市川弁護士(元検事)による自白と物証のつぶやきまとめ

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@TriggerJones42

ツイッターではやや無理があるが、自白についての私見を少し。僕は、目の前に被疑者が自白以外の証拠で有罪だと立証できればそれで構わないというスタンスの検事だったので、自白獲得には執念を燃やした方ではない。ただ、これは僕が自白獲得がヘタクソだったことに端を発している。

2011-07-12 17:41:53
@TriggerJones42

自白なしで有罪と立証することは当然可能である。が、その道のりは平坦ではない。例えば、物証、物証と言われるけれども、物それ自体から判明する事実には自ずと限界がある。物自体はけっして何も語らないから。

2011-07-12 17:43:32
@TriggerJones42

突っ込みが入りそうな咄嗟な例ではあるが、深い刺し傷のある人が大量の血を流して死んでいた側に、包丁が落ちていたとする。解剖すれば、包丁が凶器かどうか、刺し傷の深さと方向などは判明する。また、指紋があれば、誰がその包丁を持ったことがあるのかは推測できる。

2011-07-12 17:45:18
@TriggerJones42

包丁が凶器で、例えば一突きで肋骨を切断して心臓に刺さる深さで、斜め上から斜め下に向かって入ったこと、指紋がAさんという人のものだったとしよう。これだけあれば、極端な話、Aさんを殺人罪で逮捕することは、まぁ、出来ると思う。

2011-07-12 17:47:07
@TriggerJones42

しかし、例えばこの包丁が新品でなく、使い古しだった場合、Aさんが故人を刺した時にその包丁を持っていたかは分からない。まして、例えばAさんが板前さんだったりすると「私は日頃からその包丁使って仕事してますよ(激怒)」となる。Aさんの指紋はあっても、他の人が持たなかったことは分からない

2011-07-12 17:49:58
@TriggerJones42

指紋、指紋とさも犯人である証拠の決定打のように思われるかも知れないが、刑事裁判はそんないい加減なものではない。包丁なんてどこの家にもある。誰だって持つ。そして、誰か素手で持っても、指紋が残らないことは当然にある。指紋が残っている人が包丁を「いつか」持ったことが分かるだけだ。

2011-07-12 17:51:59
@TriggerJones42

そこで、あくまで例えばと断りを入れておくが、Aさんと故人との人間関係とか、Aさんがカネに困っていたかとかを調べる。Aさんには迷惑千万だろうが、こうした捜査の結果、Aさんが犯人ではないと断定できる可能性もあるのだから、捜査自体はやむを得ない(と僕は思っている)。

2011-07-12 17:54:10
@TriggerJones42

そして、裏付け捜査の結果、これまた極端な例にしてしまうが、Aさんが故人を恨んでいたとかの、「動機」を窺わせる事実(証拠)が出てくると、Aさんが犯人である疑いは少なくとも一段階は濃くなるだろう。

2011-07-12 17:56:15
@TriggerJones42

さて、問題はここからだ。「客観的証拠」には、それが客観的であるがゆえの限界がある。が、さりとて客観的証拠の有無を捜査せず、客観的証拠を集めないで被疑者を取り調べるのは下の下の捜査だ。しかし、捜査時点で一応の手を尽くして、かつ、被疑者が有罪ではないかという疑いがあるとき、どうする?

2011-07-12 17:58:08
@TriggerJones42

答えは一応明白と言っておこう。不出来な設例で言えば、客観的証拠を示して、Aさんを「追及」しないといけない。ここで取り調べる側がしくじるかどうかが、Aさんはもちろん、検察の信頼の命運をも左右する。問題提起の形にするが、果たして「追及」とは、どんな尋問であるべきだろうか。

2011-07-12 18:00:54
@TriggerJones42

暴言は論外(爆)。また、ない証拠があるかのように言うのも当然論外。ただ、ある証拠を示すとき、その順番や、どの証拠から示していくかには、証人尋問と同じような技術的問題があろう。なんでもかんでも全部見せていいわけではあるまい。

2011-07-12 18:02:21
@TriggerJones42

問題提起その2。仮に、みなさまが各々想定する程度の「追及」により、Aさんが「私がやりました」と自白したとしよう。「やりました」では全然足りない。むしろ苦し紛れの虚偽自白の危険さえある。だから、さらに「どうやってやったの」「どうやって刺したの」などと「追及」しないといけない。

2011-07-12 18:04:28
@TriggerJones42

端折ってばかりで申し訳ないが、Aさんが「包丁を利き手の右手で、そして素手で逆手に持って、被害者の正面に立って、自分の頭くらいの高さから、力一杯振り下ろして刺しました」と自白したとしよう。これでやっと物証の関係がつながるわけだ。このような意味で、自白が必要なケースはあり得る。

2011-07-12 18:06:37
@TriggerJones42

むろん、起訴→公判活動の一つのスタンスとして、先ほど例示した客観的証拠があれば、即、Aさんを殺人罪で起訴して、後は法廷で「追及」する政策も採り得る。乱暴な起訴は被告人に無用の負担をかけるが、訳の分からない取調にさらされるよりは健全という見方も出来るだろう。

2011-07-12 18:08:25
@TriggerJones42

もちろん、可視化の問題も絡むから、客観的証拠があればさっさと起訴するのはやめて、「まともな取調」をやり、Aさんが犯人であるか否かを捜査段階で解明すべきとの政策もありだ。ただ、客観的証拠はそれだけでは万能ではなく、乱暴な事実認定による起訴を招くリスクはあると思う。

2011-07-12 18:10:40
@TriggerJones42

もちろん、乱暴に起訴して、法廷でAさんを追及して失敗し、無罪判決に至ればそれでいいとも思う。が、ややこしい話をして申し訳ないが、「神の視点」で見て、実はAさんは犯人だった場合もあり得るわけだ。今の僕は、訳の分からない自白で冤罪を生むよりはましだと思っているが。

2011-07-12 18:12:35
@TriggerJones42

ツイッターでは無理がありましたね・・・。言いたいことが伝わらなかったかも知れません。事実認定はどこまで「精密」であるべきか、このスタンスと、被疑者にとってどこまで過酷な取調がなされる危険があるかとは、実は関連していると私は思うのです。

2011-07-12 18:22:34
@TriggerJones42

いつの日か、科学的捜査が発展して、指紋が「いつついたか」が判定できる時が来るかも知れない。そういうことを地道に研究している学者さんもおられるだろう。ただ、仮にそんな研究成果が出たとして、すぐに捜査に導入するのは危険だ。昔のDNA鑑定があてにならない恐ろしさは、足利事件が示している

2011-07-12 18:41:08