深夜勤務

旅館のナイト勤務、真夜中に・・
1
solaris @solaris1921

誰かの声が聴こえたような気がした。一瞬、自分がどこにいるのかが分からなかったが、すぐに職場の旅館のフロントバックオフィスで深夜勤の仮眠中であることを思い出した。目が明かりに慣れるのに少し時間がかかる。目を擦りながら壁の時計を見ると日付はとうに替わっていて、午前2時を差していた。

2022-02-23 23:11:38
solaris @solaris1921

「すみません・・」再び声がした。男の声だ。今度ははっきりと聴こえたが、しかしそれは、不自然に控え目で力のない声に感じられた。「はい、すぐに参ります。お待ちください」僕は急いでネクタイを直しフロントのカウンターの中に身を移した。館内はとっくに照明は落ちている。通路は全体に薄暗い。

2022-02-23 23:11:38
solaris @solaris1921

深夜にフロントにお客様が来ることは滅多にない。「こんな時間になんだろう?」という気持ちが自然と湧いてくる。フロントカウンター越しに数人の人影が立っていた。その数は5人。大人が3人、あと2人は小さな子供だった。しかし仄暗い深夜の照明の為、目の前に居ながら5人の顔はよく見えなかった。

2022-02-23 23:11:39
solaris @solaris1921

何か変だな・・そう思いながら僕は、「お待たせいたしました。お客様、私どもが、何かお役に立てることがこざいますか?」と、その声の主に向けて訊ねた。「送迎をお願いしたいのです」男の声がそうい言う。「チェックアウトの際のご送迎の事でございますね?」僕は確認の為の応対をした。すると男は、

2022-02-23 23:11:39
solaris @solaris1921

「駅まで送迎して貰えますか?」と静かな口調で訊いてきた。「もちろんでございます。ご希望のお時間はございますか?」と僕が応える。口調を変えることなく妙に静かな声の調子で男は言葉を継いだ。「今、お願いします。今、駅までお願いしたいのです」深夜2時を過ぎたこんな時間に?僕は当惑した。

2022-02-23 23:34:45
solaris @solaris1921

確かに時々、深夜に急な用事でチェックアウトをしたいというお客様がないわけではない。だが大抵は車で来館のお客さまであることが殆どだ。こんな深夜に駅まで行って電車に乗って帰ろうとするお客様は初めてのことだ。そもそも最終の時間を過ぎたこんな深夜の時刻に電車など走ってはいない。おかしい。

2022-02-23 23:44:15
solaris @solaris1921

「お客様、只今のお時間、送迎車は稼働しておりませんでして、それに深夜ですので鉄道も動いてはおりません。明朝までお待ちくださいませ」 僕は、目の前の5人のお客様のご希望に添いたいという気持ちを滲ませながら説明した。すると「そうですか」と、静かな声が返って来たかと思うと、何も言わずに

2022-02-25 10:14:43
solaris @solaris1921

男のそのお客様は通路を振り返り黙って歩き去った。残りの4人も、音一つたてることなくフロントの前からいなくなった。5人の顔は何故か陰に隠れたままのように最後まで見えなかった。急に気持ちが楽になった。気付かぬ内に、この深夜に黙って立ったまま目の前にいた5人に僕は圧力を感じていたのだ。

2022-02-25 11:00:59
solaris @solaris1921

3人の大人と2人の子供が深夜の2時過ぎにフロントに来て、電車も動いていない駅まで送って欲しいと言ってきた。余りに唐突で違和感が拭えなかった。僕は心の内でたまらなくその5人に目の前から消えて欲しいと切望しながら対応していたのだと今になって気づいた。不自然すぎる。いたずらだったのか?

2022-02-25 11:13:57
solaris @solaris1921

深夜の休憩で仮眠の途中だった僕は、急に目ざめさせられて殆ど反射的に対応していた。使い慣れた言葉だって慣れたままスラスラと出てきた。問題は何もない。何処か気になるのは僕の対応の善し悪しではなく、あのお客様は何だったんだ?という、自分でも求めている、答えが不明なままの違和感の正体だ。

2022-02-25 12:22:42
solaris @solaris1921

朝になればその日の朝勤のスタッフにたった今のやり取りのことを伝達しなければならない。無理なご要望であったとしても、お応え出来なかったことを含めどの部屋のどのお客様のことなのかをきちんと情報共有する。ちょっと待てよ?あのお客様の名前を僕は分からなかった。そして今も分からないままだ。

2022-02-25 12:52:11
solaris @solaris1921

昨日から日付けが変わった今に至るまで、対応したお客様だけでなく宿泊客の詳細を記した部屋割り表を取り出して確認した。今夜お泊まりの旅人は3名のグループが6組以外、他はすべてカップルのみであることはすぐに分かった。子供は一人も泊まっていない。僕の背中に腑に落ちた感覚と共に怖気が走った。

2022-02-25 19:46:26
solaris @solaris1921

今しがた僕が対応した5人のお客様が今夜この宿に泊まっている記録はない。それでもさらに僕は救いを求めるような気持ちでPC画面に向かい、予約なしで当日申し込みのお客様がいないか予約表のデータを確認した。一組だけ当日のお客様がいた。しかしやはりそれもカップルのお客様で、あの5人ではない、

2022-02-25 20:01:36
solaris @solaris1921

僕はただ、落ち着きたいのだった。普通に旅人達を迎え、笑顔で彼らの旅の思い出に役立とうと、温かな気持ちを抱いてその日だけの関わりに心をくだく。ただそうでありたいだけなのだ。僕は深夜2時を過ぎた静まりかえった宿の中で自分だけが独り混乱を来たしている今の状況にはどうしても馴染めない。

2022-02-25 20:16:04
solaris @solaris1921

電話が鳴った。館内の何処からかフロントにかけて来ている。神経が張り詰めていたせいか、呼び出しの音が異常に大きく感じる。僕は思わず耳をふさぎたくなると共に、鳴っている電話に出たくないというこの仕事には凡そそぐわない感情が湧き上がって来るのを感じた。電話機のディスプレイに目を向ける。

2022-02-25 20:23:15
solaris @solaris1921

215・・・電話は215号室からの電話だ。意味もなくホッとすると同時に、不味い!と、いつもより受話器をとるのに時間がかかってしまっていることを意識して僕は慌てて鳴り続ける内線電話に出た。「お待たせしました。フロントでございます」相手はすぐには話さず、ちょっと間を空けてから話しだした。

2022-02-25 20:41:24
solaris @solaris1921

「あの・・」 受話器から聴こえて来た声は男の声だった。でもさっきフロントでやり取りした男のものではない。深夜なのでやや声を顰めているようではあるが、もう少し若く快活な響きのある声だった。 「こんな時間にすみません。215号の斎藤なんですが、いや、あのですね。」と部屋からの声が語る。

2022-02-25 20:49:15
solaris @solaris1921

「はい、斎藤様」と僕の声が応える。「あの、さっきからなんですが、部屋の外の廊下で子供が遊んでるみたいて、ずっと子供の声がしてるんですよ。だから気になって眠れなくて」「お子様のお声が、ですか?」そう僕の声が問い直すと共に僕はまた背中に震えが走るのを感じた。今夜子供は泊まっていない。

2022-02-25 20:59:16
solaris @solaris1921

spoon専用垢。spoon運営により「運営のおすすめ」7回、spoonインスタ掲載2回。メインはラジオ番組 #レディオレム spoonにてCASTオンエアー。 #ヴォイスシネマ #吸血鬼ソラリス 全七話シリーズ最新五話「復讐者ヒース・クリーフ」12月21日より絶賛公開中!お聴き逃しなく!