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2009年公開の『母なる証明』を見ていると、ポン・ジュノはこのころからすごかったし、『パラサイト』でアカデミー作品賞、監督賞を得る前から、世界の映画の中で特筆すべき人だったという思いを新たにする。
2021-12-30 07:25:51『母なる証明』には、ポン・ジュノ作品を特徴づける巧みな脚本や、おどろくべきcinematography, 卓越したproduction design, 印象的な伏線とその回収といった美質がすでに存在していて、後の『パラサイト』の質の高さへつながる原点がある。
2021-12-30 07:28:24なによりもいいのは、キャスティングと俳優の演技の質であろう。ああ、世界には確かにこのような人がいるというユニークな個性、存在感がある。この質感と比較すると、日本映画やドラマが陥っている泥沼の現状も見えてくる。
2021-12-30 07:29:19いつくらいだったか、バブルの少し前に「トレンディードラマ」のようなものが喧伝され始めた頃からか、日本のドラマや映画は「人」を見失って、小さな箱庭世界でつくられた仮面の下に「人」を塗り込めるようになったと思う。日本の「お笑い」の欠点もそこにある。
2021-12-30 07:30:46The Officeなどのコメディの傑作に比べると、日本の「お笑い」の設定は、社会の中の個性を持った「人」ではなく、人間なんてこんなものだという油断の仮面で覆い隠したぼんやりとしたヒトモドキを扱うようになった。「イケメン」などのヒトモドキを使う日本映画の雰囲気と通底している。
2021-12-30 07:32:00結局、本気で生きていない雰囲気が社会に蔓延している。以前、養老孟司さんが「茂木くん、日本人は生きていないような気がするんだよ」と言われていたけど、目の前の鮮烈な個としての「人」ではなく、ぼんやりとした仮面の下に「人」が隠れたヒトモドキばかりがドラマや映画お笑いで跋扈している。
2021-12-30 07:33:29どの国でも、典型的には地上波テレビで「人」ではなく「ヒトモドキ」が浮遊しているのは同じだけれども、日本の不幸は、映画やドラマ、お笑いの世界までヒトモドキが蔓延してしまって、ポン・ジュノ作品にあるような「人」そのものの質感が失われてしまったことだろう。
2021-12-30 07:34:30以上、連続ツイート2667回「ポン・ジュノの2009年作品『母なる証明』は人そのものが描かれていて凄い」をテーマに7つのツイートをお届けしました。
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