Bear Flag Rebellion - RBT
ふたたび1846年5月末。メキシコ合衆国アルタ・カリフォルニア。サッター砦のアメリカ人入植者のもとに、密かに海兵隊のガレスピー中尉が到着。ワシントンはメキシコとの開戦やむなし、いざ戦争となれば、カリフォルニアを制圧する方針であることが伝えられた。 pic.twitter.com/aKPTnIhUnG
2021-02-23 15:51:53イベントは太平洋の嵐。モントレーとサンディエゴの沖合いで待機するUSSポーツマスとキャニーの図。 pic.twitter.com/G7drg7tcit
2021-02-23 16:02:14ガレスピー中尉は、西海岸唯一の米陸軍部隊であるフレモント大尉の地理工学兵団の呼び戻すため、オレゴンへ。同兵団はサクラメント川付近で、ウィンツー族の討伐の任についていた。合流したフレモントは、植民者民兵への協力を快諾。 pic.twitter.com/WCifD7Ysln
2021-02-23 16:12:451846年6月上旬。アメリカ人植民者たちは、フレモント隊の帰還を待って蜂起するべく密かに根回しを進めた。またワシントンではオレゴン条約が批准され、カナダとの勢力圏が確定。イギリス介入の懸念は払拭された。 pic.twitter.com/8GIE5FxaS9
2021-02-23 16:22:29その頃のオレゴン。フレモント隊は「サクラメント川の虐殺」に火を付けられた先住民の反撃に曝されていた。火力とガレスピー中尉の活躍で、辛くも虎口を脱する一行(この+2修正がなければ死んでいた pic.twitter.com/cDPyIFcpe3
2021-02-23 16:28:46フレモント隊の後詰めを得た植民者たちは、赤熊の旗を掲げてソノマのメキシコ知事舎を襲撃。バレーホー将軍を拘束した。フレモント隊はマーフィー農場で馬を徴発。アメリカのランキン領事は、サンフランシスコ湾に到着したUSSレバントに保護を求めた。 pic.twitter.com/MPKfVpKFma
2021-02-23 17:04:01バレーホー将軍を捕縛されたメキシコ軍は、近隣の騎兵と将軍に友好的なソラノ族による奪回作戦を実施。ソノマ砦にこもるベアフラッグ隊は、なんとか此を退けた。 pic.twitter.com/YV8pQmZMU6
2021-02-23 17:24:05ここ、攻城戦の「勝利」の定義が不明確。通常の野戦の手順で、防御側退却相当の結果で「勝利」として処理。また両軍不在の港湾を、補給源として使用できるか問題が。緩いゲームなので、ここは利用可能とした。支配の定義無いよね?
2021-02-23 17:31:201846年6月下旬。モントレー湾にUSSサヴァナが到着。しかし開戦の知らせはまだ届かず、海軍は介入できず待機中。また先に馬を徴発したフレモント隊は、志願者を加えて部隊を拡大。 pic.twitter.com/EF8TKdptYk
2021-02-23 17:41:00前ターン、両軍の補充ステップを忘れていたことが発覚。これはベアフラッグ隊に使えたので、メキシコ側の反撃は戦力的に無理だった模様。今回は続行。
2021-02-23 17:43:09フレモント隊がソノマ砦の攻囲を解放。ベアフラッグ隊と共に、サンフランシスコ周辺の掃討戦に。USSサヴァナは南下し、ロサンゼルスの外港、サン・ペドロへ。スロート提督は、主要港に対する封鎖の準備を完了。 pic.twitter.com/3T1v6wYVVW
2021-02-23 17:53:421864年7月上旬。サンドイッチ諸島(ハワイ)にストックトン提督率いるUSSコングレスが、開戦の知らせとともに到着。これで米海軍も行動の自由を得た。イベントはメキシコ軍の海輸補充のため、タッチの差で発動した港湾封鎖が、さっそく功を奏した。 pic.twitter.com/hwSxSjJ5mF
2021-02-23 18:05:49というところで夕飯コールにてゲーム終了。クマ共和国側は、あと4ターンで南端のサンディエゴまで制覇しないといけない。モントレーまではフレモント隊とベアフラッグ隊で何とかするとして、サンタ・バーバラ以南は海軍頼みだなぁ。
2021-02-23 18:15:09Bear Flag Republic : RBT 2021/02/23 yaminabe.air-nifty.com/blog/2021/02/p… 前半シナリオを序盤3ターンのみ。ちなみにカリフォルニア共和の興亡は1846/6/14-7/9ですので、だいたいこのへんで終了です。
2021-02-23 22:50:46