さて続き。教会音楽で、非常に重要なのが、音楽理論が起こってくることです。さて、初期の音楽理論的な場所は神学でした。神学的な理論の中に音楽の理論が含まれていました。
2020-08-27 13:06:57復習しましょう、音楽は神の言葉を伝える媒介と考えられていた、と述べました。また、現存の世界を知ること時代は軽んじられていました。それよりも聖書や神様のことの意思を知ることが重要でした。
2020-08-27 13:09:34神様の研究の中で、例えば弦の比率の響き、が神様がどのような意思を持っているか、宇宙について、の意義についての思索でした。そのような音楽を「神秘」として理解する"musica disciplina(ムーシカ・ディシプリーナ)"が重要視されました。
2020-08-27 13:14:11一方、音楽を単独で理解しようとする研究、"musica sonora(ムーシカ・ソノーラ)"の研究は初期の教会音楽家たちは興味を示しませんでした。
2020-08-27 13:15:06ちょいと用語整理 "musica disciplina"’「音楽の学問」 "musica sonora" 「鳴り響く音楽」 "ars musica" 「音楽芸術」
2020-08-27 13:17:19教会音楽家たちが、"musica sonora"や"ars musica"について考え始めたのはだいたい1000年ぐらいになります。なぜ、それら興味を示さなかった理由は当時の教育もあります。
2020-08-27 13:22:14中世の教育に7つの自由学芸というものがありました。。7つの自由学芸は、3学芸(文法、修辞学、論理学)と、4学芸(算術、幾何、天文学、音楽)に分かれてました。3学芸は意思伝達に関する学問であり、4学問は抽象的思考の学問でした。
2020-08-27 13:26:19面白いことに、音楽は抽象的な4学芸の一つでした。つまり、音楽は芸術とはとらえられてなく、算数のような学問的な訓練だと捉えられていました。その中で、音楽の創造的な理論の展開を考えるみたいな発想が出てきにくいものでしょう。
2020-08-27 13:28:50しかしながら、初期の中世の音楽の理論や実践に”musica sonora"を含んでいなかったとはいえ、教会が西洋音楽の発展の中心でありました。それは、聖歌の編纂、礼拝における音楽の実践を通して、音楽の理論、実践が促されてきたのです。
2020-08-27 13:31:249世紀ごろ、礼拝における音楽の形式が確立されてきました。先ほど述べたように、グレゴリオ聖歌が単純な構造をしています。その理由として、地方でバラバラだった歌い方を統一し、ちゃんと教会で歌えるように単純化したものであったと私は考えています。
2020-08-27 13:43:42しかしながら、それが確立されてくると、私の解釈としては教会音楽家たちはたぶん飽きて、つまらなくなってきたんでしょうね。なので、新しい表現方法が好まれるようになりました。
2020-08-27 13:44:56その新しい表現方法は、大きく2つありました。(1)聖歌の一部にわずかな言葉や音楽を付加する。(2)単旋律から複数の旋律(オルガルム)への音楽の拡大。
2020-08-27 13:47:19さて、予告を回収していきましょう。オルガルムが起こった理由について。教会音楽で会衆が歌うことを考えたら、音痴がいるはずです。音痴は音を外したり、リズムを外したりします。すると自然と多声が発生します。(この多声をヘテロフォニーと言ったりします)音痴の存在が多声への拡大させたのです。
2020-08-27 13:51:34重要なのはヘテロフォニーは教会のみならず、集団の歌唱が起こるのであればどこでも発生したでしょう。その一例として、古来からギリシャ文明でも、似たような歌い方が見られていました。
2020-08-27 13:54:28そして、多声で、西洋で重要なのは、イギリスです。イギリスは早い時期から、多声の実践が行われていて、多声音楽を好む傾向にありました。
2020-08-27 13:56:49さて、そのような多声の音楽の実践、オルガルムは早いころから普及していたのは間違いないと考えます。しかしながら、知的に研究が行われたのは9世紀ごろになってからです。
2020-08-27 13:58:34こう歴史を眺めていくと、音楽は理論が先にあるのではなく、実践が先にあること、その実践を通して、音楽の理解がすすみ、理論が究められていくそのようなものだなと思います。
2020-08-27 14:01:16また、西洋で理論的に発達してきた理由としては、音楽の実践だけでなく、音楽を学問として捉え、研究していくような背景にあったからだと思います。東洋の世界では音楽は実践を究め、伝承していくもので、研究対象としてみなされてなかったのではと仮説を立てています。
2020-08-27 14:04:36さて、グレゴリオ聖歌に立ち戻りましょう。グレゴリオ聖歌は、拍のないリズムと言いました。これは、教会建築が残響が大きいことに由来するものだと考えています。つまり、声が良く響くので「リズム」よりも「ハーモニー」が重要視されたからということでしょう。
2020-08-27 14:07:28そして音律はいまだにピタゴラス音律が使われていました。ということはオルガヌムにおいては、3度音程は現代より広い音高で、とても不協和なので使われなかったと意味します。オルガヌムはユニゾン、5度、4度音程がよく使われていました。
2020-08-27 14:09:36平行オルガヌムと自由オルガヌムの例 youtu.be/Vp8k-UPIMwI twitter.com/rush_noz/statu…
2020-08-27 19:24:19さて、オルガヌムは9世紀ごろから公式に理論が見られ、10世紀、11世紀になって深められていきましたが。詳細は長くなるので割愛させていただきます。そのころは"ars musica"が勢いを増し、他にも、理論的は展開がありました。
2020-08-27 14:13:31もう一つ教会音楽で重要なのは教会旋法の確立でしょう。詳しく言うとこれも長いので割愛しますが、これらは、長音階、短音階の起源になっています。
2020-08-27 14:16:46さらにこの時代で重大なことを忘れていた。この時代に記譜法が発達しました。ネウマ譜ですね。今は録音技術があり、音楽を「伝える」ということに苦労しませんが、昔は、口伝だったり、実践での伝承だったりしています。
2020-08-27 14:20:26