Tamejirou
@Tamejirou
尤も、庄屋の「面倒見てやる」は「不作の年には高利で金を貸してやり、返せなくなったら娘の身売りを斡旋してやる」だったりするから割り引いて考えないとな
2016-02-22 18:03:39
Tamejirou
@Tamejirou
父と叔父はそれぞれ祖父が38歳と46歳のときの子で、祖母とは5歳差だったはず。復員後、割りとすぐに結婚したはずだが、1952年まで子供ができなかったので当時の不妊治療を受けていたともいう。そんな祖父母夫妻。
2016-12-13 13:52:01
Tamejirou
@Tamejirou
1914年生まれのうちの祖父は9人兄弟の末っ子で、1919年生まれの祖母も9人兄弟。表彰を狙ったけどダメだったパターンなのか、単に農村ではそれが普通だっただけか。
2017-05-11 12:28:20
Tamejirou
@Tamejirou
ワイの父親がカルトにハマらなかったのはしかし、そういう素養のためというよりは、幼い弟(ワイの叔父)の手を引いて布教に勤しむ母親(ワイの祖母)の姿を見ていて半ば嫌悪していたから、なんてことも考えられるな
2019-09-03 08:51:54
Tamejirou
@Tamejirou
ごく僅かな折を除いては俺ら兄弟を無理やりカルトから脱出させようとしなかったのも、「いずれ年頃になれば蒙は啓ける」という確信めいたものでもあったのかもしれんなあ
2019-09-03 08:53:33
Tamejirou
@Tamejirou
祖父さんが80で死んだ時、父親は41だったんだよね。じいさんは32で終戦・復員して結婚、不妊でなかなか子供が生まれず、長男の父親が39歳のときの子。次男の叔父は更にその7年後なので46のときの子。叔父さんが大学入ろうという歳に64。26歳の兄が学資を出すのはまあ不可避だったわけだ
2019-10-30 11:05:34
Tamejirou
@Tamejirou
@raurublock 祖母が郷里の福島から離れて嫁いだ先の千葉で、佼成会に入信して熱心に活動していたのを思い出しました。
2020-09-06 10:59:52