2021.08.15 青天を衝け(24)「パリの御一新」放送後の桐野作人先生による解説ツイート

8月15日 21:56~
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桐野作人 @kirinosakujin

8月15日の大河ドラマ「青天を衝け」、『徳川昭武滞欧日記』から。慶応3年12月8日(西暦1868/1/2)、昭武は写真撮影をしている。洋装、シルクハットで犬を足許に寝そべらせた写真ではないかと思われるが。 #青天を衝け

2021-08-15 21:56:36
桐野作人 @kirinosakujin

あと渋沢篤大夫を連れて乗馬している場面あり。昭武は旧暦11月26日(西暦12/21)あたりから半年間ほど熱心に馬術修業をしている。馬術と同時に、旧暦慶応4年1月8日朝5時から体操もしている。フランス語をカタカナで「ジミイナアスチク」と書く。「誠に笑う可き事也」と記す。#青天を衝け

2021-08-15 21:56:36
桐野作人 @kirinosakujin

将軍慶喜の大政奉還がパリの昭武一行に伝わったのは旧暦1月3日(西暦1/27)で「夕刻日本より悪しき新聞有り」。まさに鳥羽伏見で開戦した日で、約50日後に知らされている。新聞とはニュースの意味。その後、もっと「悪しきニュース」が来る。#青天を衝け

2021-08-15 21:56:37
桐野作人 @kirinosakujin

鳥羽伏見の敗報や江戸開城は日記に記事無し。旧暦5月15日(西暦7/4)、日本からの手紙「上様(慶喜)江戸お引き取り、水戸え■入り、ご謹遊なられ候様、御所(朝廷、新政府)御沙汰になる」。そして昭武にも「御所」から帰国命令下る。さらに2日後の手紙「上様御事は水戸えご謹心(慎)」#青天を衝け

2021-08-15 21:56:37
桐野作人 @kirinosakujin

日記で昭武の感情がもっとも表れているのは船から日本の景色が見えたとき。慶応4年11月1日(西暦12月14日)「朝、故国の陸が見える。正午頃、あの薩摩めの岸に沿って進む」。「あの薩摩め」の一言に込められた昭武の遺恨察すべし。 #青天を衝け

2021-08-15 21:56:38
桐野作人 @kirinosakujin

訂正。 慶応4年ではなく、もう明治元年でした。 twitter.com/kirinosakujin/…

2021-08-15 22:56:13
桐野作人 @kirinosakujin

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2021-08-09 20:46:16