【名古屋市】旧中村遊郭と、楊輝荘散歩。~大正時代の秘密の地下道は洋館地下のダンスホールに繋がっている
- karako_romo
- 11104
- 50
- 1
- 1
揚輝荘の持ち主が元松坂屋の先祖だから、織田信長の小姓、として歴史が始まる。 pic.twitter.com/NyM4cHrstd
2018-05-06 14:02:20北園は「伴華楼」という日本家屋ですが、和洋折衷の造り。
北園の屋敷は水曜日と土曜日のみ公開。これは外から撮影 pic.twitter.com/4HrWBXyl61
2018-05-06 14:03:32南庭園に移動しての揚輝荘。中に初めて入った。食堂がカフェとして利用出来るんだ。 #揚輝荘 #おいでよ名古屋 pic.twitter.com/3zcETLBFuQ
2018-05-06 14:04:59洋館の名前は正確には「聴松閣」です。「楊輝荘座敷」も付随しています。詳しい名称等は公式サイトの園内地図参照。
揚輝荘の内部。めちゃくちゃ凝っててさすご松坂屋。そして突然の名古屋城(3、4枚目 #揚輝荘 #おいでよ名古屋 pic.twitter.com/DfeleA2Vep
2018-05-06 14:06:57ここではないどこかへ通じる噂の地下室のトンネル。 #揚輝荘 #おいでよ名古屋 pic.twitter.com/feb94NH8dl
2018-05-06 14:08:18地下室のダンスホール。バーカウンターもある。 #揚輝荘 #名古屋へおいでよ pic.twitter.com/4oKeRUg22z
2018-05-06 14:10:06あとで、ガイドさんより地下通路は日本家屋の「伴華楼」から洋館の「聴松閣」地下のダンスホールに続く通路だったと聞きました。
雨に客人が濡れないように、という配慮の結果なので秘密じゃなかった。
揚輝荘が一般公開されてからは初めて来たけど、今は再現不可能な職人の技だらけでした。 pic.twitter.com/ef8SELU76Z
2018-05-06 14:12:13揚輝荘のガイドで「信長には三人、小姓の乱丸が付いてて、そのうち一人が森蘭丸」と筆頭で出てくる突然のおらんちゃん、というのもあって結構楽しかったです。 pic.twitter.com/isSUPsMFG9
2018-05-06 15:31:31写真にも上げたけど、松坂屋の先祖も伊藤蘭丸、という蘭丸の名を持つそうで。 pic.twitter.com/zT5iCiLToT
2018-05-06 15:33:10揚輝荘の中まで入ったのは初めてだったけど、明治村や他で見たような、明治時代の外国人技師しか居なかった時代の和洋折衷館やガチガチの洋館と違って、大正年間から昭和初期だから多分日本人技師も結構いた時代だからか、上手く和の技術が入ってる館だなあという印象。ここもそう。 pic.twitter.com/oHDzkRfDGg
2018-05-06 17:01:50元々幕末明治維新オタだから、機会があれば結構あちこちの明治大正昭和初期の洋館には行ってるつもりなんだけど、特別な招待客だけが集まると「地下のダンスホール(バー付き)」なんて中2病な創作意欲掻き立てる場所が自由に見学出来るなんて、松坂屋の先祖が建てた揚輝荘くらいだから名古屋へおいでよ pic.twitter.com/jjA4HpEMYg
2018-05-06 17:36:42補足すると、商売相手だけじゃなくて皇族や華族も沢山来てるし、WW2後は7年程GHQの高官宅として没収されて使われてるので色んな創作意欲を触発される良い物件です。
2018-05-06 17:43:01ついでに余談ですが、揚輝荘の時代的に豪商だし文豪となんか縁ないかなーと言ってたら、夏目漱石の義弟が北庭園の「伴華楼」を改装設計したと聞いて確認したら確かにそうでした。県内の洋館を複数手掛けてる有名建築家だった #揚輝荘 #夏目漱石 #おいでよ名古屋
2018-05-06 22:23:32ぶら下げにも。 開館日や施設情報、庭園もあるのとアクセス等詳しくはこちら>>揚輝荘 公式サイト yokiso.jp #名古屋へおいでよ #揚輝荘
2018-05-06 22:34:23追記:中村大門の旧遊郭をリノベした蕎麦屋に行ってきた
コメントでも紹介されますが、ピアゴの目の前だった。ついでにピアゴの周りを自転車でぐるっと散策。
行ってきました中村大門。今度は旧遊郭をリノベーションしたお蕎麦屋さんです。隣にもずらっと旧遊郭の建物が並ぶ(けど民家っぽいので実物は現地でどうぞ。 #中村遊郭 #中村大門 pic.twitter.com/PZL0DpwYtT
2021-10-16 15:46:38