リンク限定

台湾でファミコンが発売された経緯

台湾でファミコンが発売された経緯です。
0
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 台湾におけるファミコン発売の経緯についてご回答さしあげます。たいへんお待たせしまして恐縮です! これを説明するためには、まずゲーム&ウォッチの話からしないといけません。

2021-08-27 15:02:25
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 台湾は当時、電玩禁令下にありましたが、ゲーム&ウォッチのような「掌上電玩」は玩具ということで例外扱いでした。しかし台湾では当初これが入手困難だったのです。

2021-08-27 15:03:45
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 1980年代初頭、日本の玩具メーカーはまだ台湾市場を有望視しておらず、台湾に代理店を作ったりもしなかったのです。したがって台湾の玩具業者は日本へのツアー旅行者に依頼して、買い込んできてもらっていました。

2021-08-27 15:04:41
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom そんな中で台頭してくるのが、当時日本に在住していた曾愛玉という台湾人女性です。彼女は夫の半導体販売業を手伝っており、任天堂との接点がありました。それで台湾でのゲーム&ウォッチ販売代理権を得ようと交渉します。

2021-08-27 15:06:27
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom これは失敗しますが、いちディーラーとして輸出する分には構わないということで、彼女は台湾への輸出業を始めます。日台を行き来する留学生(僑生)を活用するなどして輸送を徹底的に効率化し、彼女は他の業者にはないスピード感で輸出を展開します。

2021-08-27 15:08:41
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom さて、ここからファミコンのお話です。84年7月には台湾の家電大手・聲寶が、シャープより正規ライセンスを得てファミコンテレビC1の製造と販売を開始しました。 pic.twitter.com/eK5BiRAKGo

2021-08-27 15:13:13
拡大
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom この頃もまだ、ビデオゲームは依然として禁制品ではあったわけですが、どうも家庭用ビデオゲームに関しては1984年あたりで販売が黙認されていた形跡があります。

2021-08-27 15:17:46
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 台湾におけるファミコン発売の経緯についてご回答さしあげます。たいへんお待たせしまして恐縮です! これを説明するためには、まずゲーム&ウォッチの話からしないといけません。

2021-08-27 15:02:25
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom その手腕により台湾内だけでなくブラジルやパラグアイからも彼女のもとに注文が届いたそうです。そうしてまたたく間に台湾でもゲーム&ウォッチがブームになりました。ブームは84年まで続き、当時の市場は任天堂製品が60%を占めています(続いてカシオ製品が15%)。

2021-08-27 15:09:48
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom さて、ここからファミコンのお話です。84年7月には台湾の家電大手・聲寶が、シャープより正規ライセンスを得てファミコンテレビC1の製造と販売を開始しました。 pic.twitter.com/eK5BiRAKGo

2021-08-27 15:13:13
拡大
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 教育目的を謳っていればば禁止対象にならなかったので、そこが抜け道になったのでしょう。ただしそれも台湾で製造されたものに限っての話です。電玩禁令とは別に家電の輸入禁令もあったため、ファミコンを直接輸入したりはまだできませんでした。

2021-08-27 15:18:10
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom しかし曾愛玉は1985年からファミコンの輸入を始めています(れっきとした密輸)。ところが台湾では当初、ファミコンは全く売れませんでした。「大人がテレビを視る時間さえ足りないのに、子供がゲームなんかやる余地はない」と言われていたそうで、曾は大量の在庫を抱え、大損失を被りました。

2021-08-27 15:20:08
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom しかしそれから5ヶ月後に状況が激変しました。「スーパーマリオブラザーズ」の登場です。ここから台湾でもファミコンが飛ぶように売れ始めました。曾はゲーム&ウォッチ時代に培った機動力を活かし、2年でおよそ100万台を売るに至ります(写真は86年3月頃の玩具店内)。 pic.twitter.com/6YIfb70uqF

2021-08-27 15:22:43
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom これはさすがに任天堂を驚かせ、山内溥社長を動かすことになります。山内社長が台湾に出向いたという説と、曾が任天堂に呼び出されたという説と、二通りあるのですが、ともあれ両者が面会したことは間違いないようです。

2021-08-27 15:25:11
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom この頃台湾ではファミコンの密輸が社会問題化しはじめていました。しかし1987年5月に家電輸入禁令が緩和され、いよいよ台湾でも大手を振ってビデオゲームの輸入販売ができるようになりました。この頃、曾は任天堂の公式代理店として曾商有限公司(後の博優)を興しています。 pic.twitter.com/kz8T3KuI4O

2021-08-27 15:30:46
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 「禁令下の台湾市場でどうやってそんなに売ったのか」という山内社長の問いに対し、曾は自分の密輸方法を正直に説明したところ、かえって信任を得るに至り、あくまでも非公式にではあるものの、事実上の代理業者として認定されることになります。

2021-08-27 15:27:58
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom ところが、ちょうどこの時期に台湾のファミコンブームは思いがけない転換点を迎えます。台湾内で無断複製されたROMカセット、ROMおよびディスクのコピー機、さらには海賊版ファミコン本体があちこちで出回るようになってきたのです。 pic.twitter.com/mdwLlUcRE6

2021-08-27 15:33:42
拡大
拡大
拡大
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 曾商は摘発や撲滅に注力し、大手海賊版カセット業者をいくつも潰すなどの戦果も挙げましたが、海賊版の勢いは留まるところを知りません。1990年にはもう「純正品カセットはほとんど出回っていなかった」ということです(写真は1988年頃のゲーム専門店)。 pic.twitter.com/TQ6Jq9KPAX

2021-08-27 15:38:30
拡大
hally (VORC) @hallyvorc

@oroti_famicom 91年には任天堂の台湾支社「溥天」(のちに任天堂溥天)が設立されます。その事業責任は実質的に博優にありました。ただし両社の間には書面による契約はなく、つまり信頼だけで関係が成り立っていました。

2021-08-27 15:44:17