劇団どくんご東京公演4日目を観た日比野啓氏のつぶやきから始まる劇評のやりとり
@peachumor ただ、そうした暴力的なまとめ方が、作り手たちに不快感を与えるということは重々承知し、また、端的に礼儀の問題としてそうした非礼さについては申し訳ないと思いますが、(また繰り返しとなりますが)事実として自分が持っているフレームはその程度に雑なものであるし、
2011-06-21 03:39:35たとえば、今私が面白いと思っている国分寺大人倶楽部は、実は新しいスタイルとかはない。でもその表現方法が露悪的なのにすごくリアリティにこだわっていて、繊細なんです。その繊細さに触れると、温かい気持ちになる。それに触れられるかどうかは、人によるんだけども。
2011-06-21 03:43:02@peachumor あ、すみません、ほんと前後してしまって…。そう、スポットの違いということでご理解いただければありがたいです。ともあれ、確かに自分自身が雑であることと、それを公言(ここでまあ、twitterがどれだけ、どのように「公言」か、という問題も絡むのですが)するのは
2011-06-21 03:47:32@peachumor また別の問題なわけで。そのあたりはもっと注意深くあろうと反省いたしました。いずれにせよ、雑な物言いであったのは確実なので。まだまだ言葉足らずかと思いますが、ひとまずこんなところで。
2011-06-21 03:53:11どくんごを巡るやりとりの白熱化、面白い。作品について語るってのはこわいことだな。私はまた九月の舎人公園に見にいく予定。もしかしたら飯能も。なんか中毒性があるんだよね。
2011-06-21 08:29:48どくんごを巡る議論が白熱……って私もその当事者の一人だったのか。まとめまであるのね。せっかくtwitterなのだからリプライとばして私に反論してくればいいのに。とにかく、すでに私は言いたいことは言っています。どくんごが面白いという人はその面白さを伝える文章を書いてほしい。
2011-06-21 08:45:46人の言っていることが間違いだと重箱の隅をつつくよりも、自分がどくんごの公演に見たものについて妄想を壮大に語ってくれるほうがずっと説得力があります。@caminさんの書いた「わが星」論を読んで、私はこういう見方もあるのだと納得しました。あそこまで長くとはいわないけれど何かないのか。
2011-06-21 08:50:06@camin たしかに。でもあの工業製品を思わせる品質管理が、モリエールのおかれていた厳しい状況を反映しているのかもしれないとも思いました。観客に受けなければたちまちドサ回りに逆戻り、という意識が規格化を生んだ。四季の公演の品質の高さと裏腹の「つまらなさ」も同じかもしれない。
2011-06-21 08:59:58そして@camin さんとの決定的な相違点は、私は品質管理されたモリエールの「代表的な」戯曲が決して嫌いではないこと。『ヴェルサイユ即興』のような際物を究極的には退けてしまうこと。こじつけめきますが、どくんごを巡る評価の違いもそこに起因するのでしょう。
2011-06-21 09:05:29たとえていうと、地方の小都市の駅に降り立ち、小汚い客の入りが半分ぐらいの地元の定食屋と大戸屋が並んでいると、私は大戸屋を選んでしまうタイプなんですよ。自分でも情けないとは思いますが、規格化された一定の味は保証されている店のほうに安心を求めてしまう。
2011-06-21 09:09:35震災以降よく言われることでもあるけど。間違いを指摘して不勉強を責める人が多い。http://t.co/70jXDJM だから「作ってるやつがえらい」という段階から抜け出せないのだと思うなりよ。
2011-06-21 10:01:34酔いの自分に対する翌朝の自己嫌悪はいつもすごいけど、今日は特に。。あーもういやだ。。すごい反省しつつ、作品について語るって行為は、なんなのだろう、ぐるぐるあたまをめぐらす。。
2011-06-21 11:24:54鴻さんが去年のF/T公募まとめの会でおっしゃっていた、作り手が無数の時間と労力を使って作った作品を正当にねじ伏せるべく、批評家は無数の時間と労力を使って勉強してんだ(ちょっと言葉は違ったと思うけど)みたいな発言に、最大限の共感を覚えたし、いまでも覚えているのはたしかではあり。
2011-06-21 11:33:35さっきの、ねじ伏せるべく、ってのとは少し違ったし、誤解を産むような再現になったかな。作品に従属するのではなく、作品とは別次元の行為として、がっぷりよつに向き合うべく、刀を日々削っている、みたいなニュアンスだったんだけども。
2011-06-21 13:54:19どくんごの云々は、140字で云々することの限界に至ってる気はして。自分も腰を落ち着けてブログになんだかかんだかまとめよ。とはいっても、自分は劇評家ではなく一介の制作者なので、劇評は書けないけども、5日間周りをうろうろしてた人間によるルポルタージュ崩れのようなものにでもなればと。
2011-06-21 14:05:17@keihibino なるほど@keihibinoと私では演劇に対して求めているものに大きな違いがあるのでしょうね。共通している部分もあると思いますが。私はギミックに過ぎなくても「破綻」を感じさせるエネルギッシュな表現に魅力を感じることが確かに多いように思います。
2011-06-21 14:22:35「どくんご」は好みじゃなかった。ラストの展開はいいと思う。テント的なカタルシスを、カットアウトすることで批評性がでてる。2000年も10年を過ぎてテントをやるなら必要な醒め方と思った。まあわたしは夢から永遠に醒めてないような阿呆みたくドップリしたテント芝居が観たいけれども。
2011-06-21 14:37:30いままでそんな阿呆みたいなテント芝居はルナパークミラージュと魚人帝国しか見たことがない。このふたつはテントの極北曲馬館系の更に傍流。どっちももうない。また観たい。
2011-06-21 14:42:02みなさん言うように、「人魚姫」を演じた方はキュートで、すごくよかった。でも東北弁になっただけで話の内容が人魚姫そのままってところがわたしが好みではない理由の大きな部分を占める気がした。物語が必要とかではなく、虚構としての精度が低いと感じちゃう、という意味で。
2011-06-21 14:46:04みなさんの厭戦気分に水を差すのも恐縮ですが、「エチュード主義の弊害」という言葉が一人歩きしているのでもう少し説明させてください。それは私の80年代演劇論にも関わることなので。
2011-06-21 18:13:29まず「エチュード主義の弊害」という言葉で私は集団創作の可能性を否定しているわけではありません。太陽劇団やコンプリシテなど集団創作によってすぐれた達成をしている集団もあります。また、60年代アングラ以降ずっと探られてきた集団論が無意味だというつもりもありません。
2011-06-21 18:16:48ただし、80年代エチュード主義とは、まさに60年代集団論がいかに袋小路に入り込んでしまったかを示す証拠ではあります。それは集団の想像力をどのように統御するか、という問題です。
2011-06-21 18:19:08個々人の想像力に無限の可能性を認め、それを尊重するという態度は、個々人の想像力がいかに卑近な日常に束縛されているかを忘れることにしばしばつながります。たとえば、80年代エチュードでよく扱われたテーマの一つは近未来のディストピアでした。
2011-06-21 18:21:09それはいかに私たちの想像力が映画やテレビのイメージから備給されているかをまざまざと示しています。80年代に観客として劇場に足を運んだ私は『ブレードランナー』さらに元ネタ『電気羊』の粗悪なコピーをさんざん見せられて辟易しました。
2011-06-21 18:23:56