちゃっと今シャワー浴びながら考えてきたんですが、このアカウント閉じようと思います。 世の中が大変な時に、どうでもいい些細な私事の話しかもグダグダで申し訳ないですけど。 4月いっぱいまでにしようかとも思いましたが長いので半分の4月15日までで終わりにしようかと。 名残惜しいですが。
2020-03-28 03:44:46ほんとに皆さんにはお世話になって、おひとりづつ、お礼にうかがわなくてはいけないところですが、それも今ちょっと力つきちゃってて。苦笑 ありがとうございました。 残りも、まだグダグダと何か言うかもしれませんが適当に流して下さい。 もし何かお話のある方は何でもおっしゃて下さいね。
2020-03-28 03:50:28以前はそう言いつつ戻ってきた前科があるので2度目の信憑性が微妙ですが、 まあ今度は本当に戻らないだろうなと思います。たぶん。。笑
2020-03-28 03:54:01この数日間くら~いトーンの話ばかりしちゃったので、今度は違う話でも。 思いつくまま、お話してみようかなと。 旧広島陸軍被服支廠倉庫の保存の問題いろんな動きありますけど、これも私個人は気になってる事なんですよ。 実は被爆した私の祖父は当時、被服支廠に勤めてたんです。ビンゴです。笑
2020-03-28 15:52:53ただ、原爆が落とされた時は祖父は出汐倉庫ではなく己斐にある支所の方にいたんですけどね。 でもその後の救護活動は、まさにあそこでも行っているんですよ。 本人は生前とにかく語りたがらなかったですが、やっぱり凄惨極まる様相だったようです。 毎年そこで亡くなった方に対してお供えしてました。
2020-03-28 16:04:28だから祖父が亡くなった後でも、あの建物だけがずっと残り続けている様を、いつも凄く不思議な感覚で私は見ていました。 子供だった父も含めて祖父一家はあの建物の真近、すぐ裏手の場所に住んでた時期もあるんです。 勤務先がすぐということで。 だから私の本籍も、この出汐です。免許の記載とか。
2020-03-28 16:12:33祖父としては、ほとんど財産を失ったまま広島に家族で帰ってきて、ようやくの思いで得た職だったんです。 祖父は、もとから広島の人間ですが一度ブラジルに夫婦で渡り子供をもうけ、戦争を機に最後の引き揚げ船に乗り込んでブラジルから家族で帰ってきたんです。 なので私の父はサンパウロ生まれです。
2020-03-28 16:22:30んー。なんか。。。さっき、ちょっと祖父の話なんかしだしたら普段すっかり忘れてるような祖父の思い出がバーっと次々に映像で出てきちゃって。 こんなことあるんだなあ。 それで言葉が詰まってしまった。
2020-03-28 20:25:18話の脈絡なくて申し訳ないけれど。 急に映像で出てきたのが祖父と原爆資料館に行ったときのこと。 自分は小学校1年か2年か、そのくらいだったかなあ。 よく覚えてないけれど自分が連れて行って欲しいと懇願した気がする。 祖父の戸惑った表情を覚えてるけど孫に優しかったから了承してくれたんだな。
2020-03-28 20:37:32そしたら出かける前の支度で祖父は大事な一番良い背広を着だしたんだよね。 そして、あれ休日だったんだろうな。祖父は父を呼んで3人で一緒に行こうと言い出して。 で、結局3人で行ったの。 自分は連れてってもらえるので嬉しくて当時何も気にしてないけど。今その映像を思い出すと祖父の行動がね。
2020-03-28 20:45:46それで現地に着くと祖父が資料館前の広場で「わしゃ、ここで待っとるけぇ、お前たちで行ってこい」と。 自分は、行かないの?一緒に入ろうよって言ったけど、わしゃ、ええ、って繰り返してね。 それで祖父に見送られて父と2人で入館。それで自分は展示にもう夢中で2時間くらいは中にいた気がする。
2020-03-28 20:55:16子供だからね。祖父のこと忘れてて。父はあの時どうしてたんだっけ。覚えてないな。 でね、展示を全部見終わって「あっ!」と思ってね。笑 祖父を待たせてたんだったと思い出して資料館の2階の窓から広場を見て祖父を探したの。 そしたら後姿が見えて。全く同じ場所。座って鳩に独りで餌やってる。笑
2020-03-28 21:02:51その映像がね、さっき何故か、ありありと浮かんできて。 背中姿が寂しそうで。その2時間の間、祖父は外で何を思っていたのかなあって。 今、もしその時に自分がタイムマシンでもう一度行けるなら資料館なんか入らずに祖父の肩を抱いて背中擦ってやれるのになと思ったら、ちょっと辛くなっちゃったわ。
2020-03-28 21:08:47