9月2日 日本が降伏文書に署名した日

孫崎享 @magosaki_ukeru
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孫崎 享 @magosaki_ukeru

(降伏1):今日は9月2日。日本が降伏文書に署名した日。実質的に戦争が終わった日。日本では何故この日が記念されないか。終戦に続く占領を考えないため。占領に続く自民党+今日の民主党政策が実質占領の延長であることを知らないようにするため。降伏文書は「日本の一切の官庁及び軍は降伏を

2011-09-02 08:23:31
孫崎 享 @magosaki_ukeru

(降伏2):実施するため、連合総司令官の出す布告、命令、指示を守る」「日本はポツダム宣言実施のため、連合総司令官に要求される一切の命令を出し、行動をとることを約束する」と記す。日本は「連合総司令官の要求に完全に従う」ことを約束。第二次大戦後も日本には天皇や政府が存続。しかし

2011-09-02 08:23:51
孫崎 享 @magosaki_ukeru

(降伏3):天皇や首相が自ら生き方を考え、政策を出せる訳ではない。天皇と日本国政府の上に連合最高司令官。第二次大戦後日本は米国に完全に従属する形。1945年9月6日、米国合同参謀長からマッカーサー元帥に「連合国最高司令官の権限に関する通達」。第一項で「天皇及び日本国政府の

2011-09-02 08:24:11
孫崎 享 @magosaki_ukeru

(降伏4):国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に属する」と規定。日本が米国の属国であること明確。さらに「我々と日本国の関係は契約的基礎なく、無条件降伏を基礎」ですから、「貴官の権限は最高であるから、貴官は日本から如何なる異論もうけない」。占領時の中心は吉田茂。

2011-09-02 08:24:26
孫崎 享 @magosaki_ukeru

(降伏5):そして占領後も吉田茂。政策にも大きな変化なし。特に在日米軍の在り方は占領時代と占領後変化無し。1960年でも地位協定等米軍の地位に変化無し。つまり日本は占領体制をそのまま今日まで引きずる。そして原理は「貴官の権限最高、貴官は日本から如何なる異論もうけない」

2011-09-02 08:24:40
孫崎 享 @magosaki_ukeru

占領時代―追加1:マサチュセッツ工科大学の総長コンプトン博士が訪日し、日本の情勢を調査の後、トルーマン大統領に報告した内容。「日本人は事実上、軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国であった。そこで一般の人は一方のボスのもとから他方のボス

2011-09-02 09:02:20
孫崎 享 @magosaki_ukeru

占領時代―追加2:すなわち現在のわが占領軍のもとに切り換わったわけである。彼らの多くの者はこの切り替えは新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである。」

2011-09-02 09:02:56
孫崎 享 @magosaki_ukeru

降伏:降伏の2日その後何が起こったか。9月2日午後4時、参謀次長マーシャルが日本側を呼び次を伝える。 「明朝10時に三布告を交付する予定。布告第一:日本の全域その住民は連合国最高司令官の軍事管理の下におく。行政、立法、司法の一切の機能は最高司令官の権力の下に行使される.英語を

2011-09-03 07:48:17
孫崎 享 @magosaki_ukeru

降伏2:公用語とする。布告第二:米側に対する違反は米国の軍事裁判で処罰する(治外法権)。布告第三:米国軍票を法定通貨とする。9月3日午前8時ごろ重光外相が横浜でマッカーサーと会い交渉。マッカーサーは3条件の撤回を約束。前日、重光外相自ら「連合総司令官要求に完全に従う」を約束、

2011-09-03 07:48:41
孫崎 享 @magosaki_ukeru

降伏3:トルーマン大統領自ら「我々は勝利者であり、日本は敗北者である。彼らは無条件降伏は交渉に持ち込むものではないことをしらねばならない」という考え、これを考えれば大変な成果。重光「折衝の若しなら成らざれば死するとも我帰らじと誓いて出でぬ」の気持ちで交渉。

2011-09-03 07:49:05
孫崎 享 @magosaki_ukeru

降伏4:ではこの重光外相どうなったか。9月15日辞任。その後は吉田外相。吉田の理念:「 私の外相任命時、総理大臣であった鈴木貫太郎氏に会った。その時鈴木氏は“負けっぷりも、よくないといけない。鯉は俎板の上に載せられてからは庖丁をあてられてもびくともしない。

2011-09-03 07:49:29
孫崎 享 @magosaki_ukeru

降伏5:あの調子で負けっぷりをよくやってもらい“と言われた。この言葉はその後私が占領軍と交渉するにあたっての私を導く考え方であったかもしれない。」こうして日本は終戦直後から自ら自立を捨て、従属へ。繰り返すがこの吉田茂が今日の日米関係の基礎構築。対米従属は沁み徹っている

2011-09-03 07:50:42