深夜の内線

閑散とした温泉宿の夜勤に内線が鳴る
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solaris @solaris1921

あまりに静かな夜だからか、まだ勤務時間中だというのにどうやら僕はウトウトしていたらしい。ハッと目を開いて少し慌てて辺りを見回した。最後に時計を見てから30分ほどが経過していた。僕の他には誰もいないオフィス、通電したPCや冷蔵庫の作動音が微かなノイズとなって空気をわずかに震わせている。

2021-06-06 22:15:06
solaris @solaris1921

今夜の客はわずかに二人。広い旅館の中に客は自分たちだけというのはどんな気持ちだろうか。夕食の時にちらりと言葉を交わした初老の夫婦の、そのもの静かな様子を思い浮かべながら僕は考えていた。中には他に客がいないと寂しがるお客もいる。でもあの夫婦は違う。静か過ぎる宿を二人とも喜んでいた。

2021-06-06 22:34:50
solaris @solaris1921

周囲を山々の稜線に囲まれた宿の夜が更けていく。お客の動きが全くない夜ほど、仕事でオフィスに詰めているだけの時間はやけに長く感じるものだ。内線が鳴った。あの夫婦からだ。ドリンク用の氷が欲しい、多分そんなところだろう。二度目のベルと同時に受話器に手を伸ばした。でも途中で手が止まった。

2021-06-06 23:26:11
solaris @solaris1921

内線番号112・・・。 壁にホワイトボードに掲げられた部屋割りに目を向ける。今夜の唯一の泊まり客であるあの夫婦が102号室にお泊まりなのは一目瞭然だ。しかしこの内線は112号室からかかって来ている。部屋が違う。見間違えなのか? 目を凝らした。けたたましく3度目の呼び出しのベルが鳴る。

2021-06-06 23:45:04
solaris @solaris1921

この電話には絶対に出たくない。そう思いながらも、どうしても抗うことが出来ない。むしろ呼び出しベルの音と小さなディスプレイに表示された112の数字に、まるで魅せられてしまったかのように動きを止められない。5度目のベル。僕は自分の手が受話器を取り上げるのを息を止めたまま見つめていた。

2021-06-07 00:02:08
solaris @solaris1921

不味い、 お客様を待たせてしまっている。普段から内線が鳴れば2回目が鳴り終わるまでに必ず応答してきた僕は、既に5回も鳴っている電話の相手に偽りなく申し訳なく感じていた。仕事柄のその感覚が、僕に受話器を握らせた。番号は空室の112だ。 「お待たせいたしました。フロントでございます」

2021-06-07 05:12:32