「正義」の表現と社会 『TIGER&BUNNY』を考える

日本のポップカルチャーの中で、「正義」の概念は大きく変化してきた。 公共のための「正義」の表現が困難なこの時代を駆け抜けるヒーローとは。 (長い独り言のまとめです。内容は僕の妄想なので、あまり本気にはしないでください。ところどころで、宇野常寛氏の著書『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』を参考にさせていただきました。)
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おりあそ @oriaso

ここでも「正義」の根拠は個人的なものに過ぎません。にも関わらずタイバニのヒーローは公共の「正義」として成立しており、しかもそれがあまり嘘くさくなってはいません。これは何故でしょうか?

2011-10-03 04:39:32
おりあそ @oriaso

注目すべきは、タイバニの舞台はほとんど架空都市シュテルンビルトの市内に限られているという点です。実際、ヒーローたちの管轄はあくまでシュテルンビルト市の司法局にあるようで、都市の外でも同じように活動するわけにはいかないのでしょう。

2011-10-03 04:39:48
おりあそ @oriaso

この都市に居る限り、「シュテルンビルトの平和を守ってほしい」という点で人々の思いは一致します。タイバニのヒーローは、その活躍をシュテルンビルト市内に限るという条件をつけたことによって、個人の「正義」の公共化に成功したのです。

2011-10-03 04:40:04
おりあそ @oriaso

さらに特徴的なことは、タイバニのヒーローは徹底的に資本主義に従属させられているということです。ヒーローたちが警察の代わりに市内の凶悪犯罪に対応した様子は、視聴率至上主義のプロデューサーが仕切る番組“ヒーローTV”によって放映されます。

2011-10-03 04:40:19
おりあそ @oriaso

ヒーローには犯人逮捕や市民の保護などの結果に応じて点数が与えられ、ヒーローの点数ランキングが市民の話題となるのです。ところで最近、現実世界でもこれとそっくりな手法で大成功を収めている人たちがいます。そう、AKB48です。

2011-10-03 04:40:44
おりあそ @oriaso

いかに舞台をシュテルンビルト市内に限って正義を正当化したとしても、それだけではやはり弱い。というのは、市内レベルで出現する「悪」は大抵あまり巨大なものではなく、弱い「悪」と戦う「正義」というだけでは物語として貧弱なのです。ここで逆転の発想が登場します。

2011-10-03 04:41:00
おりあそ @oriaso

すなわち、強大な「悪」がいないなら、「正義」同士を競争させればいい。この発想は、ライバルが居ないならメンバー内で競争させればいい、というAKB48の商売戦略とよく類似していると言えるでしょう。

2011-10-03 04:41:12
おりあそ @oriaso

タイバニは以上のような面白い工夫を重ね、公共のためのヒーローを描くことが困難な時代にそれを成し遂げました。もしかしたら、新時代のヒーローものへの扉を開いた、偉大な作品となるかもしれませんね。

2011-10-03 04:41:31