子規、最後の八年 2(終)

昨日の続きです…漱石成分が多くてすみません。純粋な書評とはほんとに言い難いので、ご興味がおありのかたはお時間あるときに流し読みしちゃってください。
0
@AkiaiMod

(承前)漱石と子規や虚子との書簡は、数回にわけて「倫敦消息」と題して、ホトトギスにも掲載されている。句作において漱石は子規の足元にも及ばず、自然と子規に丸をつけてもらう間柄になっていたのだけれど、それが功を奏したのか、手紙という形でなら落語的な滑稽みのある創作を行えたらしい(続)

2011-06-28 18:03:21
@AkiaiMod

(承前)「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」「三四郎」に見られる初期漱石作品の人間観察に優れたリズミカルな文面は、ホトトギスを通じて子規を喜ばせた。が、それは「作家としての喜び」も与えたけれど、同時に「喜ばせなければならないプレッシャー」も漱石に与えることとなった。(続)

2011-06-28 18:06:08
@AkiaiMod

(承前)もちろん漱石の鬱の直接の原因は別だ。英語研究とかいうネイティブからすれば「ちょっと何言ってるかわかりません」な強制留学、離れている間に起きる日本の変化、それらが耳に入るたびに彼を苦しめた。「夏目狂せり」の一報が文部省へ届くころ漱石は日本人の誰とも付き合わなくなった。(続)

2011-06-28 18:12:09
@AkiaiMod

(承前)そんな状態で、子規を喜ばせられる自信が漱石にあったか。次第に、文通は子規から送られてくる手紙が増えていく。ホトトギス掲載の「倫敦消息」も潰えた。そんな憂鬱な倫敦の冬のころ、子規から赤裸々な手紙が届く。(続)

2011-06-28 18:15:06
@AkiaiMod

(承前)原文では読みにくいので、ひらがな交じりに転載。「僕はもーダメになってしまった、毎日わけもなく号泣しているような次第だ。いつかよこしてくれた君の手紙は非常に面白かった。近来僕を喜ばせたものの随一だ」(続)

2011-06-28 18:17:09
@AkiaiMod

(承前)漱石は、少しずつ返事をしようと努力する。けれど、もう一度、あの落語調の軽快な文面を手紙に載せることはできなかった。それができたのは、子規の死後、虚子に神経衰弱によいからと勧められた創作品「吾輩は猫である」においてだった。(続)

2011-06-28 18:22:45
@AkiaiMod

(承前)ちょっと前に、友人ヴィン氏から、「漱石は子規のことがあったから、後期作品があんなにくらいの?」と尋ねられた。漱石は幼いころから身柄をたらい回しにされたことがあって、ことに母親的なもの、女性に対する恐怖心が大きかったらしい。(続)

2011-06-28 18:32:06
@AkiaiMod

(承前)その割に、漱石の作品には魅力的な女性がたくさん出てくるのだが、漱石自信のそういった女性問題はそんなに派手なものではない(比較対象:太宰治)友人の信頼する女性に片思いしてしまった系の噂なら二つばかりあり、作品にも反映されて見えるが、強引に奪い去ったりはしない。(続)

2011-06-28 18:32:42
@AkiaiMod

(承前)漱石にとっては、創作が女性への紳士的な向き合い方に近かったのかもしれない、と私は思っている。でも…まあ…自分の地位は確実にアップしていっているのに、女性は相変わらず恐怖の対象で、友達の恋人ばっか好きになっていたら、へこむよねwwwそれゆえの後期作品かと(続)

2011-06-28 18:35:20
@AkiaiMod

(承前)しかしながら、漱石は子規への後悔の念は常に持っていた。子規は、漱石の倫敦消息が途絶えたのち、病状を悪化させる。食欲がもともと旺盛だったのが救いだ。腰の骨は穴だらけになり、妹の律が膿をぬぐう。そのたびに激痛が走り、楽な姿勢を見つければ、そこに床ずれができて穴が開く。(続)

2011-06-28 18:39:26
@AkiaiMod

(承前)子規は思いのたけを律にぶつけた。虚子にも理不尽な態度を取ることはあったが、ホトトギスの資金繰りで世話になっている引け目もあり、そこまで冷酷に扱えない。それを律への暴言にして発散させていた。泣きすがって、同情を買おうともした。律は律で、それに顔色一つ変えずに看病する。(続)

2011-06-28 18:41:37
@AkiaiMod

(承前)ターミナルケアほど、冷徹になりきるか、どこかで発散しないとやりきれない看護はない。律は前者の女性だった。兄の体に積極的に働きかける上で、私情は無用と言わんばかりだった。子規はそんな律だからこそ甘えたのだろう。悲しい顔をする虚子には「ここまで」という自制がまだ利いた(続)

2011-06-28 18:47:28
@AkiaiMod

(承前)後半部分、この二人に著者は焦点を当てている。一番遠くにいる漱石と、一番身近にいる律。そこに碧梧桐や虚子が関わりだすのは、子規の最期がいよいよ近くなりだしてからだ。彼らは彼らで、子規庵を訪れるときは子規の好きな食事を伴って、句作に精を出すことで子規を思いやっていた。(続)

2011-06-28 18:53:33
@AkiaiMod

(承前)でも、読み進めているうちに、当初は「あえて何もしない」漱石が「何もできないからしない」になってしまい、「間違えていてもしてあげる」律が「他に何もできないからしてあげる」になっていくことに気づく。終盤、子規の死が間近になっている表れだと感じた。(続)

2011-06-28 18:55:31
@AkiaiMod

(承前)子規の死に様に関しては、あまりに有名だと思うので、割愛する。弟子が交代で律と母親と子規のいる家の夜番を勤め、最期に居合わせたのは虚子だった。虚子がまず知らせに走った相手は碧梧桐だった。他の弟子たちの様子、葬儀の様子でページが割かれたあと漱石が虚子からの手紙で知る。(続)

2011-06-28 19:03:06
@AkiaiMod

(承前)子規は、自殺の誘惑に、死期が近付くと駆られ出した。私は恥ずかしながら、子規録にはあまり詳しくなく、このシーンが一番ショッキングだった。食欲旺盛で、妹にわがまま言いたい放題の子規が、やはりそうなってしまうのだ。(続)

2011-06-28 19:05:37
@AkiaiMod

(承前)子規を思いとどめたのは「死ぬのが怖い」からではなく、「痛いのは嫌だ」だったと書かれている。自殺願望から、「痛いのは嫌だ」と目を背けた後、徐々に「どんな状態でも生きることが悟り」と思うまでの描写が一番素晴らしい。(続)

2011-06-28 19:11:41
@AkiaiMod

(承前)漱石は子規の死後、虚子の手助けの元、作家人生を歩む。漱石の死因は胃潰瘍だ。神経衰弱を患いながら子規の死から14年後、漱石も死ぬ。「自殺は甘美だがつまらない」この漱石の口癖は子規が教えたものではないだろうか。読了後、漱石の弟子の芥川の自殺が悔まれてならない。(終)

2011-06-28 19:20:50
@AkiaiMod

ということで、なんとなく書きつづってみました…。本当は、もっともっ面白い人が出てきていて、おっこんな関係もあったのかという、明治を掘り下げてくれている本なので、この程度の感想文なのが申し訳ない。ジャンル的には、文豪本というよりも歴史本に近い感じだった。子規をめぐる明治の本。

2011-06-28 19:24:23
@AkiaiMod

その中でも、漱石と子規とをクローズアップさせたのは、珍しいからの一言につきます!こんなに好意的解釈をされて漱石は大丈夫なのか!?wwwっていうくらいの好意的解釈でした。ひどいものになると、「子規の死後、帰国した漱石は作家として出世する」的書き方をされているし…

2011-06-28 19:25:44
@AkiaiMod

本当に私が書いていない人と子規とのやり取りも盛りだくさんの400ページなので、人一人を取り巻く感情の交換方法はいろいろあるのだということを教えてくれる本でもあると思います。個人的にはホスピスなどのターミナルケアに従事されているかたにも読んでほしいかなと感じました。

2011-06-28 19:30:20