【歴史的証言】萩尾望都先生が大泉サロン時代を語った「一度きりの大泉の話」の内容があまりにヘビーすぎて少女漫画ファンに衝撃が走る

めちゃくちゃ興味はあるが、マジで読むべきかどうか迷う…
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リンク Wikipedia 大泉サロン 大泉サロン(おおいずみサロン)は、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子と萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。 1970年5月に徳島県から上京した竹宮が、講談社から臨時アシスタントを依頼されて来た萩尾望都に同居を誘い、それで、同年10月に福岡県から上京した萩尾が、萩尾のペンフレンドで上京後に2人の共通の友人となった増山法恵(のち漫画原作者、小説家、音楽評論家

かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子と萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である[1]。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。

1970年5月に徳島県から上京した竹宮が、講談社から臨時アシスタントを依頼されて来た萩尾望都に同居を誘い、それで、同年10月に福岡県から上京した萩尾が、萩尾のペンフレンドで上京後に2人の共通の友人となった増山法恵(のち漫画原作者、小説家、音楽評論家)の紹介で同居生活を始めた借家が、交流の場となった

建物は他の住人が入居して変遷する中で老朽化し、既に取り壊されている

リンク Wikipedia 24年組 24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群を指す 。「花の24年組」とも呼ばれる。 年齢や作風において彼女らの後輩に当たる女性漫画家たちは「ポスト24年組」と呼ばれている。 青池保子(昭和23年生)、萩尾望都(昭和24年生)、竹宮惠子(昭和25年生)、大島弓子(昭和22年生)、木原敏江(昭和23年生)、山岸凉子(昭和22年生)、樹村みのり(昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ(昭和24年生)、岸裕

青池保子(昭和23年生)、
萩尾望都(昭和24年生)、
竹宮惠子(昭和25年生)、
大島弓子(昭和22年生)、
木原敏江(昭和23年生)、
山岸凉子(昭和22年生)、
樹村みのり(昭和24年生)、
ささやななえこ(昭和25年生)、
山田ミネコ(昭和24年生)、
岸裕子(昭和24年生)

まず竹宮恵子先生が、自分視点で大泉サロンを回顧する作品を出す

テリー・ライス @terry_rice88

竹宮 惠子「少年の名はジルベール」読了 来月四月発売の萩尾望都「一度きりの大泉の話」に向けて、購入一気読み。竹宮先生が「風と木の詩」の連載に至るまでの過程を綴った内容。少女漫画版トキワ荘として伝説的となっている大泉サロンの回顧を含めたので話題となった一冊でも amazon.co.jp/dp/4094067132/…

2021-03-19 01:06:19

なにやら不穏な内容だったらしい

竹宮先生の本で書かれていた話は以下のような内容。

①1972年には竹宮、増山、萩尾、山岸の4人が45日間をかけて、ハバロフスク、モスクワ、パリ経由の欧州旅行を行い、EU以前の各国の特色が明確だった欧州の文化に触れ取材できて、竹宮ら24年組がヨーロッパを舞台にした漫画を描く原動力になった。

②2年間で「サロン」は解散するが、その後も、参画した漫画家同士はそれぞれに親密な関係を持ち続けた。

③竹宮は大泉サロン2年目に萩尾の切り込み方の独創性や映画的で画像を中心にした斬新な表現、そして新技法の開発という大きな才能に焦りを感じていた。

④『月刊少女コミック』に萩尾作品は柱として毎月小枚数の時でも必ず載せる方針の山本順也編集者と、漫画関係者でも話題になり、萩尾を訪問する多数のファンの評価にも同様に焦りを感じ、やがてスランプと精神的な変調状態になる。

④賃貸の契約切れをきっかけに解散し、東京下井草で増山と同居し、萩尾が近くに住んでいた時に距離を置きたいと言い、そのままになっているという。

テリー・ライス @terry_rice88

大変面白く読んだんだけど、肝心の萩尾望都先生にまつわるエピソードが思ってた以上に描かれてないのが、不穏と言えば不穏。というか大泉サロンが誕生するいきさつを描いた後、姿は出てくるんだけど、なんというかあんまり接点がないように描かれているのが気になってしまうな。

2021-03-19 01:06:19
テリー・ライス @terry_rice88

その割には竹宮先生が萩尾先生という才の強大さに打ちひしがれる様が赤裸々に描かれているので、バランスが悪いというか。大泉サロン誕生以後のエピソードを読み進めていくと、なにか腫れ物に触るかのような距離感で遠巻きに感じていて、それでもなお嫉妬と苦悩に苛まれてるわけだからとんでもねえな…

2021-03-19 01:06:19
テリー・ライス @terry_rice88

一方で竹宮先生と共に萩尾先生に同居を持ちかけた、増山法恵さん(竹宮先生のプロデューサー兼マネージャー)との交流エピソードや大泉サロンに訪れた24年組や周辺のマンガ家、あるいは時に編集者と対立しながら自分の作風を確立して、「風と木の詩」を連載するまでの過程に比重が置かれてる感じ

2021-03-19 01:06:19
テリー・ライス @terry_rice88

いやなんかもう昨年バズった「ジャン神」の2000倍は濃厚な実話エピソードを見せつけられてる感じで、震えるしかない。多分文章でつづられている内容の外にある「余白部分」がかなり大きく残っているので来月萩尾先生サイドから語られるエピソードが俄然、気になってくるな……。何が描かれるというのだ

2021-03-19 01:06:20
蒼鈴(旧E.Aoyama) @bluebell_abf

@terry_rice88 今年三月に出版された、竹宮先生の自伝的エッセイ、『扉はひらく いくたびも』は読まれましたか? 自伝、なので、こちらにも大泉サロンへの言及がなされているようです。 出版順に読もうと思ってて、まだ少年の名は……の方を読んでいるので、詳しいことは読めてないのですが。

2021-04-22 09:10:33
テリー・ライス @terry_rice88

@bluebell_abf あ、情報ありがとうございます。 そちらの書籍については出ているのを把握しておりませんでした。 なるほど、新聞連載の単行本化なのですね。帰り際にチェックしてみます。 「大泉の話」の前書きに書名は明言されてませんが、書くに至ったのは「少年の名は〜」が出たことが発端であると書かれてますね

2021-04-22 12:15:36

解釈違いのためか、萩尾望都先生が自分視点からの話を出版することに

これに対して萩尾は今までは内情について深く語らず、自分の収入が安定したから解散したと簡潔に語るのみであったが…

テリー・ライス @terry_rice88

萩尾望都「一度きりの大泉の話」読了。 70年代に「少女漫画」という可能性を(結果的に)開拓した作家が当事者として経験を訥々と語った、本人としてもこれを読むすべての人にもあまりにも「ヘヴィ」な内容。 読み終えたら、もう大泉サロンだとか花の24年組となどと「歴史を美化」する事は許されない pic.twitter.com/DdxPbHOPes

2021-04-22 00:40:13
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テリー・ライス @terry_rice88

そんな大きな楔をその歴史の当事者である漫画家から打たれたら、ファンはおろか読者は従う他ないだろう。 真面目に読み終えた所で最初に浮かんできた言葉が「申し訳ない、ごめんなさい」だから。 いやもう、歴史を持て囃して、輝かせようとしていた人々は自分も含めて反省すべきだなと思いを馳せた。

2021-04-22 00:49:03
テリー・ライス @terry_rice88

なんだろうか。 ある歴史的な事実に対して、後年の人々は尾びれ背びれを付けて、それがさも美しい時代かのように飾り立ててしまう事に対しての当事者からの違和感が語られているし、それを語らせてしまった周囲の罪深さははやり重く受け止めるべきだなと思う。

2021-04-22 00:55:12