アメリカン・アニメーションは、新聞王が育てた!

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↑ これの続きです

uroak_miku @Uroak_Miku

へくちん! 1905年9月24日掲載。SNEEZE。 pic.twitter.com/I4XcQd6tAF

2021-12-19 12:29:42
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アメリカで comic strip が大進化したのは二大新聞王ピューリッツアとハーストの部数競争の切り札としてカラフルでヴィジュアルな日曜版が、そしてその目玉として comic strip があったからだと前に述べました。

2021-12-19 12:34:39
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このハーストさんという方が非常におもしろい男性なので手短にご紹介します。

2021-12-19 12:45:30
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映画『市民ケーン』(1941年)のモデルでもあります。 pic.twitter.com/ExwQwhzDrE

2021-12-19 12:46:21
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19世紀半ばにカルフォルニアで金鉱掘りの大ブームがありました。いわゆるゴールドラッシュ。そのとき金ではなくて銀鉱を掘り当てて成り上がったのがハーストのパパでした。

2021-12-19 13:31:55
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このパパ、賭博の担保としてとある地方紙を所有していて、これを大学中退の息子ウィリアムにくれてやった。カルフォルニア州サンフランシスコの地方紙。これを根城にオーナーとして奮闘。

2021-12-19 13:34:43
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1887年にオーナーとなり、8年後にはニューヨークの大新聞を買収。対抗紙 The New York Journal はピューリッツア系で、かくしてハースト対ピューリッツアの部数競争開始。

2021-12-19 13:37:01
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とにかく大衆を煽った。スペインからの独立運動を続けていたキューバ絡みであることないこと煽りたて、好戦ムードの果てに1897年には本当に戦争に。フィリピンにも飛び火し、それをまた派手に報じて部数を百倍に増やした。

2021-12-19 13:43:34
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印刷機の性能アップをうけて日曜版のカラー化、部数競争さらに激化。英語わかんない移民たちにもうけるよう目で見てわかるものを追求。comic strip は英語読めなくてもツカミがいいので重要な駒となった。

2021-12-19 13:46:01
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さてこの新聞王、1909年に全米規模の通信社を設立。電信でニュースを各地の地方紙に送る。トンツーです。印刷媒体は制圧しちゃったので今度は情報供給網に手を広げた。

2021-12-19 14:10:43
uroak_miku @Uroak_Miku

さらに5年後、1914年よりニュース映画の制作と配給にも乗り出した。この頃だから無声映画です、白黒です。「Hearst Metrotone News」の名で映画館で上映された。詳しくはうちの新聞買って読んでねってことです。

2021-12-19 14:13:22
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International Picture Service というニュース映画制作会社をこの1914年に立ち上げ、これが成功したのを受けて、翌年にアニメスタジオを作って、自分とこの人気 comic strip を映画館でアピール。アニメ化ですアニメ化。

2021-12-19 14:17:48
uroak_miku @Uroak_Miku

自分とこのニュース映画の終わりに、広告替わりに短いアニメ映画を付けたのです。自社系列紙掲載の comic strip が動く!広告ですね、売込み。読みたかったら買ってねって。

2021-12-19 14:22:31
uroak_miku @Uroak_Miku

マッケイはこの方面では仕事しなかったようです。芸術家肌だったのとヴォードヴィル芸人として著名だったことでアニメーション制作は自力自腹でやっていた。外の社員絵師たちは制作参加した模様。ジョージ・マクマナス、バド・フィッシャー等。

2021-12-19 14:25:08
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といっても実際の制作作業は別スタッフ任せだったようです。1915年設立と同時に8つの comic strip のアニメ化。それぞれ別シリーズ。 pic.twitter.com/cv3K8Zjz6v

2021-12-19 14:34:14
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とりわけ大人気シリーズとなったのが「Mutt and Jeff」で、同社内では人手が足りなくて老舗の別工房に発注。作者の Fisher を社長にすえて実作業は経験豊富な職人 Raoul Barré とそのチームが行った。

2021-12-19 14:47:55
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実は Barré のスタジオからアニメ絵師たちをハーストは引き抜いて自分の傘下にアニメスタジオを作ったのですが「Mutt and Jeff」シリーズの量産で人手不足となって、そこで Barré の元に自社スタッフも回してこのスタジオと提携し原作者 Fisher の会社として喧伝。

2021-12-19 14:53:25
uroak_miku @Uroak_Miku

実際の経営は別の方で、この男性がちょっとアレで、結局父さん、ではなくて倒産することになります何年も後ですが。

2021-12-19 14:55:40
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在籍していたアニメーターのなかにミルト・グロス、ウォルター・ランツらの名前も。グロスは後に手塚にも影響を及ぼすことになる漫画家に、ランツといえば「ウッドペッカー」の作者。

2021-12-19 15:03:30
uroak_miku @Uroak_Miku

このスタジオは1918年にはいろいろ経営が怪しくなっていて Barré は先手をうつべくスタジオを離れた。その後もいろいろあって1921年より「Mutt and Jeff」の作者そのひとが経営に関わるも23年に倒産。

2021-12-19 20:02:29
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ハースト直営のほうのアニメスタジオのほうはどうなったか?ここも1918年に店じまい。原因はなんと第一次大戦でドイツが敗戦国になったことでした。 pic.twitter.com/iyYIZFN1v2

2021-12-19 20:03:59
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ドイツ系移民を購買層の主力に置いていたハースト系列紙は昔からドイツ寄りでした。しかし大戦でアメリカはドイツを敵国とした。何しろドイツの潜水艦によって大型客船ルシタニア(英船籍)が沈められアメリカ人乗客が128名死亡したことでとうとう参戦したのだから。1915年。(画像はイメージ pic.twitter.com/NLNGrJgAeI

2021-12-19 20:11:13
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くだんのアニメスタジオの親会社でもあるハースト系通信社 International News Service は信用と落とした。ドイツびいきだってね。債務が増え、採算性の低い部門であるアニメ制作部門が解散。1918年7月6日付けで全社員解雇。彼らにすればまさにブラックマンデー。

2021-12-19 20:15:56
uroak_miku @Uroak_Miku

その後人気シリーズの制作は外部スタジオ(やはり新聞絵師さん)に委託していましたがそこも1年で閉鎖。それで Barré Studio(Barréそのひとはすでに退社していた)に委託するも1921年に契約終了し、以後ハーストはアニメ制作を行わなかった。このスタジオも店じまい。

2021-12-19 20:21:26