芥川の『蜘蛛の糸』を今読むと「救われるに値する人だけ救う社会」を風刺したようにも読める?
- matorunrun1
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なるほど…おもしろい。 僕は、お釈迦さまの蜘蛛の糸は何人登っても切れないものなのにカンダタが「切れる…自分だけ助かりたい…」(欲・怖れ)と思ったから切れちゃった!というふうに読んだ。いろんな見かたができる話だ。 twitter.com/hiranok/status…
2021-09-11 15:15:54先日、某インタヴューで『蜘蛛の糸』の話になって、あれは、釈迦にしては「条件付き救済」の態度が慈悲からはほど遠く、寧ろ芥川が「救われるに値する人だけを救う」という社会(国家)を風刺したのではないか、と言われ、考えさせられた。芥川の意図はともかく、今なら確かにそう読めそう。
2021-09-11 15:05:41@hiranok 仏教は縁起を説いてますからね。そこに仏の意思は介在できないのです。この作品はお釈迦様に仮託されていますが、神の意思に適う人間が救ってもらえるという一神教的な物語だと思います。
2021-09-12 11:38:18そういうはっきりした批判かはともかく、 カンダタを やっぱり性根の悪い者であった… と描いて その行為にダメ出ししている話、ではないと感じていた。 勝手な思い込みかもだけど カンダタと自らの理想の隔たりが刃となって お釈迦様の心に刺さっているように感じた。 「蜘蛛の糸」読み返そうかな twitter.com/hiranok/status…
2021-09-12 09:17:02蜘蛛の糸の中での釈迦は我々なんですよ 蜘蛛の糸を垂らし「我々が思う都合のいい弱者」だけを救いたいというおおよそ慈悲とは程遠い醜悪な態度は我々の中にあるもの そして奈落へ落ちる罪人たちに溜飲を下げる 全て人間の本質を描いた名作なんです twitter.com/hiranok/status…
2021-09-12 10:34:51「蜘蛛の糸」のお釈迦様って、なんの権限も無い頼りない上司みたいな人間臭さがある。救済なら、キリスト教の「放蕩息子の話」の方がよっぽど宗教的だと思う。 twitter.com/hiranok/status…
2021-09-12 12:06:36芥川の「蜘蛛の糸」は、人間を善と悪の中間的な存在だとする“近代文学”の本質を、最も端的に表した作品だと思う。釈迦の住む世界が森閑として冷たく、他に誰も存在しないような不気味さを湛えて描かれているのが、芥川の人間観を物語っていると感じられる。 realsound.jp/movie/2018/12/… twitter.com/hiranok/status…
2021-09-12 06:55:49@hiranok @spiritcreekfish 蜘蛛の糸の主題は一般的には、人間の奥深い煩悩、我執の醜さ、愚かさを表したものと理解されていると思う。自分ひとりだけ助かれば良いというエゴイズムから脱却つまり我執をすてなければ蓮の上には座れない。仏陀の意図であるが芥川の人間への絶望の想いが込められていると思う
2021-09-12 01:05:48読み方は自由
@hiranok むかしむかし、芥川作品と救済、と題して卒業論文書きました😅芥川は最終的には他者からの救済に疑いを持っている、などと書いたような覚えがあります。 あれから数十年、読み直してみたい気分に駆られました😆
2021-09-11 18:55:59この前まさにそういうツイートあったなー 読み方はもちろん自由。 twitter.com/hiranok/status…
2021-09-12 09:19:47@hiranok 発表当時の人々の仏教への信頼と、現代とではかなりの違いがあるかもしれませんね。大ざっぱに言って、近現代の文学の背景は、現在地とすごく乖離しているのかもしれません。
2021-09-11 19:57:48