脱・レポート宣言(第二弾)

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書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑪】臨床場面(現象)を理解するためには、現象をより捉えやすい諸要素に分解し、各要素間にどのような関連があるかを吟味するという「微分論」が必要なのだ。そのためには、レトロスペクティブに経過をまとめるというレポートは全く逆の発想であることに気づくべき。

2011-07-27 08:59:32
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑫】このような考え方(脱・レポート宣言)は、眼前の現象の捉え方を方向づけるという発想になり、Assessment(作業療法の効果判定)を進めていくためのエネルギーになる。つまり、拡散的思考が促進される、学生にとっては机上では学べないことが体験できるのだ。

2011-07-27 09:02:26
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑬】脱・レポート宣言は「概念枠組み(Conceptual framework)」」であるが、これは作業療法実践枠組みと同義と捉えても良い。「レポート評価優先信仰」のSVは、臨床教育における適切な概念枠組みを設定し、その設定理由を説明することが困難なようだ。

2011-07-27 09:04:49
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑭】作業療法で行う「作業」がもたらす効果や影響すべてを予測することはできず、この偶然性を対象者と学生が共に味わい、「作業療法も捨てたもんじゃないな・・・」と思えるところが臨床実習(教育)の醍醐味である。これは具体的体験であり、紙面上では絶対に味わえないのだ。

2011-07-27 09:08:20
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑮】レポート信奉者は、「学生にはトップダウンは難しい」と言う。だからといって、「学生はボトムアップ」という論理には繋がらないはず。紙面上の解釈はいくらでも加筆修正できるが、担当患者にはそれができないことは当然だ。そこに時間を割くのではなく、今の現象を重視すべき。

2011-07-28 10:37:48
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑯】権威主義的指導者と学生の緊張関係は、学生の対患者関係に投影されることが多い。このような状況下で、「レポート作成」と「(指導という名目での)レポート指導」では、その関係性はより一層強化されるだけだ。結果的に「辛い実習」となり、それが次の権威主義を生む。

2011-08-01 16:32:37
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑰】エビデンスという概念を、単に客観性としか捉えていない指導者は少なくない。眼前の現象は数値だけでは語れず、バイアスに溢れている。この手続きに厳密性が求められるのが「効果判定」であるが、これにはレトロスペクティブなレポート作成は全く寄与しないことは明白だ。

2011-08-01 16:37:50
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑱】CCSを導入するにしても、担当患者制を継続するにしても、それは実習形態の違いであって、「臨床教育の本質」は共通なのだ。学生は「考えながら学ぶ」のであり、「考える」という原理原則を「道具」として使いこなすことが臨床教育醍醐味だろう。この体験こそが重要なのだ。

2011-08-01 16:48:41
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑲】「レポート指導は伝統だ」というレポート信奉者は、「伝統とは、進歩・成長・発展をやめた瞬間から伝統は始まる」ということを理解していない。つまり、「流動的な現象を須く受け止める多種多様な方法論を持っていない」と公言しているのと同義だ。レポートは異質な伝統なのだ。

2011-08-01 16:59:10
書彦 @fumitter88

【脱・レポート宣言⑳】臨床場面では積分的な発想は往々にして、相手の不興や離反を招くことが多い。「今、ここで」という微分的発想が不可欠だ。それはポートフォリオにはなっても、時系列的な整合性を伴うことはない。時間横断的な紙面上の俯瞰ほど、臨場感に乏しいものはない。レポートの限界だ!

2011-08-01 17:05:38