原発事故後に「解離」した社会の処方箋
この状況ではリーダーをこき下ろし、周囲には流言飛語が飛び交い、互いのことが信用できず、責任は常に自分以外の他者や外側の体制にある、とい状況になります。集団全体を何をしても無駄だ、という無力感が支配します。
2011-06-26 21:34:34この状況は非常に苦痛なため、この状況を抜けだそうという動きが集団から生じてきます。それがつがい(paring)、依存(dependency)です。つがいとは母親と父親のようなつがいの存在が集団にあらわれ不安を払拭してくれるという幻想です(これは日本人には少しわかりづらい)。
2011-06-26 21:39:48依存(dependency)とは依存できるカリスマ、救世主のような存在がどこからともなく現れ、今の危機的状況を救ってくれるという幻想です。過去のドイツや革命思想などが当てはまります。
2011-06-26 21:41:15こういう状況は一見救いになるようですが、この根本には集団が不安を抱えきれず、他者に投影し自分のこととして引き受けず、他人のせいにしているという点で、まだ未熟な状態であると考えられています。
2011-06-26 21:43:05では我々は何を目指すべきなのか。それは不安に持ちこたえ、事実を事実として受け入れ、悲しみに耐えられる状態になること、これを抑うつ体制(depressibe position)といいます。これが集団が成熟した状態だと考えられています。
2011-06-26 21:47:17抑うつ態勢は事実をありのままに語り合える集団です。不安も含め率直に話し合えることによって抑うつ態勢は維持されます。そしてその集団ではそれぞれが問題点について自分の事として思考し、問題解決への方法を周囲と協力しつつ、自主的な個人の結びつきの結果として目標達成が遂行されます。
2011-06-26 21:50:02それは非常にモチベーションに富んだ意欲的な状況を作り出します。例えるなら、モチベーションの高いボランティアの集団や、練習に裏打ちされたスポーツチームなどが近い集団かもしれません。
2011-06-26 21:53:22私にとっては今の日本の課題がここに見えてきます。今の闘争逃避的な状態から、カリスマを求める独裁的なナショナリズムやが台頭してくる可能性があります。もしくはこの闘争逃避的状態が当分混乱として維持されることも懸念されます。
2011-06-26 21:54:49我々の向かうべき課題とは、今回の震災への喪失の悲しみを事実として受け入れつつ、原発の問題や旧いシステムによって生じてきた状況を受け止め、自分たちの問題として国民一人ひとりが行動する主体として動き始めることです。その過程には多くの対話、問題提起、諍いや葛藤が生じてくるでしょう。
2011-06-26 21:57:13このプロセスをたどってみると、我々近代〜現代日本人が近代的自我を確立し得るか否かのプロセスのようにも見えてきます。対話によって乗り越えるということに我々は慣れていません。父権的社会の西洋と母系的社会の日本という違いがあるのかもしれません。
2011-06-26 22:00:12母系的社会なりの乗り越え方もあるかもしれません。しかし今我々が目にしているのは、談合、馴れ合い、暗黙の了解など母系的社会の持つ悪しき側面ばかりのように思えます。否定出来ないテクノロジーの進歩の中で、どんなパラダイムを日本人が示すことができるのか、世界中が注目してみています。
2011-06-26 22:03:53