藤代冥砂Twitter福島記

写真家の藤代冥砂さんが福島を訪問した際の出来事をTwitterでまとめておられましたので、それを勝手ながらまとめさせていただきました。 以下、藤代冥砂さんのTwitter福島記を終えた時のコメントです。 続きを読む
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meisa fujishiro @meisafujishiro

福島25::石巻、南三陸を訪れたが、胸がつまる。多くの命を奪った海を眺めると、静かに波を寄せていた。昼食は15時に中央台のいわきニュータウンで。その同じ場所でいわき市に住む母親の方と会う。2歳と4歳の男の子を連れて現れた彼女は、九州に避難移住することを決めた方だ。彼女は会うなり、

2011-07-07 07:58:24
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記26::保育園で配られたプリントを見せてくれた。そこには放射線量を園内20カ所で測定した数値が市の発表の比較と共に印刷されていた。その園は避難中の休園は無料にしてくれたり、お弁当持参も許可してくれたりと、配慮がいき届いている。それでも彼女は二週間後に、夫だけをいわきに残して

2011-07-07 08:05:02
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記27::移住することを決めた。一時はこんな時代に産むんじゃなかったと自分を責めたりもしたが、今は出来ることをしようと決めた。子供がいなかったら移住なんてしなかったとも。子供を守りたいと言っていた友達は、いざ誘うと誰も決心をつけられずに、単独での移住になった。彼女は去り際に、

2011-07-07 08:10:00
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記28::やっぱり変です、と呟きつつ足元に咲くタンポポを指差した。その茎は極端にか細く、花も小さかった。いわき全体で見られる変化らしい。男の子二人は、去っていく私に何度もバイバイを繰り返した。今年の夏は九州の空の下。日没間近になって、郡山へ向かう。ナビの調子が悪く大ざっぱな

2011-07-07 08:16:04
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記29::地図を便りに街灯のない真っ暗な道をいった。予定よりも一時間ほど遅れて、日和田のマックへ。しかしすでに閉店時間。店の外でマスクをつけた待ってた彼女とデニーズへ移動。彼女も店内でようやくマスクを外し、お子さんが通う学校で配られたプリントをやはり見せてくれた。

2011-07-07 08:19:31
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記30::そこには子供の心のケアと題してこんなことが。「保護者のふさぎこんだ気分や不安は、子供の心の不安定さに繋がります。保護者が正確な知識を持ち(流通している食品は安全であること、放射能は感染しないことなど)必要以上に心配しすぎないことが重要です。いじめや

2011-07-07 08:26:54
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記31::心的外傷後ストレス(PTSD)は病院の窓口で御相談ください」 ちなみにこの箇所はホームページからはすでに削除されているらしい。彼女は子供だけをすでに山梨に疎開させているが、夏休み前までという限定があるので、間もなく子供達が戻って来る。震災後は4月になるまで、行政の

2011-07-07 08:32:56
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記32::指導や発表を信じていたが、何か腑に落ちないものを感じ、携帯からいろいろ調べるうちに、多くの事実を知って驚き、とにかく子供達だけはと疎開させた。夏休みは東北の実家で過ごすが、秋以降は郡山に戻るかもしれない。家族そろっての移住は、経済的に苦しくて、見通しがたっていない。

2011-07-07 08:37:36
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島33::また彼女が気にしているのは、土を削除した後での最近の数値。地表よりも地上50センチの数値の方が高く出ている。彼女ぐらい知識や愛情があっても、やはり家族での移住は難しいという事実。震災直後の午後、子供達は潰れた家の下になってしまったと覚悟し、泣きながら帰宅した。

2011-07-07 08:42:57
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島34::幸い無事だった二人の子供は、揺れた時に、神様に祈ったそうだ。ホテルに着いたのは23時。最後のチェックインのお客さまです、とフロントの方が伝えてくれた。その後に10階の部屋で地震。服を着て、貴重品の入ったバッグとカメラ、携帯を抱えてみた。しばらく後に本日終了させた。

2011-07-07 08:48:19
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記35 七夕の昨日は、郡山北西部熱海にで農業をしていらっしゃる藤田浩志さんを訪ねました。彼は8代目の農家であり、野菜ソムリエとして都内でお話をする機会も多いとのこと。落ち着いた話し方、その内容は とても知的で、一般的な農家の素朴で額に汗して働くイメージの上に研究員の風情あり。

2011-07-08 04:55:23
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記36 家の中にお邪魔すると、「あっ、土を中にいれると女房に怒られる」などと呟きながら自らの作業着や長靴に付いた土を裏で払ってから、再び私の前に現れた。放射能との生活を感じさせる何気ない一場面だった。やはり知りたいのは農業を続ける姿勢のこと。それには、幾つか理由があるのだが、

2011-07-08 05:03:23
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記37 震災直後に医師のおじと宮城に入り、撤去作業を手伝っていた時、津波警報が鳴った。その時の、逃げ切れないかもしれない、自分はこれから死ぬのだという、死の淵を経験したことが大きい。幸い誤報だったのだが、生まれて初めて死にゆく自らを高まる鼓動と共に経験した。それが、

2011-07-08 05:09:45
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記38 命を一つもうけた、もらったという思いに繋がった。彼はまだ若いのだが、残りの半生を何に使うと考えた時に、様々な選択肢があった。宮城から戻った彼は、3月16日から30日まで東京へ二歳の子供と妻とで避難し、友人達と語り合う日々の中で模索した。今まで出来なかったことを始める

2011-07-08 05:14:48
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記39 チャンスだとも思えた。だけど、最後には農業を、しかも福島で、と考えた。つまり最も難しい選択をした。「それが一番燃えられると思った」と藤田さんはさらりと言った。こういう時代にこの場所で生まれた自分の使命かな、とも。彼は今、家族と共にいる。人の口に食べ物を運ぶ以上、

2011-07-08 05:17:54
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島40 数値はごまかせない。彼は放射能の知識も確かで、意識も高い。その彼の厳しい目で判断して、これなら出荷出来るという物以外は全部捨てる覚悟で、現在作業を続けている。とにかくやれるだけのことを納得するまでやり続ける。彼が口にした熱海の線量は実際高い。だが全てをつまびらかにして

2011-07-08 05:21:59
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島41 いく覚悟は晴れがましくうつる。彼との会話の途中で、彼のお父様お母様と挨拶を交わしたが、二人とも真面目にこの土地を守ってきた優しさが溢れていた。居間には神棚と仏壇が上下に配置され、庭からの穏やかな風が白いカーテンを持ち上げて揺らしていた。子供を守り、家族を守り、土地と

2011-07-08 05:26:44
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島42 ともに生きようと決めた彼の表情は迷いなく清々しかった。彼の家の前には小学校があり、校庭の土は削除されて遠く向こうに積まれてあった。最近ようやく校庭にわずかな時間だが出れるようになった。藤田さんは、そこの卒業生でもあり、最近はフットサルを生徒達に教えているという。まだ野球

2011-07-08 05:31:49
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島43 の方が優勢な土地で、少年の頃の彼がサッカーを始めた時、そのチームの監督は、藤田さんの父だった。9代目になるかもしれない彼のお子さんにとって、藤田さんはきっと頼もしい父として、傍らに立ち続けるのだろう。帰り際に、うちのです、と手渡されたお米は、冷蔵庫から出したばかりで

2011-07-08 05:36:58
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記44 ひんやりと重かった。 その後は猪苗代湖、会津へ。今回の福島滞在では子供を持つ母や父に会って、話を聞かせていただくことが一つの目的だが、もう一つの目的は、福島の現在を写真に残す事だった。2011年の福島を後のために、というと大袈裟だが、それは自分の勘からすると必要なもの

2011-07-08 05:41:36
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記45 に思えた。震災直後だけでなく、数ヶ月たったあとの風景。それは復旧の姿であり、以前と変わらない美しい山河の姿だろう。そういう思いもあり、普段はあまり撮らない観光地も訪れたかった。猪苗代会津を駆け足で巡り、福島に移動し、福島駅の西口にあるデニーズで今夜も人と待ち合わせた。

2011-07-08 05:49:57
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記46 阿部友弘さんは保険関係で働く34歳。現在お子さん二人と奥さんを県内の喜多方に避難させている。15日に原発関係の人の言葉が伝わって来た。とにかく逃げろ。その言葉に押されて16日には長野にある妻の友人宅に家族で身を寄せた。阿部さんだけはすぐに戻るのだが、他の二人は4月4日

2011-07-08 05:55:43
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島47 まで長野にそのまま留まり、現在は喜多方のワンルームのアパートにいる。阿部さんはテーブルの上に個人用、会社用と二つの線量計を置き、「こういう話を福島でするのは初めてです」と小さな声で言った。ひととおり、現在にいたるまでの経過、両方の親の理解、周囲の反応とのギャップ、

2011-07-08 05:59:44
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記48 依然高い数値などなどを語ったあとで、近いうちに家族で北海道に移住する可能性が高くなった、という言葉でしめた。一人で眠り朝に目覚めると、今でもこのひどい現実が夢ではなかった、と気づかされ、朝から落ち込むこともあるという。妻が高校で留学した時にお世話になったカナダの家族が

2011-07-08 06:05:32
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記49 早く逃げて来なさい、と頻繁に誘ってくれるので、夏には滞在させる予定だという。放射能のない所に行かせることは、浴び続けた細胞を再生させるのに有効だ、と。家族を持ちながら、その大切な家族と離れて暮らす父親の気持ちで共通するのは、やはり一人の寂しさだろう。家族のために働く

2011-07-08 06:10:05
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