-
0sak1_m1d0r1
- 2090
- 2
- 0
- 0
![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p18)
2021-01-14 16:07:56![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あたしがここでは落ち着いたしっかり者というイメージで通っているように、もしかするとみんな実体は少しずつ違っているのかもしれない。それでも半分フィクションの自分でかかわる世界は優しかった。皆が推しに愛を叫び、それが世界に根付いている。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p20)
2021-01-14 16:18:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p21)
2021-01-14 16:22:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『推し、燃ゆ』のあかりの回想で、姉が「なんで九九やアルファベットをいえてないあかりがお風呂あがれるのずるい!」みたいなことをいった場面は結構象徴的だと思う
2021-01-14 16:44:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。脈もないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒見てるのとか。見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。 (『推し、燃ゆ』文藝p30)
2021-01-14 16:52:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p31) このあたり面白いなあ。
2021-01-14 16:53:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p34)
2021-01-14 17:01:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
午後、電車の座席に座っている人たちがどこか呑気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれてるからだと思う。自分から動かなくたって自分はちゃんと動いているっていう安堵 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』p36)
2021-01-14 17:13:56![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
最後の瞬間を見とどけて手許に何もなくなってしまったら、この先どうやって過ごしていけばいいのかわからない。推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p49)
2021-01-14 17:38:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
なぜあたしは普通に、生活できないのだろう。人間の最低限度の生活が、ままならないのだろう。初めから壊してやろうと、散らかしてやろうとしたんじゃない。生きていたら、老廃物のように溜まっていった。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p53)
2021-01-14 17:51:45![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。 (宇佐見りん『推し、燃ゆ』文藝2020秋号p54)
2021-01-14 17:53:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『推し、燃ゆ』には、干渉される鬱陶しさとか、普通に生活できない戸惑いとか、「頑張らなきゃいけない」息苦しさとか、そういうネガティヴなことがたくさん出てくるんだけど「推す」というどこまでも純粋な行為のエネルギーがテクストに通ってて、読んでて気が滅入らない。
2021-01-14 18:20:43![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『推し、燃ゆ』の中で語られる「推し」は豊かな生活の清涼剤としてじゃなくて「生活」していくための「推し」。「推し」がいなくなった彼女は「背骨」を抜かれ、立ち上がれない。生活できない。
2021-01-14 18:25:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「皺」も『推し、燃ゆ』を読む上で重要なんだろうな。「皺寄せがくる」の「皺」、バイト先の店長の「皺」、おばあちゃんの顔の「皺」
2021-01-14 18:30:52