沖縄のフリーダム艦これSS「うちなー鎮守府」第69話「迅鯨に、会いに行く」

沖縄が舞台の実業系フリーダムな艦これSS #うちなー鎮守府 2020年の梅雨&夏イベントで瀬底島が登場。「鎮守府から車で行ける場所」という展開に加えて、瀬底島の近くで沈没した潜水母艦「迅鯨」が実装。ということで、実装直後、沖縄県本部町にある迅鯨の慰霊碑「迅鯨鎮魂碑」に行くのであります。 ◆注意な◆ 続きを読む
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まさや @Masaya_ok_jp

前回から半年以上経ってるみたいなので、沖縄が舞台の実業系艦これSS #うちなー鎮守府 第69話やります。 ◆注意な◆ ○作者は非提督 ○環境設定など諸々フリーダム ○深海側の台詞の片仮名化めんどいから普通に表記

2020-07-19 01:14:01

本編

まさや @Masaya_ok_jp

#うちなー鎮守府 第69話 2020年6月、鎮守府に梅雨&夏イベの情報が届いた。 「梅雨って言うけど、こっちは梅雨終わってんだよ」 上部組織からの通知を見て、この日の秘書の摩耶がぼやく。 「沖縄が全国的な歳時記とずれるのはよくあること」 提督がたしなめる。 (つづく)

2020-07-19 01:28:10
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#うちなー鎮守府 「あ、提督、これ見て」 PCで通知を読んでいた摩耶が呼ぶ。それを見た提督は 「瀬底だと?」 驚きを隠さない。摩耶が続ける。 「この作戦では、迅鯨がドロップです」 提督は理解した。「なるほど、だから瀬底島か」 (つづく)

2020-07-19 01:39:46
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#うちなー鎮守府 提督は即決した。「摩耶、明後日瀬底島に行くぞ。E-1はすぐクリアできるよう編成を考えて」 「え、急な上に提督が海域に?」 目が泳ぐ摩耶に提督が続ける。「瀬底島なら車で行けるし。摩耶ならできる」 「よーし、そこまで言うなら、やったるぜ~」 (つづく)

2020-07-19 01:48:04
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#うちなー鎮守府 6月28日。本部港の近くに、車で移動中の提督と艦娘の姿があった。来たのは扶桑、摩耶、大淀、荒潮、フレッチャー、神州丸。 大淀は語る。「迅鯨に会いに行く旅でもありますね」 (つづく)

2020-07-19 02:13:22
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#うちなー鎮守府 「この瀬底大橋で瀬底島に行けるけど、まずは橋の上から迅鯨が最期を迎えた海域を見よう」 運転していた提督は、橋の本島側にある駐車場に車を停める。一行は車を降りて、中央部が高くなっている橋を歩く。 (つづく) pic.twitter.com/HwrnFWVJ5i

2020-07-19 02:19:05
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#うちなー鎮守府 「そろそろかな」 橋の道路面の1番高い所に達する前に止まる一行。提督が説明を始める。 「右が瀬底島で、左が本島。迅鯨最期の場所はこの間の海域。沈没といっても実質着底で、1952年に解体のため引き上げられるまで姿が見られたらしい。写真も残っている」 (つづく) pic.twitter.com/QVc8oFC9Uk

2020-07-19 02:36:19
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#うちなー鎮守府 「どうしてここで沈んだのですか?」フレッチャーが質問をする。 提督が答える。「1944年の話。沖縄への物資の輸送や県民の県外への疎開任務をしていて、9月に佐世保から那覇へ行く途中に潜水艦に攻撃され航行不能になり、同行してた艦に曳航されここに来た」 (つづく)

2020-07-19 02:48:36
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#うちなー鎮守府 提督の説明が続く。「修理のため曳航が考えられてたけど、その前に空襲で沈没というわけ。その空襲が十・十空襲。那覇以外にも被害があったことを知ってほしい」 話を聞いて何か感じたのか、少し俯くフレッチャー。察した提督はこう言う。「昔は昔、今は今。前向きにな」 (つづく)

2020-07-19 02:58:20
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#うちなー鎮守府 「慰霊碑はあるの?」 「荒潮、今のいい質問。ではそこに行くとしよう」 一行は瀬底大橋から車に戻り、迅鯨の慰霊碑へ向かう。 地図や写真で確認はしていたが、そこは見逃しそうな場所だった。 (つづく)

2020-07-19 03:05:50
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#うちなー鎮守府 近くの駐車場に車を停めて歩く一行。 「本当にここでありますか?」神州丸が不審がる。 「待って、この錨、もしかして」大淀が見た先にあったのが慰霊碑だった。正確に言うと、迅鯨の「鎮魂碑」。 (つづく) pic.twitter.com/vCllAwrFxA

2020-07-19 03:13:27
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#うちなー鎮守府 「三叉路の角だけど目立たねぇな。しかも隣がダイビングショップで、まさかここに慰霊碑があるとは思わねぇよ」 摩耶のぼやきに扶桑が指摘する。「でも見て、花が供えられてますわ。誰か来てるのですね」 (つづく)

2020-07-19 03:22:35
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#うちなー鎮守府 提督がダイビングショップの店員に話を聞きに行き、鎮魂碑の前に残された艦娘。碑文を見るフレッチャーが「何が書いてあるの?」と聞く。 扶桑が確認する。「迅鯨の要目と沈没時の状況が書かれてるね」 (つづく)

2020-07-19 03:32:30
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#うちなー鎮守府 迅鯨鎮魂碑の碑文概要 昭和十九年(一九四四年)十月十日瀬底島東方三〇〇米沖合にて米軍機と熱闘5時間余弾薬庫に入水のため総員上之総員退艦の大号令を発した艦長大山豊次郎大佐は動かず陸軍の大発艇の迎えと説得を受け無事従容と退艦せられたり (つづく) pic.twitter.com/DyhaaIt7PI

2020-07-19 03:46:57
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#うちなー鎮守府 迅鯨鎮魂碑の碑文概要続き 艦底が海底につき上甲板以上は不沈艦となり米軍の再来襲をうけ火災発生5日5夜炎上せり 本日此の地に碑を建立し幾多の英霊の鎮魂と世界平和を祈念する 平成十二年(二〇〇〇年)十月十日 有志一同 (以下建立に関わった人の名前) (つづく) pic.twitter.com/VdpJOobeDM

2020-07-19 04:03:17
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#うちなー鎮守府 「2000年って、できたの結構最近なのね」碑文を読んだ荒潮がつぶやく。 扶桑はこう語った。「沖縄戦に関連する慰霊碑は多いけど、あまり知られてないものもあります。これを期に迅鯨の碑の知名度も上がるといいですね」 (つづく)

2020-07-19 04:08:58
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#うちなー鎮守府 ダイビングショップから提督が戻ってきた。「慰霊祭という形での行事は2014年が最後だけど、今でも十・十空襲の日には慰霊に来る人がいると聞いたよ」 全員で平和を願い手を合わせた。碑の向こうに、迅鯨最期の海域が見える。 (つづく) pic.twitter.com/yUpX6OrJsV

2020-07-19 04:18:40
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#うちなー鎮守府 提督のスマホに、E-2に出撃していた大和からチャットの着信 大和「瀬底島のとこクリア、迅鯨ドロップ」 提督「GJ」 大和「今日は扶桑さん達と本部港に行ってるというので、迅鯨にはそこに行くよう指示しました」 提督「OK。このあとも頼むで」 (つづく)

2020-07-19 04:36:14
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#うちなー鎮守府 「あの、うち鎮のみなさんですか?」 声は迅鯨だった。 「私服なのにわかるのか?」と驚く摩耶に、迅鯨は「扶桑さんの髪飾りを目印にしてと大和さんが言ってました」と答えた。 「提督も一緒だったんですね。よろしくお願いします」 迅鯨が着任した (つづく)

2020-07-19 04:47:57
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#うちなー鎮守府 気になることがあった迅鯨が提督に問う。 「提督がなぜ海域の近くにいるのですか?」 提督はこう答えた。「ここ車で行けるから」 「車?」 「うち鎮あるの沖縄だし」 「ここ沖縄?」 「そう。76年前とはえらく様変わりしてるけどな」 迅鯨と提督の問答が続いた。 (つづく)

2020-07-19 04:59:00
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#うちなー鎮守府 「76年分の変化、衝撃大きいから注意してね」 「荒潮、あまり意味深な物言いはしないで」大淀が即座にツッコミを入れる。 「沖縄で再び始まる、いいですね」 迅鯨の声は弾んでいた。 (第69話おわり)

2020-07-19 05:05:47

おまけ(迅鯨鎮魂碑へのアクセスと注意)

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#うちなー鎮守府 69話おまけ 摩耶「約半年ぶりの本編、半ば主役みてぇで悪くなかったな」 扶桑「楽しんでましたね。さて、今回行った迅鯨鎮魂碑の場所の確認をしましょう」 摩耶「本部港の北の方にあるダイビングショップが目印」 扶桑「作者手製のてーげーな地図もどうぞ」 pic.twitter.com/wk4tPQizR8

2020-07-19 05:12:28
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