IKEBUKURO WAR -埼玉より愛を込めて-

「東京って空気重いよね」って話から始まった妄想。 池袋は埼玉。 でも最早東京の管轄。 超身内向け。
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閉店 @aka_F_key

池袋が埼玉から東京に譲渡されて数年、厳戒態勢が敷かれていた彼の地も次第に落ち着きを取り戻し、東京から正式に埼玉県側の使者を迎え入れることが決まった。 第一陣として池袋に赴いた親善大使(当時)は大変な光景を目の当たりにすることになる。 圧倒的な統治。 恐怖と暴力による秩序。

2011-08-12 11:00:23
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「こんなことが許されるものか」 視察を終えた大使一行は東武東上線の心地よい揺れに身を任せながらそう言い放ったと記されている。 埼玉へ帰った後、大使一行はすぐさま早馬を放ち王への伝令を行った。 池袋にいる時点で連絡ができればよかったのだが、そこは埼玉。 携帯電話など無い。

2011-08-12 11:05:17
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査察先で電話を借りればよかった、と後に糾弾する者も現れたが記者会見の最中にその質問をぶつけられた大使の一人(当時)は「あの惨劇を見て、まだあの場所に留まりたいと思う者がいるとすれば、それは最早人間ではない。 修羅だ。」とその場に泣き崩れたという。 

2011-08-12 11:07:10
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そもそもの話、送信側の電話が腐るほどあっても未だに埼玉には受信側の電話がない。 交換手に出てもらい、相手方の名前を告げて待つという昔ながらの方法がとられているのだ。 当然、伝達速度も遅い。 その間に池袋騎士団(池袋の治安を守る正義の使者達、恐怖政治の末端)に包囲されるのがオチだ。

2011-08-12 11:09:10
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そんな経緯もあり、この戦争における「初動」で埼玉は一歩出遅れることとなった。 「一分一秒の戦」を得意とする東京サイドにおいて池袋も例外ではなかった。 東上線に揺られている最中にも首都への連絡はあっという間になされ、城壁はありとあらゆる防御策を張られ、連絡路も断たれていたのだった。

2011-08-12 11:11:20
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当然、この情報は数時間遅れで伝達されることとなる。 東武東上線の無期限停止、埼玉側との国交断絶。 「初動の遅さ」。 戦争が始まるという予感は愚か、戦局の泥沼化すら国民は容易に想像することが出来たのであった。 こうして埼玉と池袋は足がけ五年に渡る戦争に突入することとなる。

2011-08-12 11:16:48
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後に「血みどろの下赤塚」とよばれるこの戦争は今も埼玉人の心に深く突き刺さっており、その話題が出る度に人々は沈痛な面持ちになる。 しかし、どの戦争にもそうであるように、この戦争にも「救世主」とよばれた人々がいたことを忘れてはいけない。 人々は悲しみと共に、誇りも持っているのだ。

2011-08-12 11:18:23
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その名を「ふじみ野レジスタンス(現:ふじみ野騎士団)」とよばれる人々の反池袋組織としての台頭は、既に池袋への対抗意識を殆どなくしてしまった王宮への不信感を振り払うのに十分な物であった。 まさに獅子奮迅、疾風迅雷の勢いで池袋の統治下に置かれた埼玉を取り返す様は人々の希望となった。

2011-08-12 11:20:58
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中でも特筆すべきなのが「マサミチ」と仲間内でよばれていた一人の青年であった。 斥候として切り込み、池袋側の近代武器にも臆することなく血路を切り開く様は「ふじみ野の阿修羅」として現在においても絵画や彫刻で表されている。 まさに「戦の申し子」、「対池袋最終兵器」なのであった。

2011-08-12 11:24:21
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「マサミチ」に関しては諸説あるのだが、正史としてはこれらが正しい物である。 陰謀説やスパイ説など囁かれた物だったが既に本人に確認する術はなく、真実は藪の中、である。 レジスタンスの台頭から数年。 池袋側との戦いは拮抗しており、かりそめではあるが平和を享受していた人々に衝撃が走る。

2011-08-12 11:27:07
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よく晴れた、暑い日のことだったと記憶している。 当時は筆者も生まれており(年端も行かぬ子供の時分ではあったが)この出来事とその後に波及していった風潮には並ならぬ恐怖を覚えたものだった。 レジスタンスの内部分裂。 第三勢力の台頭。 そして埼玉側と池袋側への宣戦布告。

2011-08-12 11:29:15
閉店 @aka_F_key

首謀者はあの「マサミチ」であった。 全ての国民が(埼玉・池袋問わず)受けた衝撃は計り知れない。 レジスタンスに反旗を翻し、池袋との徹底抗戦の構えも崩さぬままに第三勢力を立ち上げ、全てに対峙すると宣言したのだった。 組織の名は「カンノ」。 民衆は驚き戸惑い、次の言葉を待った。

2011-08-12 11:31:30
閉店 @aka_F_key

「我々は、埼玉人でもなければ池袋人でもない。 日本人ではないのか!」 この言葉は、埼玉側・池袋側問わず全ての「社会の教科書」の一番最初のページに大きく取り上げられている。 マサミチが打ち出した「人たる所以」。 それこそが「日本人である」という矜持であったのだ。

2011-08-12 11:33:29
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「カンノ」とは、埼玉は山奥に伝わる「守護神」のことである。 既に神話レベルの話ではあるのだが、山奥の集落を辛抱強く聞いて回ると似たような話がゴロゴロ出てくる。 一本の刺又を手に持ち、肌は青く、天狗に似た面持ちであるという。 普通の成人男性であれば対峙して一分ともたないそうだ。

2011-08-12 11:36:30
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その鬼神の如き強さから「阿修羅」とよばれていた「カンノ」は実に「マサミチ」が冠するのにこれ以上ない程の名前であろう。 こうして「マサミチ」は「カンノ・マサミチ」として池袋・埼玉に殴りこみをかけたのであった。 

2011-08-12 11:39:08
閉店 @aka_F_key

結論から言えば、埼玉と池袋は「血みどろの下赤塚」から十数年経過した今でも断絶されたまま、である。 盛大なる戦いの末にマサミチは戦場にて行方不明という形で処理され、池袋・埼玉双方によって勝利宣言が為された。 一説によると今でも革命の指揮を取っているという話もあるが推測の域を出ない。

2011-08-12 11:42:23
閉店 @aka_F_key

「人というのは、共通の敵を持った時真に協力するものである」とは、マサミチの遺品から見つかった戦術手帳にあった一節である。 これを体現したものだったのかどうかはわからないが、「カンノ」を共通の敵としたとき確実に池袋と埼玉は協力関係にあった。 

2011-08-12 11:44:42
閉店 @aka_F_key

事実、戦争終結後も完全な断絶ではなく関所を設けた細々とした国交は行われているし、領土の奪い合いというような野蛮な行為もなくなった。 マサミチが残した「未来」という名の財産。 我々は今日まで受け継がれてきたそれを、次代へと受け継がなければならないのだ。

2011-08-12 11:46:38
閉店 @aka_F_key

忘れてはいけない。 全ての物事には表があり、裏がある。 マサミチの心身に何があったのかは及びもつかないが、事実として彼は全ての埼玉人と池袋人を救った。 その事実を忘れてはいけない。 「血みどろの下赤塚」を再現することなど、あってはならないのだ。

2011-08-12 11:48:32
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以上。 「IKEBUKURO WAR -埼玉より愛をこめて-」の表版プロットでした。

2011-08-12 11:49:10
閉店 @aka_F_key

作中で言及しなかった「マサミチに降りかかった陰と陽」を劇場版でやりたいなあと思う。 果たして何があったのか。 彼は何を思うのか。 今、日本人としての資質を問う問題作! coming soon...

2011-08-12 11:50:09