『ゴールデンカムイ』最終章に追いつくまで
- chicken_edda
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アイヌの人々が子々孫々に至るまで知恵としての暮らし方、生き方を継承していけるのが前提だって結論になったはずだってフワッと思ってたから…… 時代の流れは必定なのだとしても、博物館で「展示」されていくしか残す道がないのなら、それは絶滅した(してゆく)動物の剥製と同じだろうと
2022-04-29 06:06:55どれだけいきいきと精巧だとしても生き物として刻々と移り変わる生き様、日々の暮らしは、もうそこにはないものなので… 「残すためにだけ残されていく」ことをあまりにいい話風にされたのは若干もんにょりしている そうするしか「残す」道は残らなかったって苦々しさはあってもよかったんじゃないか
2022-04-29 06:11:28もちろん、絶えて何も残らないより彼らの知恵が、暮らしが、生き方が受け継がれてきたことを何も伝えないより残さないよりはいいけど それでもそこはそのように成熟出来なかった社会なり世界の敗北だなと感じるので フィクションとしての優しい嘘だとしても私はそのまま受け取ることは出来ないなと…
2022-04-29 06:15:48ただ「暮らし」の実態そのものをを保存していくって本当に難しい(という言葉で括って理解したつもりになるのももんにょりするけど…)というか現代社会から見ると極論旧時代の暮らし方に縛りつけて「今の」社会から締め出した人間集団をあえて作ることに他ならない 一定の人間に進歩を認めないことに
2022-04-29 06:35:53なってそれも「「どう」」なんよと…いうことにならんか……?と だから「守る」「残す」が自然に続いていくことじゃなく能動的な行為になればなるほど問題が多岐にならんか…?じゃあどうすれば…?どうなれば…?をずっとモヤついている いや私がそういう知識に暗すぎるのでうっすい考えだけども
2022-04-29 06:35:53だからこそただ場所とか道具だけ「「は」」残されていくことになりました が話の落とし所として宙ぶらりんになってないか?肝心の「人」はどこへ行ったんだ……みたいな…… 結論は出ないが……
2022-04-29 06:38:14ただこのお話が歴史ifである以上はそこまでウンウン言ったってどうなのよは思うけど しかしそのifの元ネタとしての現実社会が「「どうなのよ」」って話でもあるので、あんまりオブラートばっかりでもかえって嘘っぽさになってしまったのが寂しかったな……私は……
2022-04-29 06:53:30途中でそっと尻切れ蜻蛉になったら察して欲しいんですが、多分今の自分なりの尾形百之助の心象に起きていたことがなんだったのかの一端が解説出来そうな気がしてきたので 帰宅後落ち着いたらツイートしたいかなと思います(拝啓夜勤帰りのコメダの店内より)
2022-04-29 08:52:42310話…もとい尾形百之助像をどう語るべきか未だにわからずそも理解は出来ないと諦めた前提の上で何とか語ってみようと試みるのですが、彼自身を語る前に ①人間は「社会的存在(生物」である ②自分以外の他者が持つ価値観や規範を受け容れ(内在/内面化す)る一種の反応が人間を社会的存在たらしめる
2022-04-29 16:09:03③【内面化】には「愛着(アタッチメント」なる情動が大きく関わる ④【愛着】とは、「特定の他者に対して持つ情愛的なきずな」である ことなどを基盤とつつ考えてみたいと思います ただし今回参照した教育心理用語等はあくまで子供の発達に重点をおいたものなので大人/青年期と見做される人物造形に
2022-04-29 16:09:03そのまま適用するのには大分無理がある部分もあるかと思いますが、そもそもが素人考えの与太話なので色々と大目に見てください(いつものことです)
2022-04-29 16:09:04何故「愛着」で尾形百之助を解釈してみたかというと、310話の心象(回想)風景の尾形が「勇作だけが俺を愛してくれたから」という「自覚」をひとつの理由として語っていたのが引っかかったからなんですね 尾形が勇作さんに【愛されていたという自覚】が(曲がりなりにも)あったことで、
2022-04-29 16:35:43勇作さんから尾形に向けられた「愛着」が、勇作さんへの「愛着」を尾形に起こさせたのではないか? 尾形から勇作さんに向ける愛着があれば、愛着の対象(特定の他者)としての勇作さんが持つ価値観や規範を尾形も共有しうる素地として成立したのでは? ということなどを仮説として考えたわけです
2022-04-29 16:35:44なお愛着形成において言う【特定の他者】とは「自分の感情に寄り添ってくれる存在(多くは親などの養育者/大人」を言います 対象者にとって、「この人は自分のことを理解してくれる」と信用し、安心を置く「他者」です この信用の基盤となるのが対象同士の【感情の共有】です 子供は、生まれたままでは
2022-04-29 16:58:01快不快や喜怒哀楽をあらわす言葉や概念を全く知らないので、自分の感情/感覚の状態を他者(大人)から「美味しい」「寒い」等と言い表されることで理解(共感)を獲得していきます 同時に「寒い」などの異常をケア(解決)されることで、相手に信用や安心を持てるようになります
2022-04-29 16:58:01その同調(共感)と安心(理解)の積み重ねの肯定が特定の他者への「愛着」となれば、次に起きるのが【規範の共有】です 人間は自分が共感する(同じ存在と思える)他者の行動を真似たり、価値観を学ぶことで倫理道徳や善悪の規範を社会性として獲得します これも人が成長してもなお好意の対象や
2022-04-29 17:47:17集団内の仲間を対象に多かれ少なかれ起こります ここでやっと本編の話に戻れるんですが、実は尾形も尾形で「悪徳」的な規範を(自分に対する愛着があると確信している)勇作さんに対して共有しようと持ちかけているシーンが2箇所ありますね(遊郭と旅順攻囲戦の時)
2022-04-29 17:47:18「周囲にバレなければ真実がどうあろうと構わない」「戦場で自分だけ手を汚さないのは如何なものか」という旨の理屈で、尾形は自分の培った価値観の一端を勇作さんに内面化しようとしていたきらいがある しかし結果として「たらしこみ」は徒労に終わったものの、むしろ尾形百之助の方が
2022-04-29 18:55:21【罪悪感】という価値観(感情の輪郭)を花沢勇作から与えられている転機があるわけですね 「自分は罪悪感など微塵も抱かない欠けた人間だ」という自己認識に対して「人を殺して罪悪感を微塵も感じない人間がこの世にいて良いはずがない」という既知の認知と矛盾する揺らぎの端緒を尾形は得てしまった
2022-04-29 18:55:22もしも尾形百之助が花沢勇作に対して全く何の思い入れも共感も愛着もなければ、この【罪悪感】をめぐる矛盾、死の間際まで尾形百之助を引き裂くように苦しめた葛藤はそもそも発生すらしなかったはずだと思います けれど彼は知らず揺らぎを得てしまった その端緒を「思い出して」しまった
2022-04-29 19:01:56