2021.02.28「NHK大河ドラマ 青天を衝け」(3)「栄一、仕事始め」放送後の桐野作人先生による解説ツイート

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桐野作人 @kirinosakujin

今夜の大河「青天を衝け」第3回。このドラマは脚本と時代考証がかなりしっかりしている気がする。また渋沢栄一と徳川慶喜のストーリーを並列的に描いているのも効果的で、いつか両者が交わるのだろうと予感させる。今回、平岡円四郎が本格的に登場した。渋沢と慶喜をつなぐキーパーソン。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:21
桐野作人 @kirinosakujin

渋沢のことはあまり詳しくないので、今回は慶喜に絞って。慶喜の養親となった将軍家慶の病床に慶喜が籠に入ったカナリアを持参したとき、以前頂戴した旨を述べていたが、これは史実。慶喜が一橋屋形相続のとき、大奥で家慶に拝謁して、ヤマガラ・ウグイスとともに拝領したもの。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:21
桐野作人 @kirinosakujin

病床の家慶が慶喜の父、水戸斉昭を嫌いだったが、慶喜を見て、斉昭は悪い人ではなかったかもしれないと告白。家慶と斉昭の仲は決して良好ではなかったが、後継問題で気弱になっていた家慶が子だくさんの斉昭に頼らざるを得なくなっていたのも事実。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:21
桐野作人 @kirinosakujin

将軍家慶も父将軍家斉ほどではないが、子だくさんで27人の子女を儲けた。しかし、男子14人のうち、世子家祥(のち家定)以外はすべて早世し、しかも、家祥も虚弱で子ができそうもなかった。家慶は後継問題という将軍家の重大な危機を感じており、家祥に養嗣子を迎えるしかなかった。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:22
桐野作人 @kirinosakujin

白羽の矢が立ったのは水戸家で、斉昭秘蔵の七郎麿を迎えることになった。かといって、七郎麿が英明だからという理由ではなかったようだ。家慶側近の朝比奈昌広(のち閑水)によれば、七郎麿は水戸にいたから、家慶がその英明を知らなかったからだという。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:22
桐野作人 @kirinosakujin

次に、後継不足に悩む将軍家慶は斉昭の歓心を買うしかなかったからだという。さらに当時、もらい子を育てればじつの子のようになるという縁かつぎが大奥で広まっており、家慶の妹で水戸斉脩(斉昭の兄)の廉中、峯寿院が七郎麿のことを吹聴したことが家慶の耳に届いたことも一因という。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:22
桐野作人 @kirinosakujin

七郎麿が一橋屋形を相続したとき、父斉昭が吉子夫人に、七郎麿が将軍になるかもしれぬと喜んだ場面が前回?にあったが、斉昭の心境はそうだったらしい。斉昭は朝比奈昌広の父昌寿に御礼と色紙を贈っているが、それに「棹て行く棹の取り手の渡し船 思ふ方にも疾く着きにけり」とあった。#青天を衝け

2021-02-28 21:10:22
桐野作人 @kirinosakujin

和歌の心は、渡し船の行き先は将軍ということだろう。将軍家慶は七郎麿が早世した五男初之丞(一橋慶昌)とおもかげがよく似ているのも気に入ったらしい。これも前々回くらいの場面で家慶が七郎麿に告げていた。 #青天を衝け

2021-02-28 21:10:23
桐野作人 @kirinosakujin

今夜の大河「青天を衝け」第3回。一橋慶喜が自分は将軍になれないし、興味もないと述べて、父斉昭を落胆させた件。将軍家慶が慶喜を気に入っていたのはたしかで、たびたび一橋屋形を訪れ、しかも長時間滞在したという。また鶴御成供奉というイベントがある。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:19
桐野作人 @kirinosakujin

これは禁裏が毎年正月に行う鶴の包丁式に献上するために、将軍自ら鶴を狩る鷹狩のこと。家慶はこれに慶喜を連れて行くと宣言した。鶴御成供奉には通常、将軍世子が同行するから、家慶は慶喜を将軍世子同様に扱ったことになる。これは幕閣に小さくない波紋を広げたらしい。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:19
桐野作人 @kirinosakujin

この一件からしばくして、側用取次の平岡道弘が将軍家慶の意向を汲んだのか、老中阿部正弘に慶喜を家祥の養嗣子にする件を打診したところ、阿部は時期尚早と答えたという。一方、慶喜自身も自分が将軍継嗣に擬せられていることを承知していたらしい。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:19
桐野作人 @kirinosakujin

『昔夢会筆記』で慶喜は、家慶が自分を西ノ丸に入れようとする思召があると言いはやすのを聞いていた」と珍しく語っている。しかし、公式に慶喜を世子家祥の養嗣子にする話は幕閣で政治日程に上がらなかった。しかも、ドラマであったように、ペリー艦隊が浦賀にやってきたからである。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:20
桐野作人 @kirinosakujin

ドラマであったように、幕閣はその対応に追われ、老中阿部はあらゆる階層に意見を求めた。その混乱のなかで、将軍家慶は逝去し、61歳の生涯を終える。由ニ部自身は性格的に自己韜晦の人で、本音を語ることを忌避する。それは斉昭の子としてどれほど危険なことか承知していたからだろう。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:20
桐野作人 @kirinosakujin

こののち将軍継嗣問題が取り上げられるだろうが、慶喜はその渦中に好むと好まざるとにかかわらず、ますます幕閣の動向や政局から距離を置こうとする。今回は、松平慶永も登場しました。こちらもイケメンの要潤。いつぞや村上弘明も演じていたし、イケメン枠のようです。活躍が楽しみです。#青天を衝け

2021-02-28 21:33:20
桐野作人 @kirinosakujin

訂正 ✖縁かつぎ ○ゲン担ぎ 目が悪くなって誤変換が多いです。お許しを。 twitter.com/kirinosakujin/…

2021-02-28 21:42:56
桐野作人 @kirinosakujin

@aoba_mandolin これも誤変換でした。 慶喜です。

2021-02-28 22:28:25
桐野作人 @kirinosakujin

昨夜の大河「青天を衝け」第3回。冒頭、渋沢栄一と従兄の渋沢喜作が語り合う場面で、喜作が栄一の父、市郎右衛門の勤勉ぶりを『伊曾保物語』のアリとキリギリスの寓話のアリのようだと喩えていた。同物語は秀吉時代には伝わっている。この場面は創作なのか、自伝などに典拠があるのか? #青天を衝け

2021-03-01 12:12:34
桐野作人 @kirinosakujin

もし安政年間に中井弘と渋沢栄一が交流していたとしたら大変面白い。あと、これまた薩摩脱藩士の伊牟田尚平も尾高惇忠や渋沢と交流があり、高崎城乗っ取り計画などに関与した可能性もあり。 また広田精一との交流は宇都宮の藩儒、大橋訥庵の影響もあるのかもしれない。 #青天を衝け

2021-03-01 12:03:58
桐野作人 @kirinosakujin

その連中が近隣の者ではないのに注目。自伝には薩摩の中井弘、長州の多賀屋勇、宇都宮の広田精一・戸田六郎などの名前を挙げている。その時期は不明だが、記事の前後関係から安政年間か。個人的には中井弘の名前が出てきたのに注目。彼は薩摩では珍しい脱藩士。その活動は不明な点が多い。#青天を衝け

2021-03-01 12:03:58
桐野作人 @kirinosakujin

昨夜のドラマで村名ははっきりしなかったが、藍を大量に買い付けた場面は、この自伝の記事を参考にしたのだろう。渋沢の自伝『雨夜譚』は口述筆記でなかなか面白い。 また渋沢はペリー来航という混乱する時勢にも敏感だった。自伝には書生連と時事を談論したとある。#青天を衝け

2021-03-01 12:03:58
桐野作人 @kirinosakujin

渋沢少年は耄碌した祖父と一緒では恥ずかしいとばかり、祖父と別れて、一人で横瀬村から新野村を回る。百姓たちに子どもだと侮られたが、「肥料が少ない、肥料が〆粕ではない、乾燥(乾し)が悪い、茎の切り方が悪い」とか弁じて、新野村(上州か)の21軒の藍をすべて買い取ったという。#青天を衝け

2021-03-01 12:03:57
桐野作人 @kirinosakujin

昨夜の大河「青天を衝け」第3回。渋沢少年が信州に出かけて藍葉の買付をする場面があったが、自伝『雨夜譚』をうまく加工していた。ペリー艦隊が来航した嘉永6年(1853)、折からの旱魃で一番藍は不作だったが、二番藍は豊作だったとある。渋沢は祖父とともに上州方面に藍の買付に行く。#青天を衝け

2021-03-01 12:03:57