水無月さんの俳諧武玉川論

『俳諧武玉川』についての水無月さんのご意見。
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水無月とび @milan_en_juin

「武玉川は五七五または七七の短詩です。俳句が俳諧連歌の発句から生まれ、武玉川は平句から生まれました。」て説明は、『俳諧武玉川』の出版=ジャンルの成立、と誤解させるので良くない。「武玉川」なんてジャンルとして成立してないので、俳句の成立と並べるのは無理。 #武玉川

2011-07-17 18:58:45
水無月とび @milan_en_juin

『俳諧武玉川』と『土屋耕一の武玉川』はずいぶん違うし、ツイート武玉川に投句されてる七七句の多くはその両方から縁遠いよ、というのが私の判断。 #武玉川

2011-07-18 18:26:53
水無月とび @milan_en_juin

たとえば渡辺信一郎『江戸川柳』(同時代ライブラリー) だと、古川柳の原典として『誹諧武玉川』が挙げられていたりします。もちろん、川柳的な見方に回収されないものが武玉川にあるとして、近現代の川柳史で『誹諧武玉川』がどう読まれてきたのかを踏まえるのもだぶん重要なこと。 #俳諧武玉川

2011-07-19 12:31:46
水無月とび @milan_en_juin

十四字詩だとか川柳誌『武玉川』のことは十分承知の上で、それをちょっと伏せながら七七句で遊んで見せたのが土屋耕一という人の粋だったのかな、という気もしないでもない。確証はないですけど。 #武玉川 #俳諧武玉川

2011-07-19 12:47:04
水無月とび @milan_en_juin

土屋耕一の七七句でこういうのがあります「店先くらい掃けと言いたい」。さて、こういう句風は俳諧武玉川にあっただろうか、と思ったりします。あとたまにある一字あまりも気になる。土屋耕一の武玉川が俳諧武玉川から一歩はみ出ている部分もあるような気はするのです。 #武玉川 #俳諧武玉川

2011-07-19 12:50:48
水無月とび @milan_en_juin

たしか中山千夏さんがかつて「詩聖などない武玉川よし」という風な句のつぶやきをしてたと思いますが、『俳諧武玉川』に慶紀逸という選者はいて、とうぜん俳諧の規範とか理想となる作品とか俳諧史上の模範的な俳諧師があって成り立ったものには違いないのですよね。 #武玉川 #俳諧武玉川

2011-07-19 13:18:54
水無月とび @milan_en_juin

あるきっかけから、 #俳諧武玉川 は「前句付けの句集」という説明を見かけて、初めそこに何の疑問もいだかなかったのだけど、そういう断定は、文学史家でも特定の人が始めた説らしいと後で気がついた。田辺聖子さんの本も、そのあたり慎重に断言を避けてたと思う。

2011-07-21 19:17:51
水無月とび @milan_en_juin

ところで、土屋耕一の #武玉川#俳諧武玉川 から逸脱しているかも、と書きました。その逸脱が、誹諧武玉川の延長であると言えるなら、ツイート武玉川の多くの句を、『誹諧武玉川』と『土屋耕一の武玉川』を結ぶ線の先にあると言っても良いのかもしれません。時事句の山も含め。 *Tw*

2011-07-21 20:57:32
水無月とび @milan_en_juin

たとえば潁原退蔵は、川柳の源流は前句附けよりも江戸座俳諧の高点付け句集である、として『誹諧武玉川』はあくまで俳諧の連句から秀逸な付け句を抜き出した書であるとみなしている。麻生幾次も同様の主張をしていて、岩波文庫版の解説もそれを踏まえている。川柳界でも通説のようだ。 #俳諧武玉川

2011-07-22 21:37:10
水無月とび @milan_en_juin

それに対して、武玉川の母体を前句付けと見て良いと論じているのが鈴木勝忠『川柳と雑俳』という本。でも、状況証拠しか挙げてないみたい。鈴木勝忠さんは「芭蕉ばっかり褒めないで庶民の句を評価すべき」という、雑俳再評価をしたい人なので、偏った見方なのかなと思います。 #俳諧武玉川

2011-07-22 21:49:38
水無月とび @milan_en_juin

いずれにせよ #俳諧武玉川 が前句付けと深い関連があるのは確かで(じゃないと混同もされない)、小西甚一の『日本文学史』でも、江戸座俳諧高点付句集としてとりあげつつ、『武玉川』への言及は「前句付けから川柳へ」という説明の文脈の中に収まっている(学術文庫p.161)。

2011-07-25 16:36:24
水無月とび @milan_en_juin

さて、 #俳諧武玉川 が、前句附けや雑俳に近いか、俳諧連句に近いかという話にちょっとこだわるのは、一句立ての七七句を俳諧の伝統などおかまいなしに気ままに楽しむか、俳諧の伝統をふまえて嗜むなり打ち込むなりするか、態度がそこで大きく別れると思うから。

2011-07-26 20:06:51
水無月とび @milan_en_juin

#俳諧武玉川 に載っている句はほとんどウェブで読める(解説もついてくる)のだけど、序文までは読めない様子。俳諧武玉川の序文、大事です。

2011-07-27 21:00:44
水無月とび @milan_en_juin

「芭蕉翁桃青、初めて貫之・躬恒の本情をさとし、李伯・杜子美か骨髄を得られてより、此道の正風に眼を開いて、中興の開祖となり…」 #俳諧武玉川 初篇序文から引用。

2011-08-08 11:05:15
水無月とび @milan_en_juin

この序文を見る限り「 #俳諧武玉川 」にも「詩聖あり」なのです。

2011-08-08 11:15:23
水無月とび @milan_en_juin

#俳諧武玉川 の初・序の趣旨は、芭蕉は古今集や唐詩を模範にして俳諧を再興した、その流れに自分も則ってますよ、ということ。俳諧連歌の正統に連なるなら和漢の詩歌のカノンが参照されるのは当然。ちなみに詩仙と言えば李白、詩聖と言えば杜甫、だそう。「杜子美」は、芭蕉も持ってた杜甫詩集とか。

2011-08-08 11:29:28
水無月とび @milan_en_juin

「当時流行して居た前句附け集は小本型であり、必ず前句を掲げて居たが、高点附句集の『武玉川』が前句附集と同じ小本型をとり、しかも前句を全く省いてしまったことは、江戸人士の時好に投じた。」岩波文庫版『誹諧武玉川』解説(一巻 p.4) #俳諧武玉川

2011-08-11 17:23:18
水無月とび @milan_en_juin

俳諧(連句)の集でありながら、前句付け集の体裁で出版されたことで江戸っ子にウケた #俳諧武玉川 。つまり、都会風の流行に乗っていた。芭蕉的俳諧からの堕落として雑俳扱いされる所以も、そのあたりにあるんだろう。

2011-08-13 22:17:18
水無月とび @milan_en_juin

俳諧連句の附け句集である #俳諧武玉川 が前句付け句集の体裁で出たというのは、つまり、都市的な流行の感性を取り入れる気風があったということ。それが、上方との差別化を意識しつつ、江戸座の最先端を自負する、ということなんだと思う。『武玉川』となり『燕都枝折』となる所以。

2011-08-22 10:44:07
水無月とび @milan_en_juin

「ツイート #武玉川 」で古典文法もどきな言葉をためらわずに使う人が多いのは、定型詩を懐古趣味と切り離せないからなんだろうな。詩の伝統をプリズムにして流行の感性を定着しようとするのが #俳諧武玉川 の精神だったと思う。やわな懐古趣味は、武玉川の名を冠するのにふさわしくないはず。

2011-08-23 15:52:24