数字に匹敵する大切なもの

現実を把握するために、数字(定量性)と同じくらい大切なもの。それが現場の声(定性的データ)だ。
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shinshinohara @ShinShinohara

数字を伴った主張は、いかにも正しそう。そうした主張を覆すには、反論する側も数字をそろえなければならない。それは相当面倒くさい。このため、数字を挙げたもん勝ちになることが多い。しかし、たとえ数字が示されても鵜呑みにするのは慎重さが必要。マクナマラの例があるからだ。

2021-05-10 17:24:05
shinshinohara @ShinShinohara

マクナマラは、ベトナム戦争を継続すべき理由に数字を挙げまくり、政敵を全部論破してきた。ベトナム現地の情報は、マクナマラが一手に握っている。ほかの人間は数字で反論することができない。このため、マクナマラの主張に押し切られていた。

2021-05-10 17:25:35
shinshinohara @ShinShinohara

しかし実は、マクナマラの挙げた数字はしばしばデタラメだった。上層部がどういう数字を欲しがっているのかを忖度した現場の隊長が、鉛筆ナメナメして報告した数字だったりした。戦いはアメリカ優位に進んでいる。そう思わせるような数字がマクナマラのもとに上がっていた。

2021-05-10 17:27:26
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、現場のジャーナリストからは、マクナマラが示す数字とは異なる様子が伝えられた。現場で起きている現実は、数字が語る内容と様子が違う。しかしジャーナリストのレポートは、一人の人間が二つの目で確認した局所的なものでしかない。全体像を正確に表すのはやはり数字だろう、とみなされた。

2021-05-10 17:31:56
shinshinohara @ShinShinohara

だが、結果的に見れば、ジャーナリストたちが現場に身を置き、伝えてくる内容の方が現場の状況を的確にとらえていた。マクナマラが駆使していた数字は、現場で起きていることを正確にとらえることができないものだった。

2021-05-10 17:34:17
shinshinohara @ShinShinohara

数字の厄介なのは、ウソをつかずに人をだますことができる点だ。ほかの数字はことごとく悪いのに、たまたま一つの数字だけ勇ましいものになっていて、それだけ報告すれば、現場は素晴らしく活躍している、という印象を与えることができる。現実には凄惨なことが起きていたとしても。

2021-05-10 17:35:58
shinshinohara @ShinShinohara

都合の良い印象を与えるため、都合の良い数字だけを集めて、グラフにしたり統計処理したりすれば、「客観的に」現場の全体像を描き出したように見せかけることができる。数字はウソではなくても、どのような印象を与えようとするかで、人々をだますことが可能。

2021-05-10 17:38:01
shinshinohara @ShinShinohara

毛沢東が「大躍進」という政策を推進した時にもそれは起きた。欧米に匹敵する鉄鋼生産を達成するため、現場にとんでもないノルマを課した。その結果起きたのは、鍋や鎌といった金属製品を溶かし、使い物にならない鉄くずを大量生産するという現実だった。しかし数字上は鉄鋼生産したことになる。

2021-05-10 17:40:13
shinshinohara @ShinShinohara

こうした問題は現代でも起こり得る。たとえば太陽電池。設置面積の数字が大きくなるのはエコな感じがするかもしれない。しかし山の斜面にひどく簡略化された工事で設置されたものは、土砂崩れの恐れがある。こうした地域環境を悪化させる悪質な事例が増えているようだ。

2021-05-10 17:45:20
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、こうした危険な設置場所の数字を挙げるのは容易ではない。危険かどうかを、土木などの専門家に直に見てチェックしてもらわねば判定ができない。全国くまなく調べようと思ったら無理がある。国でさえ数字では把握困難。だから、数字では問題のある工事を把握できない。

2021-05-10 17:46:50
shinshinohara @ShinShinohara

こうした、現場で起きている問題は、どうしても最初は数字を伴わない、説明的(定性的)なものになる。デイビッド・ハルバースタムが、ベトナム戦争の現場に身を置いて、現地で起きていることを逐一レポートするものの、全体を把握できるような数字を挙げることはできなかったように。

2021-05-10 17:48:46
shinshinohara @ShinShinohara

こうした「定性的レポート」は、数字を重視する昨今の日本ではバカにされがち。すぐに「エビデンスを示せ、数字で表せ」と言われる。そして「そんな定性的な報告は参考にもならない」と否定しにかかる。だがその姿勢は、現場を把握できずに数字(定量性)を信仰したマクナマラと同じになる。

2021-05-10 17:51:06
shinshinohara @ShinShinohara

現実を的確に把握するには、「定性的」な話も「定量的」な数字も、どちらも大切だ。どちらか一方だけになってはいけない。数字ばかりの「定量」だと、現場を誤解して判断を誤ることがある。数字のない「定性」だと、一部で起きていることを全体と思って見誤る。どちらも大切。

2021-05-10 17:53:15
shinshinohara @ShinShinohara

そして、とても大切なこと。人間が現実を把握するには「定性」が先であり、「定量」は必ず後である、ということ。太陽電池が危険な場所に設置され、土砂崩れの恐れがある、という現実の把握は、まず「定性」的に行われる。そして、そうした現場がどれだけ増えているのか、定量的にとらえるのはその後。

2021-05-10 17:55:16
shinshinohara @ShinShinohara

現場というのは、常に状況が変化する。数字を数えている間にも変化する。しかも、数えられるのは「過去」だけ。新しい予兆は、常に定性的にしかとらえられない。これはヤバイぞ、となってから、数字を把握しよう、と思うようになる、という順番。

2021-05-10 17:57:05
shinshinohara @ShinShinohara

だから、現場で何が起きているかを把握するには、全体像をつかむための数字と、状況変化をいちはやく察知するための「定性」の、両方が大切。数字だけに振り回されてはいけない。数字のない、抒情的なものだと「定性」的な話をバカにすることは、非常に危険。

2021-05-10 17:58:51
shinshinohara @ShinShinohara

定量と定性は両方ともバランスよく、なのだが、なぜ数字を挙げる「定量」的な意見が妙に幅を利かせているのだろうか?それは、論敵をやっつけるのにこんな便利な方法はないからだ。

2021-05-10 18:01:57
shinshinohara @ShinShinohara

冒頭で述べたように、数字を挙げた主張を覆すには、数字を挙げて反論しなければならない、気がしてしまう。数字を挙げる側は、「反論するならエビデンスを示せ、数字で表せ」と詰め寄る。すると、反論する側はタジタジになってしまう。

2021-05-10 18:03:29
shinshinohara @ShinShinohara

竹中平蔵氏と高橋洋一氏はこうした手法の名手だ。自分の主張を数字で補強し、反論する側が数字を示せず、タジタジとなるように議論を持っていく。こうした議論を第三者が横で見ていたら、前者の勝ち、と感じてしまう。しかし、この現象はマクナマラがベトナム戦争を泥沼化させたのと同じ。

2021-05-10 18:05:53
shinshinohara @ShinShinohara

だが私たちは、数字万能主義をもう少し見直す必要がある。繰り返すが、数字は、当たり前だが、数えたことのあるものしか出てこない。数えないものは出てこない。日本人の平均身長は出せても、目と目の間隔の平均は出せない。誰も計測していないから。計測は、問題意識が出てからしか行われない。

2021-05-10 18:08:50
shinshinohara @ShinShinohara

数字を挙げられても、現場から上がっている声がどうも違う、と思ったら、数字で現場の声を押し切ることをやってはいけない。現場の声と数字との間になぜギャップがあるのか、よく考えること。そのうえで、適切な判断は何か、慎重に、しかし果断に考えること。

2021-05-10 18:11:15
shinshinohara @ShinShinohara

このように考えるようになった原体験は、阪神大震災。NHKは深夜になると配給したお弁当の価格を自動表示していた。700円以上のお弁当。この数字だけ見ると、なかなかよいものを食べている気がしてしまう。

2021-05-10 18:13:12
shinshinohara @ShinShinohara

かつ、西宮市や長田区からの中継では、芸能人がステーキ肉を大量に用意して被災者にふるまっている映像が流れていたりした。高額なお弁当と豪華な義援物資。被災者って、結構ぜいたくしているんじゃない?という印象を与えていた。

2021-05-10 18:14:32
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、東灘区の実態は違っていた。配給された1日のお弁当は、おにぎり2個、小さく真っ赤なソーセージ1本、スパゲティ2,3本、牛乳パック1つと菓子パン一つ。これが700円以上もするという、お弁当の実態。どう考えても当時400円程度しかしない内容。大人だと全然足りない。

2021-05-10 18:16:46
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、神戸市役所も政府もマスコミも、配給のお弁当の価格が700円以上なこと、長田区西宮区でステーキを食べている報道を見て、配給をストップしようとした。ボランティアたち、青くなった。ささやかとはいえ弁当があったからどうにかなった。被災者の多くが飢えてしまう!

2021-05-10 18:19:17