入江写真集「昭和の奈良大和路」からはじまって、奈良人の地元愛の無さへ
- sarukame999
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「昭和の奈良大和路 入江泰吉の原風景 昭和20~30年代」http://amzn.to/o0qd1F : 入江泰吉のこの小さな写真集には、昭和のなつかしいものがぎゅっと詰まっている。当時は日本のどこにだってこんな町角があった。貧しくてもしあわせな日々だった。
2011-07-22 23:56:23入江泰吉のこの小さな写真集のなかの、どの町角も美しい。どこまでも続く町屋の甍の波には涙が出そうだ。奈良はきっと、いまが一番美しくない。高度経済成長が作ったいまの風景は醜い 「昭和の奈良大和路 入江泰吉の原風景 昭和20~30年代」http://amzn.to/o0qd1F
2011-07-22 23:59:31「美」のあるところに、ほんとうの豊かさはあると思う。「昭和の奈良大和路 入江泰吉の原風景 昭和20~30年代」http://amzn.to/o0qd1F 人々の心は、きっとずっと豊かだった。
2011-07-23 00:00:30泣きたいほど美しくてなつかしいこの風景は、ほんの50〜60年前まで、すぐそこにあったもの。わたしたちがこの風景をぶち壊しにした。「夢の原子力発電所」も、このころにはまだ日本に一つもなかった「昭和の奈良大和路 昭和20~30年代」http://amzn.to/o0qd1F
2011-07-23 00:03:52農村も、かつてはどこも里山の風景があり、美しかった。それを「高度成長」が破壊した。「美」のあるところに、ほんとうの豊かさはある。わたしたちはいま、ほんとうの意味で豊かなわけではない。
2011-07-23 00:11:56展覧会いきましたし本も買いました 良い時代だったと思います だけど今が良くないとは思いません なぜ奈良に来られたのでしょうか?/_ryomichico
2011-07-23 02:22:42奈良の風景や仏像を愛した写真家・入江泰吉さんは、昭和20年代~30年代の奈良の町角の風景を撮影しています...『うつろいの大和―入江泰吉作品と今』 ☆5 http://bit.ly/pDvO6R by ブクログ
2011-07-28 22:16:03素敵な一枚! RT @t80935: 雨上がりの奈良町の路地。奈良町は路地好きにはたまらないエリア。 http://instagr.am/p/I3l2U/
2011-07-30 18:26:55入江さんの「昭和の奈良大和路」は昭和30年前後の奈良県内を写した白黒の写真集だが、その奈良市版が「古都の暮らし・人」の図録といえるだろう。当然、両者には重複掲載の写真も多いが、同じ所だけど別の角度かなというものもある。 どちらも貴重な記録であると共に見て楽しい。#昭和の奈良
2011-07-31 10:14:41『大和路」の方は、田園風景が多いのでそうでもないが、「古都」の方はその写真の多くに「子供」の姿が映っている。当時、たしかにまちなかには子供の姿が絶えなかったのだろう。先日の @t80935 さんの写真に心ひかれたのは、それもあるかも知れない。#昭和の奈良
2011-07-31 10:35:22写真に写る「子供」たちよりさらに少し年下になると思うが、実際にあの時期の奈良に生きた目から言うと、名写真家の白黒写真によって美しく切り取られた当時の奈良をそのまま賞賛することには違和感がある。茶色と黒で覆われた所に、進駐軍のケバい彩色が混じっていたのが奈良の町だった。#昭和の奈良
2011-07-31 10:44:56両方に出てくる写真だけど、現代で見ていちばん「え!」と思うのは、飛火野で弁当持ちの宴会風景だろう。スーツ着て楽しそうにしているうしろには、新聞紙などゴミが散らかっている。今ならありえないが、あのころの「ゴミ」はみな「自然に還った」かも。新聞紙、折り箱、割り箸、バラン。#昭和の奈良
2011-07-31 11:08:18南城戸町「悲田院」に関する事情もかなり詳しく書かれている。しかし建築博は中止、「ならまち郷土館」の事業は止まったまま。RT @nara_naka .『うつろいの大和―入江泰吉作品と今』 ☆5 http://t.co/vn2o792 by ブクログ
2011-07-31 12:35:49.『うつろいの大和―入江泰吉作品と今』 http://t.co/BHGsOaP は、入江さんの1950年代の写真と朝日の奈良支局が1990年代に同じ所で撮影した写真を対比させて「大和の風景の移ろい」を表わしたもので1994年の出版。#昭和の奈良
2011-08-01 01:03:34@nara_naka .さんのツイから早速入手した「うつろいの大和」は記録資料としての価値は認めるのだが「入江写真をネタにして奈良の変化を嘆く」以上のものとは思えない。朝日と「かもがわ出版」が組んでシルク博と共に進行した奈良の変化に批判の目を向けるのが目的に見える。#昭和の奈良
2011-08-01 01:23:25一年半、64回の連載時に、特定の場所に偏しないよう取上げたと思われる撮影地点をそのままの順でまとめたようで、奈良も斑鳩も橿原も飛鳥もバラバラに突っ込まれている。見て「奈良に行きたくなる」というより「これだけ変わってるのに行きますか?」と言うような。「うつろいの大和」 #昭和の奈良
2011-08-01 01:36:06せっかく記録的な価値も高い企画なのに、本当に奈良を愛する気持ちで作ったなら、せめて地域別に整理して「じゃあこの目で確かめてやろう」という気持ちが起きるようにできなかったものだろうか。当時の朝日奈良支局はシルク博での県政との対立を引きずっていたのか。「うつろいの大和」 #昭和の奈良
2011-08-01 01:43:06入江さんの1950年代の写真から、単純に「その後の姿」と思って手にした本だったが、余計なことも思い出させた。 http://t.co/BHGsOaP シルク博はたしかに #昭和の奈良 の最後の出来事だった。 当時NHKと組んだ上田県政に対して朝日新聞は執拗に批判を行っていた。
2011-08-01 01:55:30奈良版とはいえ64回も連載した企画を、朝日の本社からではなく左翼寄りという「かもがわ出版」から出版したのも、その辺の事情があるかもしれない。シルク博批判でこじれた奈良県政との関係修復の時期に、開発批判のような本を本社からは出せなかったのか。あくまで憶測にすぎないが。 #昭和の奈良
2011-08-01 02:06:37http://t.co/JIbHZ6g で「飛火野」と書いたのは「若草山」の間違い。どっちにしても新聞紙などの散乱ぶりがすごいが、なんか「精一杯楽しんでる」という雰囲気が伝わってくる。別の写真には、ウッドベース持ち込んでダンスしてるようなのもあるし。#昭和の奈良
2011-08-01 14:12:01http://t.co/DUvmXT6 みて思い出したけど50年代の入江写真には、子供と共に「牛」がよく出てくるんだよね。白毫寺のあたりとか、大宮の菰川だとか。ただ、実際には牛って臭いぞ。まさか平城宮跡のアクセスを牛車でやるってかいな。#昭和の奈良
2011-08-01 14:18:18@sarukame999 『うつろいの奈良』の一連のツイート拝見しました。建築博やならまち郷土館って、実現しなかったんですか?シルクロード博の辺りの奈良の空気感を知らないんですけど、その前にこの企画が実現していたら、また違った風景が見られたのかもしれないですねー
2011-08-01 15:17:11黒川紀章の全盛期、共生建築の思想やWSは有意義だったがRT @nara_naka: @sarukame999 『うつろいの奈良』の一連のツイート。建築博やならまち郷土館シルクロード博の辺りの奈良の空気感を知らないんですけど、その前にこの企画が実現していたら、また違った風景
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