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源氏物語注解準備

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TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「東宮の女御(弘徽殿女御)がまあ意地悪な性格で、桐壺更衣がおおっぴらに軽々しく扱われてしまった」→「位の高い女性が低い相手に対して実際に手を下すことには疑問がある」(『源氏物語』一、注13、57頁)は、本文(「はかなくもてなされにし」?)からどうすれば読み取れるのでしょう。説明不足かしら。

2018-02-22 19:30:26
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「御頭(ぐし)もたげて見出だし給へり」(岩波文庫新版『源氏物語』一、256頁)=「頭(かしら)をもたげて外を見いだしていらっしゃる」(257頁)というが、「見+出だす」と読めないのかしら。「目をとめる」(岩波古語辞典「み」)+「外に行かせる」「出発させる」(「いだし」)が見+送るでないか。

2018-02-22 21:35:08
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「前栽の色色乱れたるを、過ぎがてにやすらひ給へるさま」は「廊の方へおはするに」(『源氏物語』一、256頁)と続くので、光源氏はまだ家の内にいる。「中から外のものを見る」(岩波古語辞典「みいだし」)だけではしっくりこない。六条の女は、頭をおこしてぼんやりにせよ見送っているはずだ。

2018-02-22 21:40:10
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「恥ずかしがって隠れるわけにいゆかない」(『源氏物語』一、59頁、注11)のに「ぜひともそうしたいさま。どうしても思うところを貫きたいさま」(岩波古語辞典「せち」)にある。「誰もこの女宮を悪く申すことがおできにならぬ」(注7)「気がねなくふるまって飽き足らぬところがない」(注8)のに、なぜ?

2018-02-23 21:20:09
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「幼い心に『ああすばらしい』とお慕いし」「なつき親しみたい」「お嫌いになるな」(『源氏物語』一、61頁、注1・2・4)は、「(水にひたるように)相手に馴れまつわる」(岩波古語辞典「なづさひ」)「疎遠である、関係が薄いという態度を示す」(「うとみ」)の禁止なら、ずいぶん様子がかわってきそうだ。

2018-02-23 21:25:07
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「もとからの腹立たしさをも出てきて、不愉快だ」(『源氏物語』一、61頁、注10)は、「モノは魔物の意。また、何かよく分らないが存在していることは確かな対象の意」に帰すべき「何か心に抵抗を感じさせるものがある。なんとなくひっかかって不愉快である」(岩波古語辞典「ものし」)かも知れない。

2018-02-23 21:35:08
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「こぼれるような美しさは言い比べる方法がなくいかにも愛らしい」光君(『源氏物語』1、61頁)の元服した夜、「不吉なまでに美しい」(67頁)という表現があるのか。「触れると重大な結果をもたらすので、触れてはならない。はばかるべきである」(ゆゆし・い【由由・忌忌】)ほど美しいで充分でないか。

2018-03-10 22:49:50
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「ゆゆしううつくしと思ひきこえ」(『源氏物語』1、66頁)「たぐひなしと思ひきこえて」(68頁)は、心のうちのことばを、自分でも図らずながらきいてしまった、という感じなのかしら。

2018-03-10 23:00:25
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「心に一途に藤壺宮のことが離れなくて、[いと]苦しいぐらいで」(『源氏物語』1、69頁注11)は、「(1)…事態の至り及ぶ時間的・空間的・数量的限界を示す」(まで【迄】)が、「いと」とあるからなおさらふさわしくなかろうか。

2018-03-13 21:50:10
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

元服以後に「をさなきほどの心」(『源氏物語』1、68頁)「をさなき御程に罪なく覚し」(70頁)は奇妙でないか(「(2)いかにも子供子供したさまに見える」おさ‐な・い[をさ‥]【幼】)。藤壺宮への思いといい「大殿に二三日」といい「幼いご年齢で咎めだてすることはない」(71頁注1)とは特別な擁護か。

2018-03-13 21:55:10
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「みごとに大騒ぎして造営する」(『源氏物語』1、71頁注10)とわざわざ語順をかえなくても、「ほめたたえることがはなはだしい、すなわち、対象にたいへん心がひかれ、好み愛する気持になっていることを表わす」(めでた・い)にふさわしく「(3)世間の評判になる。」(ののし・る)でよくないか。

2018-03-13 22:05:15
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「表面だけの風情で字を走り書きし」(『源氏物語』1、85頁注4)は、上辺だけにせよ「(3)情趣・風流を理解する洗練された心。みやびごころ。風流心」あって書くから、「折々にふさわしい応対ができる」(注5)と評される(「『よろし』は消極的で、『よし』よりも低い評価を表わす」よろし・い 【宜】)。

2018-03-13 22:15:16
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「他人に見えるように心づかいをするかたち、また、他人から見える、思いやりある様子の意が原義」(岩波古語辞典「なさけ」)「適当なあしらい。適当に相手をつとめること」(「いらへ」)なら、「表面だけの」(『源氏物語』1、85頁注4)は両方にかかるのかも。 twitter.com/takemulahilosh…

2018-03-14 21:20:12
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「『ばかり』は要素間に序列のある集合からその事態が最も起こりやすいものを取り出して示し…結果的に『ばかり』で示されるものが唯一のもの」(『実例詳解古典文法総覧』407頁)にしても、「風情…字を走り書き」(『源氏物語』85頁注4)「ふさわしい応対」(注5)を指す? twitter.com/takemulahilosh…

2018-03-14 21:25:09
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「通説には左馬頭の言とされることがある」(『源氏物語』1、89頁注10)「引き続き頭中将の言か」(91頁注10)とあるけれど、とりあえず直前で名を挙げた人が発言者、とは考えて読まないのかなあ。「箒木」では一人のみ発言に「給ふ」がついているようだ(「宮腹の中将」紹介では使われている)。

2018-03-14 21:30:32
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「(弘徽殿女御)がまあ意地悪な性格」(『源氏物語』1、57頁注13)と「【一】(2)完全にそうであるとはいえないが、ほぼそうであると認めつつ、ある状態をさし示す語。ともかく。多く消極的な評価や反発する気持のある場合に用いる。」(まあ)に合わない物言いがいけないとはいえまい。「あなおそろしや」。

2018-03-15 20:35:07
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「原則として歴史的かな遣いに統一し、語の清濁を示す濁点を付す」(凡例三3、『源氏物語』1、4頁)。「選(えら)ひに」(84頁)「疵なき方の選(えら)ひ」(92頁)「上なき御選(えら)ひ」(96頁)は「選ふ」があったことを意味するのか。 「続日本紀」からの用例「択比(えらヒ)」(えら・ぶ【選・択・撰】)。

2018-03-15 21:05:14
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

前後の注が意味の説明で、突如「何かの物(柱など)に」(『源氏物語』1、93頁注12)と補足なのはわかりづらい。 「(2)脇息など、物に寄りかかって、からだを横にする。また、物に寄ってうつむく。からだをもたせかける。」(そい‐ふ・す[そひ‥]【添臥・副臥】)も姿勢を特定しにくそうに思う。

2018-03-15 21:10:11
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「表面だけの風情で字を走り書きし、情趣を理解する手紙が書ける」(『源氏物語』1、85頁注4)は可能と、「外から見える風情はきっと自然に身につけられるに違いない行い」(101頁注5)ゆえ表面だけと解すべきでない(?)とでは、かなり違う解説でなかろうか。 twitter.com/takemulahilosh…

2018-03-19 20:45:11
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「源氏の心内」(『源氏物語』1、93頁注10)というが、「『べし』の意味の根本は、物事の動作・状態を『必然・当然の理として納得する外はない状態である』と判断を下す点にある」(岩波古語辞典、基本助動詞解説「べし」)としても、ここ「君はおぼすべし」だとほぼ「顔つきをなさる」(おぼし)でないか。

2018-03-19 20:50:08
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「墨書きに選(えら)はれて」(『源氏物語』1、106頁)も凡例と異なる実例と思われ、説明が欲しいところ。 twitter.com/takemulahilosh…

2018-03-19 21:20:10
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「本物の流儀を細部にわたって習得している書き方は、外見上の筆力が失せていると見られるけれど…実物(手本)に基づいた書き方」(『源氏物語』1、109頁注10)は、「趣向。おもむき。風」(岩波古語辞典「すぢ」)を示して見かけだけで知れぬけれど「内容が充実している」(じち)と理解できそうに思う。

2018-03-19 21:25:07
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「物足りなくて、何かと紛れ歩き」(『源氏物語』1、111頁注8)を「この人を…寄るべとは思ひながら、さうざうしくて」と読みそこねていた。「独り住みや子供がないなどの状態で、相手がなく、することもなくて満たされない、楽しみのない感じがする意」(岩波古語辞典「さうざうし」)。

2018-03-23 21:20:10
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「ない手段を工面して」(『源氏物語』1、111頁注13)は舌足らずとしても、「この上もない秘術を尽くす。あらゆる手段をめぐらす」(ベネッセ古語辞典「無き手を出す」)の前半は大げさか。「無いも同然である。あるかなきかである」(岩波古語辞典「なし」)というところか。

2018-03-23 21:35:08
TAKEMULA_Hiloshi @takemulahiloshi

「あんな争いをしたとしても」(『源氏物語』1、117頁注9)とするものの、さまざまな難儀を列挙の上で、「多く推量の語と呼応。現状を不本意ながら認めた上で、なお一すじの望みを将来に託する場合に使う」(岩波古語辞典「さりとも」)にふさわしく、「左馬頭の勝手な思い過ごし」(注15)でないか。

2018-03-23 22:45:14
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