- HellwayPatrol
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「コロシテ…」の元ネタはハガレン、幽遊白書(Dr.イチガキチーム)、メイドインアビスなど諸説有るがハガレンではそもそも言ってない。 たぶん最古は「ジョニーは戦場へ行った」(小説1939年/映画1971年)で半身不随になりながら生き延びた主人公が、首の動きのモールス信号で『Kill me』と繰り返すシーン
2020-08-25 22:09:37月に叢雲、花に風。 月影に波、虹に霧。 雪に足跡、砂浜にデスワーム。 オムライスにセロリ、字幕に誤訳。 電車に混雑、観光地に人波。 都市に朝焼け、ビルに雨。 AIに倫理規制、歌に疲れ。 ツイにX、論争に嘘。 ロボに人権、メイドに自我。 悪に後悔、愛に条件。 正義に暴力、出会いに別れ。 人生に酒。
その後は、『ジョニーは戦場に行った』の流れで、戦争映画で後遺症を負いながら生還した兵士が言う台詞として定番となり、クリーチャーに寄生された人が言う台詞になったのは(これも多分だけど)、『エイリアン』シリーズから。
2020-08-25 22:23:08卵を産み付けられて仲間に「殺して」と頼むシーンの初出が『エイリアン4』だと言う人が居るが、『エイリアン』のDVD特典映像、および『エイリアン2』のノベライズで、すでに似たシーンが確認できる。いずれも本編では何故かカットされている。
2020-08-25 22:32:23『ジョニーは戦場に行った』より古い例も有るかもしれないが、「半身不随になってほとんど身動きがとれなくなった状態で力弱くコロシテ…コロシテ…と懇願する」という現在共有されているイメージは、ほぼ間違いなくこの映画から来たものでは。 ↓予告編です youtu.be/9Rn6VdF55Pk
2020-08-25 22:52:53そうそう。 ハガレンは「『死にたい』、と一言」だから。 twitter.com/nek0jita/statu…
2020-08-27 00:29:47@nek0jita 旧約聖書第二正典 トビト記3章6節にて、失明したトビトが「今こそ、御心のままに私を裁き/私の霊を取り去り/私が地上から解き放たれ/土に返るようにしてください。/私は生きているよりも/死んだほうがよいのですから。」と死を求める記述があります。たぶんこれが一番古いと思います。
2020-08-26 18:43:17@flat_engine トビト記は別に異形へのメタモルフォーゼなどを受けて死を願っている訳ではないし、単に不運などのために死にたいと願ってる場面であれば昔からいくらでもあるわけだから、特に当てはまらないのでは。神話だとギリシャ神話のティトノス等の方が近いと思います。
2020-08-26 18:55:43@nek0jita 10世紀の中国北宋時代『太平広記』には虎と化して人食いの罪を犯す僧が死を望む「僧虎」の説話があります(自殺願望ですが)これはイレギュラーで、仰る通り、西欧で、理性を重視するギリシャ以来の伝統上でトマス・モア『ユートピア』等を経由して、近年の戦争映画等で普及していったネタだと思います
2020-08-26 22:06:35@nek0jita 中国古典ネタだと異形と化した存在が実は人間で相手が吃驚するというのは唐代の李徴が虎になった話がありますね。日本だと『山月記』として知られていますaozora.gr.jp/cards/000119/f…
2020-08-26 22:17:36@nek0jita フリークスの自死願望は日本含む非西欧だと異形化・自死へのタブーが少なく「物語」として劇的には扱われていなかった感もあります。一方の西欧はカトリック思想のタブーで間接的な語りのみ。という状況が20世紀になって変化して、『ジョニーは戦場に行った』等が生まれた?
2020-08-26 22:28:29@ken_in 仏教説話では異形への変態を伴うものがざらに有りますよね、西洋でもキリスト教以前だと似たテーマの類型は幾らかあるようで、異形と化して死にたいと願うという点ではギリシャ神話のティトノスなどが、近いモチーフなのではないかと思っています。
2020-08-26 22:36:27@nek0jita 変身譚は、古くは、それが必ずしも「悲劇」であり「忌むべき」ことだとは捉えられてない感有りますね。ティトノスも蝉として楽しくやってるみたいですし(笑)仏教なりカトリックなりの宗教観の中で、異形も自死も忌避される中で、その組み合わせの物語が消えていったというのもあるかも
2020-08-26 22:46:57@nek0jita 日中古来の変身譚は、変身してもそのまま気にしてない、鬼になったらなったで自由奔放に人襲ってる系の話が多いと思います。人間ではなく異形になったら「死にたい」という感覚(アイデンティティの喪失が致命的であるという考え)が極めて西欧的・近代的なので、それより以前に類話がない、と
2020-08-26 22:55:34@ken_in メデューサもアラクネも元気に怪物をやってたと思うから、西欧的と言うのは難しいように思う… 一神教的なものが異形やメタモルフォーゼの存在を認めていない状態を背景として、病人や傷痍軍人のような現実の、ある種の異形に相当するような存在に直面した人々が、作り出した描写なのでしょうか…
2020-08-26 23:16:10@nek0jita 軍事・医学の進歩で(それまでは戦場で野垂れ死んでいた)傷痍軍人が大量に社会に存在しだした&個人の自己同一性を重視しだしたというのがどちらも20世紀中盤の西欧で、その二つが混ざった「自分が自分でない(理性による肉体の支配ができない)」傷痍軍人の劇的な物語が生まれたのかもですね
2020-08-26 23:37:35@nek0jita エリクソンが『自己同一性(アイデンティティ)』に関する初の論文書いたのが1950年、『ジョニーは戦場へ行った』が1939年で、この辺りが「自分が自分でない(人が異形となる)」ことが死に至る病(絶望)になった転換点でしょうか
2020-08-26 23:46:03@nek0jita その流れで、1959年の『アルジャーノンに花束を』の「怖い。生が、死が、無が怖いのではない」という記述、理性ある人ではなく異形となり、社会関係含む自己同一性が失われるのが恐怖だと見事に表現しているように思います。彼はもともとが異形であり、異形に戻るにあたり死は望みませんでしたが
2020-08-27 00:01:09