戦中は当然、「戦意高揚」的なものが制作されていたのが、敗戦を経て「連合国総司令部民間教育情報部(CIE)」の「要望書」があり、そこに日本映画界における左派的なものが跋扈する土壌ができたのではないでしょうか。
2019-07-03 02:17:57これ、陰謀論ではなく、実際にあったことですね。 1945年の9月22日。 palomino9th.tumblr.com/post/140036596…
2019-07-03 02:20:01戦中は当然、「戦意高揚」的なものが制作されていたのが、敗戦を経て「連合国総司令部民間教育情報部(CIE)」の「要望書」があり、そこに日本映画界における左派的なものが跋扈する土壌ができたのではないでしょうか。
2019-07-03 02:17:57>すなわち、九月二二日、連合国総司令部民間教育情報部(CIE)は各映画会社の代表者を招集して、占領軍の施政方針を呈示した。 >しかし、権力をもって呼びつけるのではなく、 >「この際、皆さんのお話をうかがいたいので、御来駕ねがいたい」 >と、あくまでソフトで慇懃な物ごしであった。
2019-07-03 02:22:29>CIEを含めたGHQは日比谷、内幸町のNHKのビルを接収していた。 >そこへ参集したのは松竹の城戸四郎、大映の菊池寛、永田雅一、東宝の森岩雄、そのほか日映などニュース映画、文化映画の代表者数名であった。
2019-07-03 02:22:51>このとき、それら代表者の胸中はただならぬものであったろう。 >アメリカは一体どう出てくるだろうか、一番心配していたことは戦犯の追求ということで、どの顔も戦々竸々たる面もちであったに違いない。
2019-07-03 02:23:13>向う側はウッドウォール・グリーン中佐、マイケル・ミッチェル少佐、それに戦時情報局代表のブラットフォード・スミス、デヴィッド・コンデの四名である。 >まず、香りのいい紅茶が運ばれて供され、なごやかな談笑がはじまるようなムードであったという、
2019-07-03 02:23:36>そして、日本側からどうぞというので、各々、戦時中に製作した映画は、そういう映画を作りたかったのではなく、軍や政府の要請でやむなくつくったのだという趣旨のことを言う。
2019-07-03 02:23:51>松竹の城戸四郎は、米軍が日本共産党を公認したのはいいが、その共産党の勢力が撮影所内にはびこって制作に支障をきたす傾向があって憂慮しているなどと言う。
2019-07-03 02:24:15> 朝日映画社の常務、大村英之助は<<日本の民主化を実現するためには一刻も早く治安維持法など弾圧法規を廃止すべきだ(朝日新聞『二十世紀の軌跡』)>>などと、城戸と対照的なことをいう。
2019-07-03 02:24:26>そして、東宝の森岩雄は<<日本の民主化というが、その達成には百年の歳月を要するだろう。急激に制作方針を改めることには無理があり、徐々に、そして確実に行うべきであろう(前出『芸能遍歴』)>>という。
2019-07-03 02:24:47>そのとき、アメリカ側の雲行きが俄に変わる。 ><<一人の担当者は真っ赤になり、卓を叩いて、日本の民主化は直ちに実行しなければならない、何を言うかと怒号した(前出書)>>
2019-07-03 02:25:11>そしてはじめて占領軍の日本映画に対する具体的な要望をタイプに打ったものを一同に配布し、通訳を通じてその一条一条を語気鋭く読み上げたという。
2019-07-03 02:25:25>それは<< >(一)日本の軍国主義及び軍国的国家主義の撤廃 >(二)信教の自由・言論の自由・集会の自由のような根本的自由を含む日本の自由主義的傾向及び活動の促進 >(三)日本が再び世界の平和と安全とに脅威を与えない事を保障する諸条件の設定 >(『映画芸能年鑑』一九四七年時事通信社刊) >>
2019-07-03 02:26:24>その目的達成に協力する方法として、制作されるべき映画の内容、傾向については ><< >(A)平和国家の建設に協力する各分野における日本人を表現するもの。 >(B)日本軍人の市民生活への復帰を取扱うもの。 >(C)日本軍捕虜の社会復帰を取扱うもの。
2019-07-03 02:27:42>(D)工業、農業その他の分野で日本人が戦後問題の解決に率先して当たらなければならないことを実証するもの。 >(E)労働組合の平和的且つ建設的な組織を助成するもの。 >(F)従来の官僚主義に反抗し、国民の間に政治意識と責任感を促すもの。 >(G)政治問題に対する自由討論を奨励するもの。
2019-07-03 02:28:19> (H)個人の人権尊重を達成するもの。 >(I)人種、階級間に於ける相互の寛容と尊敬を増進するもの。 >(J)日本歴史上、自由と代議政治の為に奮闘した人物を劇化すること。 >(前出書)>>
2019-07-03 02:28:38>以上の条項を読み終わったとき、日本側はしばしの間、寂として声もなかったという。 >すると、なにか質問があったらいえと言うので、誰かが、日本歴史における自由と民主化のために奮闘した人物とは……訊く。
2019-07-03 02:29:19>それはこの毛唐ども、日本のことをどれだけ知っているのかという侮りがあった。 >ところが、デヴィッド・コンデが立上がり、言下に沢山いるではないか、福沢諭吉、板垣退助、大杉栄、福田英子など十数名の名をすらすらと列挙して、日本側を瞠目させた。
2019-07-03 02:29:40>そしてコンデは「デモクラシィを追求する高邁なテーマの映画こそ望ましい、内容のないエスケープ・ピクチュアなどは好ましくない」と、付け加えたという。 >>>廣澤榮『東宝撮影所の1945』より 『4 内幸町、九・二二』
2019-07-03 02:30:09→ちなみにややこしいのは、このデヴィッド・コンデなる人物が主導していたらしいのですが、アメリカ本国の意向とはやや別種の判断基準で動いてた節があったりとか、微妙な人物。 どうも共産党よりだったのではというような話ありで、日本から去った後はパっとしなかったらしいし。
2019-07-03 02:33:06このデヴィッド・コンデは黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」(1946)の制作に深く関与しているとか。 実質、「黒澤映画」というには……
2019-07-03 02:37:362017-07-20「黒澤明に悔いが残った、映画『わが青春に悔いなし』」/osawatatuoの日記』 osawatatuo.hatenadiary.org/entry/20170720
2019-07-03 02:39:562012年 09月 13日『わが青春に悔なし/映画収集狂』 sentence.exblog.jp/18980818/
2019-07-03 02:43:02