- cornelius0321
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②かつてこの河野のような人形師は実在した。熊本出身の松本喜三郎(1825年~1891年)とその周辺の人物である。松本たちの人形は「生人形(いきにんぎょう)」と言われた。
2011-06-19 23:35:18③確証はないが、横溝作品に出てくる本物そっくりの人形は、こうした「生人形」の可能性が高い。映画の『幽霊男』にも、生人形のような工房が出てくる場面があった。
2011-06-19 23:35:06④松本喜三郎について、7年ほど前に大阪と熊本で、初の本格的展覧会が開かれた。 http://t.co/nJhlbAM http://t.co/Gy547Fs
2011-06-19 23:34:48⑥それによると、こうした人形師は「職人」という範疇に属し、大学教授や大御所が支配する美術界からは、蔑視され、黙殺に近い扱いだったという。
2011-06-19 23:34:27⑦生人形は、祭りの見世物として作られ、歌舞伎や怪談話をモチーフにしたものが多く、恐怖に満ちた人形の表情は、とても木製と思えぬほど真に迫っていた。
2011-06-19 23:34:16⑧喜三郎の人形のほとんどは、現在では散逸・紛失してしまった。しかし、「貴族男子像」というのが、完全な状態でスミソニアン自然史博物館に所蔵されている。
2011-06-19 23:34:06⑨この「貴族男子像」、あるアメリカ人の依頼で喜三郎が制作したもので、もとは「貴族女子像」と一対だった。「男子像」は頭から足先まで人間そっくりで、本物の人毛を使うほどの徹底ぶりだった。しかし、「女子像」のほうは、「消失してしまった」のだそうだ。
2011-06-19 23:33:56⑩しかし、これに関して図録には「惜しむべきは失われた女子像の行方である。男子像の完璧な保存状態を考えれば、女子像が大破によって消失したという理由にリアリティがない」と書いてある。
2011-06-19 23:33:45⑪さらに、「ならば、その女子像の大破とは、何ゆえのものだったのか。人体標本以外の機能について、その消失が語るものこそ、生人形の存在の本質を開示するような気がしてならないのだ」とも書いてある。
2011-06-19 23:33:35⑫真実というのは、「文字に書かれたこと」よりも「書かれなかったこと」のほうにあることも珍しくない。私もこれ以上書くのは控えるが、おそらくは今も誰かが所有する「女子像」が「どのような使われ方をしてきたか」が垣間見える。
2011-06-19 23:33:26⑬そして「このような人形の使い方」がしばしば横溝作品にも出てくることを考えれば、あながち作者の創造によるものではなく、「人形」に関する珍奇な事件がはるか昔の日本や海外にあったのではないかと思われる。だとすれば、小説よりも恐ろしい話である。<この話題終わり>
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