@yousuck2020 プログラミングスクールの費用にあてます。プログラマーになってお金を稼いでシリコンバレーで働きます。日本に戻って司法試験を受けて弁護士になります。世界で活躍できる日本企業を法で守ります。
2019-01-07 23:32:02わたしの両親は10代後半にとある宗教にハマりそこで行われるいわゆる合同結婚式で出会い結婚しました。そのあと兄、わたしと生まれ4人家族となりました。
2020-02-07 18:20:44物心ついた頃から毎週日曜は教会へ行き毎日朝や夜には礼拝と言って教会の教訓を読んだり祈祷したり教会の本を読んだりするという信仰生活を送っていました。数ヶ月に一回ほど信者たちが集まり大会を開くためそこに参加したりセミナーにも参加したりしました。
2020-02-07 18:25:44小さい頃は教会の教えもあまり理解できずただそこに集まる信者の同じ歳の子供たちと遊んだりすることが楽しくて特に嫌な思い出はありませんでした。
2020-02-07 18:27:57ただうちの親は特に熱心な信者で私たち兄弟は幼い頃からある教えについてはしつこいほど言われていました。(今となっては呪いです) それは異性と付き合うな、遊ぶな、目も合わせるなということです。信者以外の人は堕落性があるため付き合うな、同じ信者同士で結婚しろ、と言われていました。
2020-02-07 18:30:20他にもたくさんあります。 ・婚前交際厳禁 ・純潔を守れ(つまり結婚まではセックスするな) ・結婚相手は親が決める ・教会へ行け ・酒、タバコは厳禁 ・教会のセミナーに参加しろ
2020-02-07 18:33:10話はそれますがわたしの母親は韓国人です。在日でもハーフでもなく純粋な韓国人です。ですが母親は宗教の創始者が決めた相手(いまの父)と結婚するため周りの反対を押し切り1人で日本にやってきて結婚生活を始めたのです。
2020-02-07 18:34:40もちろんそこに愛なんてない。自分の尊敬する教祖が決めた相手だから一緒に生活する、それだけです。だから育った環境、性格、生活背景、趣味、考え方全てが違うわけです。言葉も通じない。親戚も知り合いも友達も母親は誰一人いない日本に一人でやってきた。宗教だけをたよりに。
2020-02-07 18:36:01そんなわけですから父と母は何度も激しい喧嘩、罵り合いをしているのを小さい頃から何度もみてきました。母親は父親に対する激しい悪口を私たち兄弟に毎日浴びせました。死ね、地獄に落ちろ、あんな奴となんで結婚したんだ、後悔しかない、お前たちがいるから縛られている、などです。
2020-02-07 18:39:05父親に対する悪口は止まりません。小さい頃ですから母親からは絶対的な影響を受けるわけです。4歳5歳頃から無意識に父親に対してわたしは軽視、軽蔑、侮蔑の念を抱くようになりました。これは今でも潜在意識の中にあります。苦しんでいます。
2020-02-07 18:40:44慣れない環境での生活は母にとってものすごくストレスだったのでしょう。父親の親戚もこの結婚には大きく反対していたため母親に対してもあたりは強く母が心から信頼できる人は日本にはいませんでした。だから精神的に不安定になることが多くそのときは今でも覚えていますが地獄でした。
2020-02-07 18:42:26今でも覚えています。父と母が夜喧嘩を始めました。激しい怒鳴り合いが続き、母は家中の皿を割りました。わたしは不安と恐怖と悲しみで眠れず布団で震えていました。母はその日家を出て行き戻ってきませんでした。
2020-02-07 18:43:47これは大きなトラウマになりました。幼少期のわたしは母が大好きで母がわたしの世界の全てでした。母に捨てられる恐怖、母を怒らせた父への怒り、そんなネガティヴな感情で幼い頃のわたしはいつも揺れていました。
2020-02-07 18:45:03結局次の日の朝に戻ってきましたが母ひ一切口をきいてくれませんでした。母が心配でしょうがないわたしは母の機嫌をとるためごはん食べる?少し休む?など声をかけますがうるさいと怒られるか無視されるかのどちらかでした。わたしには怒りはなく悲しみしかありませんでした。
2020-02-07 18:46:40この事件以降母に捨てられる恐怖が常にわたしを襲っていました。常に母の機嫌を伺う。それに対して父には娘とは思えない横柄な態度や怒りをあらわにしていました。
2020-02-07 18:47:41もう一つ大きな事件は私が小学校5年生の頃に起きました。夏の日だったと思います。父と母がささいなことがきっかけで喧嘩を始めました。母の精神的な不安定さはここのところますます増し、その日はついにその緊張の紐が解け大爆発に至りました。
2020-02-07 18:49:13きっかけはお金だったと思います。母は韓国人で日本語もあまり喋れず特別なスキルも持っていなかったため仕事をしていませんでした。父からの給料が唯一のお金でそこから買い物や生活用品を買っていました。母は浪費癖がありお金をうまく使えませんでした。
2020-02-07 18:51:15だからいつも給料日近くにはお金が底をつき食べるものがありませんでした。給料日近くにはご飯に醤油をかけて混ぜて食べるのがいつもの流れでした。それがすごくストレスでわたしはいつもイライラしていました。お金がない我が家が嫌でしかたなかったしそうさせた宗教へも不信感を抱き始めました。
2020-02-07 18:53:07そしてそのお金のことで父と母は大喧嘩をして母は家を飛び出ました。母はその後1ヶ月は家に戻りませんでした。不安と悲しみで私はその時鬱状態だったと思います。学校でも悲しみで涙が溢れ家に帰っても無気力状態でした。毎日母を探しました。空港に行ったり公園をのぞいたり電話もしました。
2020-02-07 18:55:37手紙も書きました。いい子にするので母を返してくださいと。父と兄に話し合いも持ちかけました。どうしたらお母さんが幸せに暮らせる?と。掃除もする勉強も頑張る文句も言わない、いろんな案を出しました。母に帰ってきて欲しい、その一心で。
2020-02-07 18:56:59ある日父が言いました。母の居場所が分かったと。母は遠くに住む姉のところにいました。私はそれがわかり安心して大泣きしました。早速母に手紙を書きました。戻ってきて、大好きだから、お母さんが1番好き、いい子にします、そんなことを書いたのを覚えています。
2020-02-07 18:58:05お母さんは帰ってきました。安心と嬉しさと色んな感情でわたしは母を見て抱きつき大泣きしました。母はごめんねと言ってくれましたが、これは本当に本当に当時のわたしにとっては大きな傷となりました。
2020-02-07 18:59:21母は情緒不安定な人でした。車に乗るとお説教タイムが始まるのがいつものことでした。わたしの怠け癖、すぐ寝ること、色んなことを細かく叱ってきました。いつも最後にはあんたなんか産まなければよかった。あんたみたいなのがいるからお母さんは辛いんだ、です。
2020-02-07 19:01:00母は常にわたしを比べました。テレビに出てる優秀な同年代、友達、教会の友達、そして兄です。兄は頭が良かったため母はわたしに兄のことをよく褒めてきました。お兄ちゃんを見てみなさい、あんたと違って〜あんたとは〜。逃げ場のない車の中で延々と続く説教、わたしの人格否定、死にたかったです。
2020-02-07 19:03:07