人が闇堕ちする様を仏教の「乞眼の婆羅門」にみる

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gajou @kuzuresarugajou

仏教における闇堕ちの話としては、やはり大智度論の「乞眼(こつげん)」のエピソードが面白い。あれは人間がダークサイドに堕ちるメカニズムの本質を描いている。

2020-06-10 18:09:57
gajou @kuzuresarugajou

「乞眼」のストーリーを簡単に説明。 ある日、舎利弗が布施の修行をしていると、乞食が現れてこう言いました。 「あなたの眼をください…」 舎利弗はしばらく悩みましたが、布施の修行を貫こうと、自らの眼をえぐり取って乞食に与えました。 すると→

2020-06-10 18:16:32
gajou @kuzuresarugajou

その乞食は、 「こんな臭い眼いるか!!」 と言って眼を地面に叩きつけ、これを踏み潰してしまいました。 ショックを受けた舎利弗は、 「こんなしょうもないことやってられるか…」 と言って、修行をやめてしまい、悟りを開くことができませんでした。 おしまい。

2020-06-10 18:20:48
gajou @kuzuresarugajou

舎利弗が闇落ち(?)してしまった理由は、布施の目的を考えると分かります。そもそも布施というのは自分と他者の区別をなくす智慧(般若)を完成するための修行なので、そこに対価を期待してはいけないんですね。舎利弗は自分の眼を差し出すときに恐らくこう思ったはずです。→

2020-06-10 18:36:17
gajou @kuzuresarugajou

「こんなに大切なものを与えるのだからさぞかし素晴らしい報いがあるだろう…」 しかし、その期待は乞食によって完全に裏切られてしまった。ここに罠があるんですね。この舎利弗の期待、「こんなに苦しんだのだから素晴らしい結果が得られるはず」という『苦行』の考え方と構造が同じなんです。→

2020-06-10 18:42:39
gajou @kuzuresarugajou

釈迦が「苦行は悟りの道ではない」としたのは、まさにこうした理由で、苦行は「自分はこんなに頑張っているのだから偉い」という自己肥大化や「こんなに頑張っているのだから報われて当然」という根拠のない期待を増長させてしまうんですね。そしていざ期待を裏切られると→

2020-06-10 18:47:57
gajou @kuzuresarugajou

「は?こんなに頑張ってる偉い自分が報われないなんておかしくね?絶対間違ってるわ」と、いわゆる『闇落ち』状態になってしまうわけです。 むしろそうした増長を心の観察によって鎮めるのが仏道修行なのですが、取り組み方や考え方を誤ると仏道修行も却って毒になってしまうというお話です。

2020-06-10 18:53:36
gajou @kuzuresarugajou

では舎利弗はどうすればよかったのかですが、「嫌なことは嫌」とはっきり断って、代わりに相手に何をしてあげられるだろうか、と自分の頭でしっかりと考えることが必要だったのではないかと個人的には思います。

2020-06-10 18:56:57
noname @dolphin_noname

乞食は実は仏の仮の姿で、臭い眼、というのは舎利佛の間違いを指摘してる 「眼」と言うのは、「慧眼」を意味するのであって物理的な眼球ではないということかな 乞食は見下されたことを舎利佛の行動から察している twitter.com/kuzuresarugajo…

2020-06-11 08:39:44
gajou @kuzuresarugajou

nonameさんよりコメントを頂きました。乞食が欲した「眼」は「慧眼」のことで、物理的な眼球のことではないとのこと。本質を捉えた鋭い考察だと思います。 twitter.com/dolphin_noname…

2020-06-11 10:38:58
百田力 @DarthMomota

龍樹の「大智度論」に、舎利弗(シャーリプトラ、サーリプッタ)と乞眼の婆羅門(バラモン)の話がある。 眼を乞う婆羅門に、慈悲深い(前世の)舎利弗は自分の眼をくり抜いて差し出したが、婆羅門は眼を乞うたにもかかわらず、「臭い、こんなもの」と投げ捨ててしまった。 さすがの舎利弗もこれには怒った。

2019-09-12 13:35:13
百田力 @DarthMomota

しかし、本当に見返りを求めていなかったなら、たとえ婆羅門が慈悲に対して無礼で返したにしても、そこで怒ってはならなかったのであろう。 見返りを求めない真の慈悲というものは、物や利益を求めないということだけではなく、感謝や相手の喜びすら求めないということなのだ。

2019-09-12 13:40:31
百田力 @DarthMomota

程度の差こそあれ、このようなことは現実にいくらでもある。 人のために何かをしたのに、感謝されなかった、逆に文句を言われてしまった、そこで自分が不快を感じたなら、それは本当に相手を想っての行為ではなく、物や利益などの見返りを求めていなかったとしても結局は自分のためにやっていたのだ。

2019-09-12 13:46:37
百田力 @DarthMomota

大乗仏教最初期の経典である「金剛般若経」に説かれる菩薩道、囚われることのない功徳とは、こういった感情を一切伴わない真の利他行なのであろう。

2019-09-12 13:52:25
百田力 @DarthMomota

何度も書いているけど、断じて特定の宗派とか変な新興宗教にハマっているわけではない。 自分自身の心を磨くために、善い人間になるために、仏典そのものから学んでいるだけである。

2019-09-12 19:38:11
百田力 @DarthMomota

@asinokou98 はい、その方です。 サンスクリット語:シャーリプトラ パーリ語:サーリプッタ 鳩摩羅什訳:舎利弗 玄奘訳:舎利子

2019-09-12 19:49:52

鳩摩羅什 訳
「如舍利弗於六十劫中行菩薩道,欲渡布施河。時有乞人來乞其眼,舍利弗言:「眼無所任,何以索之?若須我身及財物者,當以相與!」答言:「不須汝身及以財物,唯欲得眼。若汝實行檀者,以眼見與!」爾時,舍利弗出一眼與之。乞者得眼,於舍利弗前嗅之嫌臭,唾而棄地,又以腳蹋。舍利弗思惟言:「如此弊人等,難可度也!眼實無用而強索之,既得而棄,又以腳蹋,何弊之甚!如此人輩,不可度也。不如自調,早脫生死。」思惟是已,於菩薩道退,迴向小乘」