モノ についての考察

今原子力を平気で推進している モノ は、人ではない。動物でもない。そんな人に倫理を解いても全くの無駄だ。モノだから、地球のことなど考えられない。自分だけで存在していると思っている。この世に生を受けたことなど忘れてしまっているのだ。感謝の気持ちもない。何もない。 posted at 05:44:03
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onodekita @onodekita

日本人が群れたら一番怖いのは、モノたちが一番よく知っている。主義主張のないモノたちでも、むれればものすごい力を発揮する。だから、モノはデモが怖い。何しろこちらには心があるのだから、モノとは全く違う。だから、異常に思えるほどの規制をかけてくる。そして、口では無駄なことをという。

2011-09-14 05:57:47
onodekita @onodekita

彼らは、人間ではないから・・・そうだ、その通りだ。自分だけはなにがあっても大丈夫と思っている。そういった人間に打撃を与えるのは、人生の中で最も大事なもの・・カネ・・を強制的に取り上げるしかない。それしか、かれらは骨身にしみない。口で何を言っても、蛙の面に○○だ。

2011-09-09 05:40:13
onodekita @onodekita

今原子力を平気で推進している モノ は、人ではない。動物でもない。そんな人に倫理を解いても全くの無駄だ。モノだから、地球のことなど考えられない。自分だけで存在していると思っている。この世に生を受けたことなど忘れてしまっているのだ。感謝の気持ちもない。何もない。

2011-09-09 05:44:03
onodekita @onodekita

モノ が人を滅ぼそうとしている。なぜ、人はモノになるのか。そちらの方が簡単にカネになるからだ。先祖なんてしらねえよ。子どもなんかしらねえよ。先のことなんて考えねえ。こんな モノ をここまで増やしてしまったのは、もちろん人の責任だ。モノ には責任などとれるはずがない。

2011-09-09 05:46:38
onodekita @onodekita

町おこしの話が出る。本来、そこに住んでいる人が幸せになれば、それでいいはずだ。それが、すぐに観光と結びつく。町おこしをすることで、観光客が増え、地元が豊かになる。どこもそうだ。同じことを言っている。どうして、 カネ が一番頭に来るのだ。

2011-09-09 05:48:02
onodekita @onodekita

子どもたちの顔、何気ない日常生活、苦労して収穫した家庭菜園、親子げんか、そういったことを滞りなく遅れることが 人の一番の願いだ。そして、たまに外食をして、旅行して気晴らしをする。それで十分ではないか。人ならばそう考えて当然だ。

2011-09-09 05:49:43
onodekita @onodekita

ビジネスエリート という集団がある。肩を切って、下々のモノをたずさえ、暴利をむさぼる。やれ、ジャガーだ、ロレックスだ、別荘だ。と。モノのように扱われるのが人で、命令を下すのは モノ 何かおかしくないか。なぜ、モノの方が偉いのだろう。

2011-09-09 05:51:38
onodekita @onodekita

ビジネスエリートが 電力業界とつながりないはずがあろうか。つながりがなければ、ビジネスはできない。電気は産業の空気なのだから、産業界にいる限り空気を吸わなければならない。当たり前だ。そしてまた、我々ももうこの空気なしでは生きられなくなってしまった。

2011-09-09 05:53:27
onodekita @onodekita

いろいろな討論会に出てくるのは、必然的に モノ ばかりになる。人は、観客席の片隅に形式的に招待される。まわりは全部モノだ。そんな中で発言しても、嘲笑の対象になるだけだ。下手をすれば、自分が間違っているのではないかと通常の人ならば思ってしまう

2011-09-09 05:54:57
onodekita @onodekita

モノ に人間の感情を期待しないことだ。ファウストのようにもう、心臓はすでに悪魔の手の中にある。我々の権力の及ばないところだ。では人はどうしたらいいのだろうか。

2011-09-09 05:56:30
onodekita @onodekita

声を上げることだ。一人一人は小さい声しかない。一人では潰されてしまうだろう。感受性の強い人なのだから。傷つくだろう。当たり前だ人なのだから。それこそが、人である証だ。落ち込む必要は全くない。むしろ自分が人であることに誇りを持たなければならない。

2011-09-09 05:58:05
onodekita @onodekita

モノになれば簡単だ。何も心配しなくて良くなる。将来も考えなくて良くなる。過去も考えなくて良くなる。なんと楽だろう。言われたとおりにやっていれば良くなる。今までの人としての生活からすると夢のようだ

2011-09-09 06:00:28
onodekita @onodekita

人は今、そのまま人で生きていくか、それとも モノ になるかの踏み絵を踏まされようとしている。人は自分の意志で動くのだから、人のままでいるかモノに変わるかは、人が自分で考えなければならない。モノに囲まれてしまったから、モノになる。それも致し方ないかもしれない。

2011-09-09 06:02:38
onodekita @onodekita

でも、子どもはどうだ。モノになりたくないと 必死で声を上げているのに、親がモノになると決めた時点で、否応なく モノ

2011-09-09 06:03:09
onodekita @onodekita

になってしまう。彼らには選択権は全くない。人として心が痛まなかったら、もうその人は モノ になってしまったのだ。

2011-09-09 06:04:04
onodekita @onodekita

人はもう、すでに数が少なくなったのかもしれない。それでも、自分の意志で声を上げることができる。そして、精一杯上げなければいけない。力は弱いが モノ の世界を支えているのは 結局は 人なのだから。モノを支えなければ、モノ自体存在し得ない。それをわからせることだ。

2011-09-09 06:05:44
onodekita @onodekita

どんな小さなことでもいい、自分のできることをこつこつと続けることだ。モノの巣窟には電話をし、抗議する。あるいは、デモなどモノが最も嫌うことをしてもいいだろう。そして気の小さい人は、大きなモノが支配する会社の製品を購入しないことだ。新聞はどうだ。だれが頭だ?

2011-09-09 06:07:35
onodekita @onodekita

もう、人ならば見えている。人ならば、だれがモノの親分にあたるのかわかっている。モノにもあきらめずに、人の種を植えることだ。種が育つかどうかはモノ次第だが、もしかすると大きな花を咲かせてくれるかもしれない。そうすれば、花が咲いたときに感謝されるだろう。

2011-09-09 06:10:12
onodekita @onodekita

ただ、種をまいたのになぜ咲かせないのだとモノに八つ当たりしないことだ。種から花が咲くこともあるし、そのまま芽が出ないこともある。そういうこと。

2011-09-09 06:11:13
onodekita @onodekita

人には何か心を支えてくれる存在が必要だ。だって、人なのだから。それは当たり前だ。それは、子どもの笑顔であったり、日々の労働への感謝だったりするだろう。あるいは、何かの宗教であってもいい。人の世の中で、数千年受け続けられた考えは、全て真実なのだ。そこには、人を支える何かがある。

2011-09-09 06:13:58
onodekita @onodekita

仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、神教、形は違うが、本質は全て同じだ。どれでもいい、本を読んで教えに耳を傾ける。そうすれば、明日への活力が出てくるはずだ。宗教は難しいのだろうか?そんなことはない、日常のエピソードが書かれているに過ぎない。

2011-09-09 06:18:09
onodekita @onodekita

ただし、人の世に神を作らないことだ。人は神にはなれない。それは決して忘れてはならない。我に従えといった時点で、その人は モノ だったことが逆に証明される

2011-09-09 06:20:43
onodekita @onodekita

キサゴータミーの話 http://t.co/mGnYVW7 カッサンドラーの話 http://t.co/iXlrUdw 難しいだろうか。だれでもわかる文章のはずだ。

2011-09-09 06:35:20
onodekita @onodekita

モノの言葉がどうしても耳に入る。そして我々は傷つけられる。だって、心のある人なのだから。そういったときによりどころになるのが、子どもの笑顔であり、同じ人としての友人だ。

2011-09-09 06:44:35
onodekita @onodekita

はだしのゲン第2巻を読んだ。目が赤くなって、診察に影響するかもしれない。原爆赤痢は、この巻に詳しく載っている。症状なども。発熱、血便、紫斑、ピカにあわずにその後広島市に入ってきた兵士がやられた。明らかに内部被曝だ。

2011-09-09 09:21:45
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