鬱っぽい人が何かをこじらせないための慈悲の瞑想

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@t_mkgy 「死にたい」に「生きたい」が同時にあったり。不本意だ、ということ。自分の気分の上下を自然現象と見て、防波堤を作ったり揚水発電所をつくったりするようなコツを時間の中で身につけるしか・・・

2011-05-31 11:40:18
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教室の雰囲気に耐えられなくなって自信喪失→引きこもり気味、というパターンはなんとなく多いような気がするな。自分もそういう側面があったから。でも「職場」となると一応「しごと」というひと塊の周りに人間がいるので随分雰囲気はちがう。そこへの移行がうまくいかないのは問題。

2011-05-31 11:50:24
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進化の観点から、「鬱気分」にはどういう適応的価値があるのか、という話。『感情心理学入門』 http://amzn.to/mTW6F0 という本に数ページ記述があった。鬱は「服従」のシグナル、「これ以上わたしを社会から排斥しないで」という懇願、またリスク回避の機能があるという。

2011-05-31 12:32:17
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でも、現代のうつはまた別の要因が絡み合ってるだろう。情報環境と人間関係の変化。---『なお、近代社会でうつが多い理由として、バスは、血縁者を中心とした親密な関係が崩壊したこと、マスメディアの発達によって、知覚される自己の価値が矮小化されたことを指摘している。』

2011-05-31 12:37:27
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『ダライ・ラマの「中論」講義』(2010年)を読む。むつかしい龍樹に関して、私はわからないなりに、中村元、瓜生津隆真、黒崎宏などの解説書に目を通したことがあるが、やっぱりよくわからないところが多い。しかしこのダライラマの本はこれまでで一番親切でわかりやすい気がした。

2011-06-03 17:28:57
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しかし「慈悲の瞑想」というのも自分なりにアレンジしてやるとかなり効く。ニート・引きこもりの人にも有効、何かをこじらせないために「気づきの瞑想」自分にはとくに「慈悲の瞑想」は必要である。「にじ魂」というブログ、慈悲の瞑想が効いた、という方の文章http://t.co/wZPso4W

2011-06-11 18:53:16
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例えば「いま世界で苦しんでいる人の苦しみを、私が分担できますように」、と唱えるとアラ不思議、なぜか心が軽くなるのだ。「慈悲の瞑想」は、自分なりにアレンジしたもので、やるたびに形が変わる。言葉を使わないでイメージを作り出し、そこにチューニングを合わせる、という方法でもいいと思う。

2011-06-11 18:56:45
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何だっけ、イエスも聖書で「私の荷物を負え、しかし私の荷は軽い」ていう逆説的なこと言ってたな。「他人の苦しみを自分も分担したい」、と願うことは、それだけで自分の目前の苦しみを軽くするのは人間心理の不思議さだ。たぶん、これも進化理論などで説明できそうだけど・・・

2011-06-11 19:02:17
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みんなが幸せになりますように。世界の喜びが増しますように。いま苦しんでいる人の苦しみを私も分担できますように。と願うと心が安定する。かなり怒りやイライラが収まる。これも人類の進化の過程で埋め込まれた共感性の回路のひとつなのではないか。実際の行動ではなく「願う」だけで効果がある。

2011-06-11 19:04:32
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だから、祈るだけではムダ、行動しなくちゃ意味がない、という意見は私はそのままでは肯定できない。「かわいそう」と言うと「それは上から目線だ」と言う奴が出てくるけど、「かわいそう」は自分もそうなってたかも、という共感性の回路に乗る感情だから「上から」ではない。「慈悲」もそう。

2011-06-11 19:06:24
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しかし、ネット見ると、ニートになって苦しんでいる人たちにとっても、「気づきの瞑想で感情コントロール」http://t.co/vCsepZT できたといって、結構役に立っている。「言葉」が必須ではない、という所もこの「にじ魂」の人と私は同意見だ。「慈悲の瞑想」も各自工夫して。

2011-06-11 19:11:57