ただ絶望しないために【個人的備忘録】安倍さんの動画投稿に関するコメカ@comecaML氏の呟きまとめ
- lolololov_
- 1601
- 0
- 0
- 0
本当にこのかん、さまざまなことが「心情の話」と混同されることが多いですね。『ポスト・サブカル焼け跡派』は、社会構造の話と心情の話が混同され、社会が問われなくなっていく時代の変遷を記述したものだとも言えますね。(矢野) twitter.com/comecaML/statu…
2020-04-09 16:33:45ホントにシンプルな話だと思うのだが…。みんな金が無いんだよ。自意識とか感性とか心情の話じゃないっすよ。そこはみんなそれぞれ在り方バラバラなわけだし。
2020-04-09 14:16:25ですです。70年代以降、「社会」と「私」を繋ぐ回路や言葉が成立しなくなっていくプロセスを、ポップミュージック/サブカルチャーの側から考えてみよう、みたいな気持ちで書いた…というようなつもりです。で、糸井重里のような人たちは、そのプロセスのなかである種の「努力」をしたとも理解してます twitter.com/languagelabroo…
2020-04-09 17:19:00ホントにシンプルな話だと思うのだが…。みんな金が無いんだよ。自意識とか感性とか心情の話じゃないっすよ。そこはみんなそれぞれ在り方バラバラなわけだし。
2020-04-09 14:16:25糸井のような人たちが取り急ぎ用意した「社会」や「私」の捉え方は、ある時期においては実際有用だったのだろうと。大日本帝国でもなく、焼け跡世代でもなく、新左翼でもない。ひらがな書きのやさしい消費社会/消費者であろうと。「うれしいね、サッちゃん」、「幸子」たち=戦後大衆を肯定しようと。
2020-04-09 17:27:53糸井さんにとって、「ほぼ日」で力を取り戻すまでの90年代というのは辛い時期だったろうなと想像します。日本社会が一度はそこに収まったかのように見えた、やさしい消費社会/消費者というゲームボードに亀裂が入っていったのが90年代だったから。「ほぼ日」はかつての時代のミニチュアのようなもの。
2020-04-09 17:32:40規律的な「社会」との軋轢のなかで「私」の枠組みが作られていくのではなく、安定した「社会」のなかで、少年少女の感性や消費行為で「私」が作られていく。糸井さんは発言の端々に父権的なイメージが頻出しますが、パブリックイメージとしては母性的なもの(「Mother」!)を演出し続けた印象があります
2020-04-09 17:45:14糸井さんが想定し演出した「社会」/「私」のイメージというのはぼくにとってはそういうもので、それが壊れていくことに本気で苦しんでいるからこそ、「責めるな。じぶんのことをしろ」というような、捻じれた父権の発露が起きているのだろうと考えています。母のように振る舞う父の限界というか。
2020-04-09 17:48:38ほぼ日では言葉たちはゲーム盤の上にやさしく並んでいるけども、SNSでは濁流のように暴れまわっている。ヘンタイよいこ新聞の昔から言葉の「管理人」を務めがちな糸井さんにとっては、そういう凶暴な「私」たちはとても不快だろうし、そこから立ち上がるかもしれない「社会」にも嫌悪があるだろうなと
2020-04-09 17:54:02それでもなんとかゲーム盤を護ろうとする糸井さんのような人たち、原サブカル人(笑)たちには、正直ある種の涙ぐましさというか、誠意を感じるところもある。彼らは彼らで恐らくホールデンとしての仕事をしようとしている。ただ、やはり時代は移り変わっていくわけで、新しい世界はどうしてもやってくる
2020-04-09 17:58:52恐らくいま「社会」や「私」の問い直しが各所で行われていて、だからこそ例えばSNSにも凶暴な「私」が溢れている。そういう状況を「管理人」が調停するのではなくて、「私」同士が衝突しコミュニケーションをとりながら「社会」を立ち上げる、という本来当たり前の方向に進むしかないと思っています。
2020-04-09 18:07:03そして矢野さんが仰られるような「両面性の取り逃し」みたいな問題は非常によく分かるというか、ぼくの場合はそこでもう自分は野暮でガサツであるということに諦めを持っていて(笑)、自分とは違うキャラクターや考えを持つ人とコミュニケーションすることでしか問題を超えられないかな、と思ってます。
2020-04-09 18:12:31