旦那と番頭の話

長月笹良 @sasa_sep

長月笹良は『押しの強い年上攻めと下町のクール受けで攻めが受けにそっと触れる』BL小説を書くといいと思うよ！ http://t.co/8jjeSWd #twblnovel

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#twblnovel 若い時分はしょっちゅう来た見合い話も近頃は減ったが、こりゃ若すぎだ、俺の歳の半分じゃねえか。釣書を放って畳に寝そべる。会ってみりゃいい、向こうさんも承知なンだろ。涼やかに笑う番頭の膝に手を伸ばす。五つ下の幼馴染みを店に押し込んだ日から、嫁を貰うつもりはない。

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#twblnovel 大学校は出たものの、学者にはなれずに私は途方に暮れていた。お前は勘定が得意だなと決めつけたのが、かつて近所の子供の大将だった大店の息子。家中に連れ込まれ、おい皆、今日からこいつが番頭だ。継いだそばから勝手ばかりと古参の者は頭を抱えたらしい。全部、昔の話だ。

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#twblnovel 元来、私は頑丈なたちではない。大切な論文の仕上げという時に高熱を出して昏倒し、博士号は泡と消えた。実家は温かく迎えてくれたが、学費のことを思うと辛い。情けなさに半ば自棄になった頃、往来で名を呼ばれた。一人前の商人然とした風体。五歳の差は、昔より開いていた。

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#twblnovel 番頭さん、少し休ませて頂戴なと得意先の大奥様がお越しで、算盤を脇へどけてお茶を淹れる。これ、牛乳と食べるのが乙よと差し出された洋菓子の折箱を何時も済みませんと押し頂くと、さて、と本題が覗く。きっと旦那様も今度の娘は気に入りますよ、色白がお好みって仰ったもの。

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#twblnovel　修行は他所でやれとの家訓に従い十歳で親元を離れた。旅立つ朝はみぞれ混じりの雨、近所の医者の末息子はちょっと寒いとすぐ熱を出すちびだったが、その日も女と見紛う真ッ白い頬っぺたを赤くして、真ん丸に着膨れて見送りに来た。寒いから家に入ンなと撫でた頭を嫌々と振った。

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#twblnovel 洋菓子を切り分ける白い手を見ながら思い出話をすると、忘れちまったねェとつれない。残りは皆で分けなさいと女中の娘に箱ごと呉れてやってから、で、どうなさるンでと詰め寄ってくる。毎度お断りしてる私の身にもなって下さいよ？この野暮助、口説いているのがわからねえのか。

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#twblnovel 濃い色の方が締まるわ、こっちの帯はどう？お見合い用の着物を見立てて差し上げてと言い置いて番頭は帳場に行ってしまい、着せ替え人形にされていい加減げんなりした処でやっと顔を出した。似合うかいと訊くと、ぱっと笑って頷いた。その面を拝んだら、俺の目的は仕舞いだ。

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#twblnovel 旦那様に見合い話を持ち込まれる方は幾人かいるが、筆頭はやはり菓子折片手の大奥様だ。おぼこい娘から年かさの寡婦まで、一体何人の女性と知己であるのか。ちょっとよして頂戴よ、これはあたしの生き甲斐みたいなモンなんだから。小さくなって謝る私を、笑って許して下さった。

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#twblnovel その方の何処がいけなかったってンですか。好みと違った。そんな、大奥様が折角…。いいか、俺の好みはもっとうるせえんだ。色が白いってだけじゃねえ、細っこくて頑固者で、賢くて算盤の得意な筆蹟のうまい奴だ。お前だって知ってンだろ。…知ってて、どうなるって言うんです。

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#twblnovel 眠れずに夜が明け、顔も洗わず往来へ出た。堀端を歩く頭がぐらぐらして、側の欄干に凭れる。花嫁を迎えて後継ぎが生まれる、全てが順調にいくと早合点した自分の甘さが苦い。おい、橋の袂から声がかかる。うちじゃ朝飯食わねえ奴は仕置きだ、帰るぞ。愛しい主人に手を引かれる。

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#twblnovel 家訓により、朝食を抜いた使用人は腹が据わらぬ、と仕事を外され給金が減る。気持ちばかり朝餉に箸をつけて、帳場に座る。指は算盤珠をはじくが頭はうわのそらで、何度さらっても帳簿の収支が合うのが不思議だ。目の前がいやに暗いのは何故だろう。不意に、墨の色に呑まれる。

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#twblnovel 女中の悲鳴がまず聞こえた。総さんが、と慌ただしく廊下を走る音。総一がどうした？帳場で倒れて…！聞くなり飛び出す。医者は！今呼びに！文机に伏した背中が妙に薄く見えた。脈を診ようと取った手首に、墨がべったりくっついている。つうッと白い肌に筋をひいて、滴が落ちた。

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#twblnovel 私は自分を過信していた。近頃熱を出さないのは体が頑健になった訳ではなく、商家での規則正しい生活が合っていただけだ。呼ばれた医者が私の実家の義兄で、診療があるからと帰るのと入れ替わりに長姉がやって来た。「無理に外で働かなくていいのよ」嫌です。私は首を振った。

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#twblnovel うちにも体を使わない仕事があります、此処と一緒でしょう？姉が心配してくれているのを疑うではない。はじめは父母や姉と同じ医者を目指した。体が弱くては紺屋の白袴だと気付いて、ならばと学者を志した。どちらにもなり損なった私は、此処を去ったらもう何にも成れなくなる。

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#twblnovel 前々から後継ぎは養子を迎えるつもりでいた。先代にも話はついてる。聞いていません。今言った。ぞっとする程低い声で主人に詰め寄る最も新参の番頭をちらりと睨め上げる。非道ェ顔色だな、また倒れちゃことだ、お前しばらく休め。俺が決めたことだ、黙って従ってくれりゃいい。

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#twblnovel 今日も休養を言い渡されて抗った処を先代に聞かれ、なら俺の相手しろィと呼ばれた。おゥ総一よ。はい。ここン家で後取りを他所へ出すのはな。はい。うちのやり方に拘らねえで、変えていっていいって意味さな。はい、でも、養子には反対です。…お前さん、顔に似合わず強情だな。

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#twblnovel アラ珍しいこと、総一さんは？今日は休暇で、親父と将棋指してます。そうなの、新しい型紙染めの見本帖を頂ける？へぇ只今、という間に上がり框に座っている大女将。養子をお貰いに？はァまあ。でもお家の差配は奥様の仕事でしょ？いい加減懲りるかと思ったが、敵は手ごわい。

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#twblnovel 見合いを反故にした話が世間に流れてから、養子取りは俄に進んだ。あちこちから引き合いが舞い込む。嫁を貰う気のない当代の心変わりを待つより確かだという者もいる。新参の上に仕事も外されている私の声は届かない。名月を口実に居室を訪っても、無粋な主人にあしらわれる。

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#twblnovel 膝頭で遊んでいた指を払い、縁側から空を仰ぐ。月はまだ、隣の屋根の向こう。何だい？今宵は仲秋ってんですよ。へぇ。うちの旦那様は暦に疎くて。俺の仕事はこう、でぇんと構えてることだからな。なら、後継ぎをお作りになれば尚…その後の語は継げずに、引き倒されて抱かれる。

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#twblnovel 味を覚えたら堪えがきかなくなる。ひとつ屋根の下に暮らしているなら尚更と手を出しあぐねていた俺も、後継ぎを作れなんて口をすべらせたこいつも、しびれを切らして一巻の終わり。滑らかな腹の、俺の埋まっているあたりを撫でると、すすり泣いて戦慄く。月が明るくて露骨だ。

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#twblnovel 緩慢な動きで身を起こし襟を掻き合わせるのに背を向けて、煙草盆を引き寄せる。そんなに俺の胤が大事か。…当たり前だ。答える声は掠れているが揺らがない。拾って貰って、感謝してる。口ではそう言うくせに、俺の気持ちは汲んじゃくれねえのか。燻った葉の匂いが目に滲みる。

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胤＝たね

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#twblnovel 先代曰く、私の指し手は捨て身の喧嘩。また今日はやけに荒れてやがンなァと駒を掌で弄ぶ御隠居に、まさか昨夜何があったとも言えないで曖昧に微笑む。すると、表の方向からばたばたと廊下を走ってくる足音に顔を見合わせた。失礼致します！何でェ騒がしい。総一さんはこちらで？

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#twblnovel 金箪笥の中身が帳簿の数字と食い違う。鍵を持っているのは俺と、総一から取り上げて他の番頭に預けてある。帳場へ行くと、卓に山積みの書類を前に算盤をはじいている数人の中に固い横顔があった。お前何してる、問い質す前に、頼む、と目は帳面のまま伝票を一掴み突き出された。