苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』読書メモ集

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書、2012)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

日本では、高級文化、正統的な文化を身に付けている者が、高学歴者であるとはいえないのである。これは、この調査を行なった研究者たちが参考としたフランスの場合と比べてみると、あまりに対照的な結果である。by苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』

2021-06-24 17:59:46
荒木優太 @arishima_takeo

「親の職業によって、クラスのなかで他の生徒から仲良くしたい友だちとして選ばれる可能性が異なっていたのである」(苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』)。えっぐい調査やるなー(←三宅和夫論文

2021-06-24 18:20:39
荒木優太 @arishima_takeo

「あの『セサミストリート』も、結局はターゲットとしてねらった貧しいマイノリティ・グループの子どもたちに見られるより、中流家庭の子どもたちの人気の的になってしまったという」(苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』)。へぇー。

2021-06-24 18:31:31
荒木優太 @arishima_takeo

これまでの研究によれば、経済成長期以前も以後も、親の職業や学歴に代表される社会階層上の地位によって、生徒の成績に差異が見られることは、ほとんど変わらない事実として確認されているのである。by苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』

2021-06-24 19:06:57
荒木優太 @arishima_takeo

「もっとも貧しい階層ともっとも豊かな階層との間の成績差よりも、親が自由業の場合と農業や労働者である場合の差異のほうが違いが大きかったのである。このような職業間の成績差は、森口もいうように、奨学金政策などの財政援助策の限界を示すものであった」(『大衆教育社会のゆくえ』)。ふむ。

2021-06-24 19:08:47
荒木優太 @arishima_takeo

日本では、「奨学金少年の悲劇」は、小説のテーマにも、研究の対象にもならない。日本の小説での悲劇は、久米正雄の『学生時代』や田山花袋の『田舎教師』のように、むしろ、受験の暗さや、受験の失敗、失意による悲劇を題材とする。by苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』

2021-06-25 14:09:30
荒木優太 @arishima_takeo

努力や奨学金の力を借りて頑張って一つ上のレベルの学校に行ったけどそこには階層の異なるいけすかない連中ばかり…って花男とかそうじゃないの? 知らんが。

2021-06-25 14:11:37
荒木優太 @arishima_takeo

メリトクラシーの大衆化とは、だれもがメリトクラティックな競争に参加するという状態にとどまらず、そこで競われる業績の中身自体が、大衆化していることでもあるのだ。by苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』

2021-06-25 15:17:19
荒木優太 @arishima_takeo

「だれでもがんばれば」は点があるのとないのとが交互に出てくるよ。

2021-06-25 16:48:41
荒木優太 @arishima_takeo

「戦後の日本では、入学試験の厳密さが、選抜の公平さを保証すると見られるようになった。教育を受けるうえでの経済的な障壁が縮小するにつれて、競争にはだれもが参加できると信じられるようになった。そして、だれもが、同一条件の試験に臨む」(『大衆教育社会のゆくえ』)。AO批判はここに繋がる?

2021-06-25 18:04:42
荒木優太 @arishima_takeo

たとえ結果的には特定の階層出身者に有利な結果になったとしても、手続き上の公平さが、結果の不平等を容認する基盤をつくりだす。そうした意味において、戦後徹底した教育における平等主義は、競争以前に生じる社会的不平等を不問に付す役割を演じたといえる。by苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』

2021-06-25 18:05:58
荒木優太 @arishima_takeo

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』読了。学歴社会論を支える平等主義(個人には無限の可能性がある、テストはフェアに開かれている)がかえって階層による不平等を隠してしまう…という論点は面白いのだが、じゃあどうすりゃいいんですかね、ってのがよく分からなかった。

2021-06-25 18:24:54
荒木優太 @arishima_takeo

著者は「個性」や「創造性」を重視した新教育を階層的不平等を覆い隠すものとして批判するが、かといって画一的な旧教育がその不平等に注意を向けたり解消させるものでもなかったわけですよね?(読み間違えてます??)

2021-06-25 18:26:59
荒木優太 @arishima_takeo

それとは別に、学歴を機能させる試験に対するフェアネス信仰(階層は関係なく点数が良ければ「生まれ変われる」)が、「だれでもがんばれば」という努力主義に転身するという指摘が面白かった。

2021-06-25 18:31:31
荒木優太 @arishima_takeo

「だれでもがんばれば」の努力主義は、逆にいえば、不遇なのは頑張らなかったからだという自己責任論に結ばれる…私がネオリベ批判論者だったらそんなふうに論じるだろう。戦後とはネオリベだったのだ。

2021-06-25 18:33:33
荒木優太 @arishima_takeo

ネオリベ概念の守備範囲は非常に広いので、言おうと思えばなんでも言えるのである。

2021-06-25 18:34:22