谷川健一先生が研究した「大嘗祭の殺人」についてー継体天皇崩御直後のクーデターが日本の歴史を変えた

父・継体天皇とともに外から大和に入って王権を継承した「外来系皇子」の太子(安閑天皇)は、継体天皇が崩御するとクーデターで排除された。それは何故か?
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

皇位継承の儀式中にクーデターで殺害されたことが示唆されてる訳ですが、『記紀』がとりすました顔で、天皇として記録してるのは、後で「名誉回復」がされたからだとされてます。

2019-10-25 04:58:19
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia 懇切なるご説明、ありがとうございますm(_ _)m 今ひとつよくわからないのですが、このような解釈は神武天皇実在・非実在説の解明に資するものなのでしょうか?

2021-08-22 16:04:07
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 実在するかしないかについては、あまり意味のある議論では無いと思います。結局のところ、モデルとなった人がいたのかいないのかという話になりますので。

2021-08-22 16:06:00
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia そうなんですか、、、その辺りがプロの世界とアマチュアの世界との違いかも知れませせんね。 ありがとうございましたm(_ _)m

2021-08-22 16:07:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no ただ、歴史自体が「神話的に形成」されてるので、「崇神・垂仁・景行」の陵墓伝承に河内政権についての伝承を接続する形で、中国から受容した新しい文字文化にあたる「史」を「歴史形成」したということになりますね。

2021-08-22 16:07:53
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia >歴史自体が「神話的に形成」されてる あ、これ以前に読んだ本にあったような記憶が、、、 ミルチャ・エリアーデ『永遠回帰の神話―祖型と反復―』でしたね。35年前くらいに読みましたが内容は忘却の彼方に、、、(-_-;)

2021-08-22 16:11:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 神武天皇と継体天皇、綏靖天皇と欽明天皇の立場(配役)がほぼ完全に一致してますが、そのことに気付いたきっかけは谷川健一先生の「日本民間信仰史研究序説」(『季刊東北学』連載、単行本『賤民の異神と芸能』に収録)に「大嘗祭の殺人」というテーマが出てきて重要なテーマだと思ったからでした。

2021-08-22 16:18:30
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia >『賤民の異神と芸能』 早速最寄りの図書館で検索してみます。貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m

2021-08-22 16:20:10
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia すると継体の史実を元に神武の「歴史」が架上された、ということなんですかね? 欠史〝八代〟も素人的には悩みのタネなんですが、、、始祖をある時代まで遡らせるためだったとか? お忙しいでしょうから、ほんの気が向いたらリプライをよしなに。

2021-08-22 16:18:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 中国史的には「架上」だと説明するところですが、五代十国のテュルク系沙陀族の政権の場合、5種ほどある歴史書の中で、唐代以前の祖先の系譜や事績の部分は歴史書によって全然違った例がありまして、完全な作為がある一方、祖先の話として使えそうな「異伝」も多数あったようです。

2021-08-22 16:25:46
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia やはり専門畑の方の話はレベルが違います。『記紀』は「五代十国」より古いので、より近いところ(鮮卑系など)の世界に類例があると嬉しいですね。

2021-08-22 16:29:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 欽明天皇が起こしたとされる辛亥の変(『百済本記』の記述)が、日本古代史の分野では史料不足で迷宮入りみたいになってしまった上、不幸なことに安閑天皇と欽明天皇の対立を後醍醐天皇などの南北朝時代の並立から類推する先行研究が盛んだったので、

2021-08-22 16:28:56
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia 二朝並立とかいう説もある、アレですね。「迷宮入り」なんですか!

2021-08-22 16:31:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 現実離れした部分を批判したら、辛亥の変自体が無かったか、百済の記述は伝聞に過ぎないという処理がされて、この事件が「神武天皇や綏靖天皇の系譜」として重ね合わせるように表現されてたことを日本史の研究者は見逃してしまいました。

2021-08-22 16:30:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no あと、「欠史八代」という言葉はそもそも史学的根拠が無いです。「史」とは系譜や婚姻記事を指すので、八代の天皇記述には系譜及び婚姻記事があるのに、ただ説話が無いものを「史が欠けている」と説明するのは誤りでした。(しかも綏靖天皇のクーデターの説話はあるのに無視された)

2021-08-22 16:34:00
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia なるほど!「系譜及び婚姻記事」は帝紀の基本的部分でしょうからね。 しかし、素人的には、やはり実在・非実在が気になるところでして、、、自分で空想するしか無いですね。

2021-08-22 16:36:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@volantverba 松前健『日本神話の謎がよくわかる本』によると、神武天皇は3人のまったく違う人物の物語を重ね合わせたものだとありまして、イワレビコ、ミケヌ、ヒコホホデミの3人を統合したものだとあります。それらを「同じ人物の別名」だとして、継体天皇の大和入りの先例になる人物だとしたのです。

2020-07-12 18:08:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 『春秋左氏伝』の研究では、『春秋左氏伝』に掲載されてる様々な記述のうち、会話文や故事の部分が一番最後に補われたと指摘されてます。会話文や故事があるのが歴史だというのは間違いで、神武及び八代の系譜や婚姻記事は、それが6世紀に編纂された頃の事情を雄弁に語っています。

2021-08-22 16:38:23
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no ただ、推古天皇及び舒明天皇の頃に「修史事業」があって、歴史の記述が変更されたとの先行研究がありまして、『古事記』と『日本書紀』で異同がある記述はその頃の歴史修正の痕跡の可能性があります。

2021-08-22 16:43:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 例えば、『古事記』では欠史八代の天皇の多くに「外戚」の磯城氏がいますが、『日本書紀』ではそれが削除され皇族どうしの結婚(皇女と結婚)だったことに修正されています。これは「蘇我氏」と「皇親皇族」(皇族どうしで結婚)の対立を反映してることが明らかです。

2021-08-22 16:45:48
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia ああ、ここで「反映説」が出てくるんですね? 40年ほど前に読んだきり、以後ほとんど登場しないので、歴史学会でも廃れた考え方なのかな?と思っていました。

2021-08-22 16:49:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 反映説というのは、天照大神の「孫」のニニギノミコトの天から降った記述が、持統天皇が自分の「孫」の文武天皇の即位継承を規定路線化したことを反映してるという説のことで良かったですか?他の説は知りませんが、この話は事実(文武に合わせて「孫」だったと記述された)だと思っています。

2021-08-22 16:57:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 持統天皇は、皇子の皇位継承の条件が「皇女の子どもであること」だと規定した天皇ですし、持統天皇が編纂したとされる『万葉集』巻一では巻頭が雄略天皇の歌から始まりますが、これは雄略天皇が皇女の子どもだったからだとされてます。このような影響力があるので神話記述に影響を与えてるはずです

2021-08-22 17:02:16
hyena_no_papa @hyena_no

@fushunia 何についての「反映説」だったかは忘れたんですが、、、 >持統天皇が 高天原広野姫ですからストレートですよね。ただ、以前も感じたんですが、この「反映説」というのは解釈はできても、証明はできないんじゃないか?というもどかしさがありますよね。

2021-08-22 17:01:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@hyena_no 単体の記述なら「証明」より「解釈」寄りかもしれないですが、系譜及び婚姻記事の構造そのものに「神話モチーフの反復」(継体・欽明と神武・綏靖の立場の完全な一致)があり、それで辛亥の変が説明できるなら、「証明」に近いものだと思います。

2021-08-22 17:05:38