アドラー心理学「課題の分離」「論理的結末」について 「あなたの不機嫌はあなたがどうにかするものであって私の課題ではない」

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イシゲスズコ @suminotiger

夫に「あなたのその不機嫌はあなたがどうにかするものであって私の課題ではないの」と話したらものすごくひどい人間だというような物言いをされたことがあって、あぁ彼はそう感じるんだな、それも君の課題であって私にどうこう出来る問題ではないな、と思ったりしました。

2021-10-11 17:06:53
イシゲスズコ @suminotiger

私は私の課題を自分でどうにかするの、あなたはあなた、死ぬまでにそれがうまく成立して一緒に生きていけるようになる日が来るんだろうかと思いながら暮らしてる。

2021-10-11 17:07:37
めんたね @mentane

スズコさんのやつについた引用リツイートを適当にリツイートしてみた。 1.同意する人 2.男女問題に還元して「男が同じことを言ったら〜」という人 3.自己啓発を他人に向けるな、アドラーはそんなこと言ってないという人 大体この3パターンくらい見受けられる。

2021-10-12 14:36:36
めんたね @mentane

2についてはTwitter名物「何を見ても男女問題に還元せずにはいられない切実さを持った人」たちで、男女にまつわる引っ掛かりを過去に抱えたまま今を生きているとこうなりやすい。

2021-10-12 14:40:50
めんたね @mentane

3については確かにそういう面はあって、アドラー心理学の課題の分離では、自分ではどうにもならない他人の心の中について、そこに憤慨していても状況は変わらないから、自分の課題に注力すればいいと考える。

2021-10-12 14:59:01
めんたね @mentane

課題の分離という概念は、主に他人の課題に不用意に踏み込まないようにして、他人を尊重する文脈で使われる。

2021-10-12 15:06:09
めんたね @mentane

アドラー心理学には課題の分離のほかにも共同体感覚、他者への貢献という発想があり、夫が妻に援助を期待して要請する時、妻は夫の要請に応えて協力してやることができる。

2021-10-12 15:08:50
めんたね @mentane

問題はこのケースの夫が言葉で援助を要請してくるのではなく、ただ不機嫌さを撒き散らすだけなのであれば、相手から「自分の問題解決のために協力して欲しい」と要請を受けていないことだ。「相手の課題」を「協働の課題」とするには本人による許可、同意がいる。それなしに踏み込むのは失礼だ。

2021-10-12 15:11:49
めんたね @mentane

アドラー心理学は理性的なので、そこで「不機嫌を撒き散らす」という行為を勝手に「援助を求めている」とは解釈しない気はする。少なくとも「何かお手伝いが必要ですか?」と一声かけて相手からのレスポンスを待つだろう。最終的にはきちんと言語化したやりとりで同意を取る。

2021-10-12 15:20:28
めんたね @mentane

そこで「不機嫌さはあなたの課題であって私は何もやらない!」と突き放す態度をとるのであれば、ちょっと冷たいとも言える。そこで「何か困っていることがあるの?手伝って欲しいことはありますか?」と声をかけると共同体感覚のある振る舞いとなる。

2021-10-12 15:44:11
めんたね @mentane

ここでもう少し踏み込んで考える。夫が何か援助を求めたいことがあるとき、必ず不機嫌さを撒き散らすとしたら妻や子どもにとっては迷惑である。その行動の改善を求めたい。

2021-10-12 15:49:04
めんたね @mentane

当然、まずは口頭で「不機嫌さを撒き散らすのではなく、言葉で具体的に相談したり、要望を出したりしてほしい」と伝える。そして、それでは行動が改善されなかったとする。

2021-10-12 15:50:29
めんたね @mentane

その状態で 夫 不機嫌さを撒き散らす 妻「どうしたの?」と声をかける 夫 怒りながら考えていることを話しそのうち整理されて落ち着く というやり取りを繰り返すならば、 最初に対応して欲しい時の合図として不機嫌さを撒き散らす行動をより深く習慣化、定着化させる可能性が高い。

2021-10-12 15:53:59
めんたね @mentane

これは妻や子からしたら都合が悪い。だから、 不機嫌さを撒き散らす→スルー 援助要請を言葉で行う→手伝う という対応を一貫して夫に行うことで、夫は不機嫌さを撒き散らす行動や、そもそも不機嫌になる感情を手放し、口頭で理性的に要望を伝えられるようになる。

2021-10-12 15:56:12
めんたね @mentane

このような対応を夫自身は期待していないかもしれないが、きちんとその理屈を話した上で「今後はそうやって対応していきますよ。それはあなたと快適に暮らしていきたいからです」と伝えてそのように対応するのは、それはそれで共同体感覚に基づいたものだと思う。

2021-10-12 15:58:39
めんたね @mentane

ちなみにこの「言葉で理性的に要望を伝えれば協力してもらえるが、不機嫌さを撒き散らすだけの時にはスルーされる」というやり方は、アドラー心理学内では「論理的結末」という手法として知られている。

2021-10-12 16:01:09
めんたね @mentane

論理的結末は単なる懲罰とは違う。本人の選ぶ行動とそれに対して与えられる結果が論理的に結びついていないといけない。 要望を口に出さないことと、要望を聞き入れてもらえないことは論理的に結びついているので、これは懲罰ではない。 宿題をやらないことと、晩飯を抜くことを結びつけたら懲罰だ。

2021-10-12 16:02:28
めんたね @mentane

なぜなら、宿題をやらないことと、晩飯を抜くことの間にはなんの論理的つながりもないからだ。

2021-10-12 16:04:13
めんたね @mentane

アドラー心理学のことをよくわかっていない人に論理的結末を教えてしまうと、その論理的つながりとか共同体感覚に基づいたものであるかという重要な点を見落として、単なる懲罰として誤用しまくる人が結構出るらしい。特に子育てとか。

2021-10-12 16:06:27
めんたね @mentane

アドラー心理学というのはみんなで仲良く平等に生活するためのものの考え方だとぼくは思っていて、決して冷たいものではない。だが日本人はアドラー的なものの考え方を冷たいと捉えやすいようである。

2021-10-12 16:09:46
めんたね @mentane

極端な話、アドラー心理学的な考えというのは、それが腑に落ちてわかる人にとっては、物事を考えるときの筋道としての一つの目安になり、大変に生きやすくなるものなのであるが、身体感覚としてそれを受け入れる用意ができていない人からすると、劣等感を刺激しまくり自分を傷つける凶器に見える。

2021-10-12 17:48:17
めんたね @mentane

ここで 「私が不快になった」「私が傷ついた」 =「害悪であり、世界から排除されべきものである」 こういう発想を採用する人にとっては、アドラー心理学は間違った冷たい考え方で世界から駆逐されるべきものとなる。 アドラー心理学への批判の強さの背後にはこの構造があると思っている。

2021-10-12 17:50:24
めんたね @mentane

「別にあなたは無理にアドラー心理学的な生き方を志さなければいいのではないですか?」 そう言われても、ある種の人たちは世界の中に「真の唯一の正しさ」というものを確立したがり、それ以外のものを排除しようとする傾向がある。 多様な価値観の共存ということが案外難しいのはそのため。

2021-10-12 17:52:41
めんたね @mentane

「私の考えとあなたの考えは違っていて、それでかまわない」 というのも自分と他人の間の違いを認める発想がある。アドラー心理学はそういう自他の違いを認めるが、それを批判したくなる人の多くは、 「世界みんなの考えを本当に正しい一つの考えに統一したい」 と思っていることが多い。

2021-10-12 17:55:41
めんたね @mentane

ちなみに論理的結末を使うときには、「AをするとBという結果を与えますよ」という共同体を守るための論理的なルールだけを伝えておいて、実際に共同体を破壊するような行為に対してルール通りの対応をしたときに「ほら見たことか」などと言わずに淡々と、粛々とルールを守って対応するのが重要。 twitter.com/mentane/status…

2021-10-12 18:36:29