1943年12月コチェービエ/ゴトシューの戦い
- noricksakurai
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新刊の「第二次大戦イタリア戦車」見てたらL6/40はお馴染みの写真だったので、ちょっと詳しいお話を。場所はスロベニア南部のコチェービエ(Kočevje)ドイツ名ゴットシェー(Gottschee)の町で、1943年12月9日深夜から第14パルチザン師団の3個パルチザン旅団による攻撃を受けました。 pic.twitter.com/r48kTt9XRi
2020-08-28 23:08:35町の守備隊は第19SS警察連隊の第2中隊(兵力約150名)とスロベニア郷土防衛隊(ドモブラン)第3大隊の第3中隊と第7中隊(兵力約100名)の合計250名の兵力であり、第2中隊長のFridolin GuthSS大尉兼警察大尉が指揮を執っており、守備隊は旧市街の中心にあったゴトシュー城館へと撤退しました。
2020-08-28 23:11:40ゴトシュー城館は町の中心部にあり城砦というよりも領主の館という建物ですが、それでも頑丈な石造りの建物であり守備隊の最後の拠点となりました。建物は小火器程度ではびくともしないため、パルチザン部隊は城館に砲撃を集中し、最後は野砲の直接砲撃により壁に穴を開けようとしました。
2020-08-28 23:13:2912月10日、リュブリアナ(Ljubljana)のドイツ軍司令部では第162(トルキスタン)歩兵師団の第314歩兵連隊と第19SS警察連隊に第13(増強)警察戦車中隊の戦車を加えて救援部隊が編制され、救援部隊はザグレブ高級SS及び警察指導者のErwin Rosener中将が指揮を執りました。
2020-08-28 23:17:40第314歩兵連隊は西方約60kmのポストイナ(Postojna)からゴットシェーへと急行しましたが、途中の道路はパルチザンに破壊されており、道路を補修しながらの移動のためゴットシェーへの到着は12月12日の午後になり、市街戦は日没とともに下火となり、パルチザン部隊の撤退により町は奪回されました。
2020-08-28 23:23:20最初のL60/40の場所は町の北側、リンチャ川に架かる橋の上で、左手の教会は戦災に会わなかったようで、現在も立派な尖塔がそびえています。道路右手の建物は大きく破壊されましたが、当時の建物が現役です。 goo.gl/maps/NZUHnE2t2… pic.twitter.com/hFCNr1HWcY
2020-08-28 23:37:551枚目はお馴染みのL60/40の写真で正面右半分に写っているのがゴトシュー城館です。2枚目は高い位置から同方向を見たもので、破壊された正面玄関の様子がわかります。3枚目は玄関前に遺棄されたパルチザン側の野砲で、背景には戦死者の棺も写っています。 pic.twitter.com/e5CNJ4ffaY
2020-08-28 23:47:37ゴトシュー城館をはじめこのメインストリート両側の建物はすべて破壊されており、現在はすべて建て替わって当時の面影はありません。ゴトシュー城館は完全に撤去されて跡地は公園、公共施設、スーパー等になっています。 goo.gl/maps/ABm6o4FAZ…
2020-08-28 23:58:07【おまけ】戦前の1936年に撮影されたゴトシューの町のメインストリートの様子。道路の両側の建物の様子や賑わいがよくわかります。 youtu.be/aqHLTKnOhA4
2020-08-30 22:35:18