"チェルノブイリ"への道のり。@rengepapa さんのつぶやきより
- neko_tubuyaki
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市民による調査と支援/世界を震撼させた原発事故から24年目の春になった。放射能による深刻な被害を受けた人々への支援を目的に設立された“チェルノブイリ支援運動・九州”(現在のチェルノブイリ医療支援ネットワーク)は、設立以後、現在も地道な支援活動を続けている。
2010-04-21 07:03:34近年、内容はさらに充実し、派遣された医師による最新の甲状腺内視鏡手術の技術をベラルーシの医師達へ伝える試みも始まっている。人的、物的支援を地道に続けている医療支援ネットワークと、それを支える多くの人々の善意と行動力には頭が下がるばかりだ。
2010-04-21 07:03:38当時、九州では宮崎県串間市で、九州電力の原発建設問題が浮上しており、町は賛否渦巻く混乱の極みに達していた。1992年2月17日、九州電力から何の申し入れもないまま、唐突に新聞社のリークという形で135万kW級原発2基の建設構想が明るみに出て以来、
2010-04-22 07:55:20この市民による支援運動が現地調査のため、ロシア、ベラルーシに第3次調査団を派遣したのは1993年のことだった。事故から8年目のことである。当時、九州では宮崎県串間市で、九州電力の原発建設問題が浮上しており、町は賛否渦巻く混乱の極みに達していた。
2010-04-22 20:30:071992年2月17日、九州電力から何の申し入れもないまま、唐突に新聞社のリークという形で135万kW級原発2基の建設構想が明るみに出て以来、住民たちの間に自然発生的に生まれた原発学習会の波は、串間市はもちろん、次第に県内各所に伝播していった。
2010-04-22 20:30:12@chan_dora 中国電力は祝島上陸によって原発建設のための手続きを一つ先に進めることが目的。最初から島民と話し合おうなんて気持ちはなく、ただ既成事実として、“島民に話した”という実績を得るのが目的。絶対に上陸させてはならない。九電が串間原発をもくろんだ時も、同じことをした。
2010-04-23 14:57:33この豊かな自然を持つ日本の食糧基地ともいうべき宮崎が、原発と言う得体のしれぬ怪物で汚されるかもしれないという不安と現実の中で、危険手当とも言うべき原発立地交付金が地域を活性化せず、命のあまりに安い代償であることを住民達は学び始めたが、一部の原発推進者たちは意気盛んだった。
2010-04-25 08:02:131992年、串間商工会議所を中心とする推進組織が支援する中、白紙を唱えながら公費で推進講演会を始めた当時の市長(野辺氏)が、市役所への電算機納入に絡む賄賂受け取りで逮捕されてから、市政は一転市長選に突入した。そして、原発反対を堂々と唱える候補者と、推進公約では勝てぬと市民投票条例
2010-04-25 08:02:28を持ちかけた次期市長(山下氏)の一騎打ちとなった。平和な地域社会をある日突然襲ったこのような混乱が続く中、住民達の学習会に招かれたチェルノブイリ支援運動・九州(現在のチェルノブイリ医療支援ネットワーク)の講師の計らいにより、チェルノブイリ被災地の視察が実現したのだった。
2010-04-25 08:02:42RT @rengepapa: この豊かな自然を持つ日本の食糧基地ともいうべき宮崎が、原発と言う得体のしれぬ怪物で汚されるかもしれないという不安と現実の中で、危険手当とも言うべき原発立地交付金が地域を活性化せず、命のあまりに安い代償で... http://bit.ly/aswcPD
2010-04-25 08:05:30@rengepapa 危険のある事を推進する者は、必ずその場にいない事を前提に考える模倣犯であり、その場の利益しか考えない未来と他人を見捨てる者達です。
2010-04-25 13:30:00この豊かな自然を持つ日本の食糧基地ともいうべき宮崎が、原発と言う得体のしれぬ怪物で汚されるかもしれないという不安と現実の中で、危険手当とも言うべき原発立地交付金が地域を活性化せず、命のあまりに安い代償であることを住民達は学び始めたが、一部の原発推進者たちは意気盛んだった。
2010-04-25 20:54:56RT @rengepapa: この豊かな自然を持つ日本の食糧基地ともいうべき宮崎が、原発と言う得体のしれぬ怪物で汚されるかもしれないという不安と現実の中で、危険手当とも言うべき原発立地交付金が地域を活性化せず、命のあまりに安い代償で... http://bit.ly/bE8xTV
2010-04-25 21:05:051986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故から今日で24年、歳月がどれだけ経っても放射能の被害が現在も続く「静かな核戦争」により、人々の深刻な健康被害が続いています。被曝による健康障害で治療中の無数の方々のご回復と、犠牲になった数多くの方々のご冥福をお祈りします。
2010-04-26 07:23:25チェルノブイリ原発事故被害の概要1/直後の死者:公式発表31人(32人説あり)、急性放射線障害:237人のうち28人が3カ月以内に死亡、行方不明1人、火傷1人、その他病気1人(旧ソ連政府が4カ月後IAEAに提出した報告書)。
2010-04-26 07:23:32チェルノブイリ原発事故被害の概要2/高被曝作業員(リクビダートル)約100万人(60万人~70万人説あり)、死者1万人以上、住民のがん死:30~50万人(推定)汚染地域住民:約600万人(ベラルーシ211万人、ウクライナ159万人、ロシア222万人)
2010-04-26 07:23:44チェルノブイリ原発事故被害の概要3/汚染地域の面積:約14.5万㎢(1キュリー/1㎢以上、日本の面積の38%に匹敵)、移住対象面積:約1万㎢(福井県・京都府・大阪府を合わせた面積に匹敵)、移住対象住民:約27万人以上、強制避難住民:約13万5000人、農地の汚染:20万㎢。
2010-04-26 07:23:55チェルノブイリ30キロゾーンとドロヌキ村/1993年7月、調査団はベラルーシ国内の様々な病院での視察と聞き取り調査をおこなったのち、チェルノブイリ原発まで約30キロの村、バプチンに向かった。ここから約18キロ進むとウクライナとの国境があり、その先にチェルノブイリ原発がある。
2010-04-26 17:32:22チェルノブイリ原発から半径約30キロの高濃度汚染地帯は、鉄条網で仕切られ、人の出入りが厳重に禁じられている。バプチンはこの境界線上にある村だ。失われた穀倉地帯をはるか地平線まで鉄条網が延び、今でも人の居住する村の中には、日本の原発の放射線管理区域に匹敵する放射能が渦巻いている。
2010-04-26 17:32:27町の一角で立ち止まり、測定器を地面に向けると激しく針が振れた。境界に設けられた遮断機付きの入口で、受け入れ準備をしてくれたチェルノブイリ同盟の人々があらかじめ準備してくれた特別許可証を見せる。遮断機を通り抜けると、放射能エコロジー研究所前にある黄色い看板が目に飛び込んできた。
2010-04-26 17:32:37そこには放射能のマークと共に「木の実を取ってはいけません。狩りをしてはいけません。許可なしに、家の中の貴重品を取ってはいけません」と警告する看板が建てられていた。いよいよこれから、放射能で高濃度に汚染された無人地帯に入って行く。全員の表情に張り詰めた緊張感が漂う。どの顔も真剣だ。
2010-04-26 17:32:50私達はチェルノブイリの方角をめざし、森の中のでこぼこ道をゆっくりと進んで行った。道路わきの倒れかかった電柱が、車の横を何本何本もゆっくりと通り過ぎて行く。さほど離れていない藪の中のあちこちに、幾棟もの家々が見え隠れする。朽ちかけたように見える木造の家々がひっそりとたたずんでいる。
2010-04-26 17:33:06人の住まなくなった家はすぐに荒れる。通り過ぎる無人の村の風景は原発事故からの歳月と、まぎれもなくここが人一人住めなくなった地域であることを実感させた。地図から消えゆく、消滅させられた村々…。私の脳裏に故郷である九州の街並みが浮かぶ。言いようのない悲しさが全身を包む。
2010-04-26 17:33:12一本道をひたすら行くと、突然、行く手に1羽のコウノトリが舞い降りてきた。車の数十メートル前方の地面に着地したかと思うとすぐに飛びあがり、またふたたび降りては飛び上がる。そうしてどこまでもふらふらと飛んでいく。不健康そうな鳥は数キロも私達の前を飛び続け、やがてどこかへ去って行った。
2010-04-26 17:33:22