- rokuharaminami
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(続き)大島中将や遊佐大佐が副馬でぜひ出ろと言ったが、西は応じない。そこで大島の命で今村が交渉にあたった。大島は「今村、お前は何時も西と酒を飲んで、気心も分っているのだから、何とかして西をウラヌスで出せ」と言い、今村は一杯飲みながら何だかんだと口説いて(西は)出ることになった。
2011-10-06 18:49:50【バロン西、金メダルへの道 その2】障碍はヨーロッパの倍あるくらいに太く、ヨーロッパ勢は反対して変えろと文句を言ったが、日本だけが「アメリカが飛ぶなら日本も飛ぶ」と言った。(馬が肢をぶつけた場合のダメージが大きくなるためヨーロッパ勢は嫌がった。)
2011-10-06 19:01:29(続き)アメリカも「日本がやるといってるのに、お前ら(自国の選手)がやれないことがあるものか」と言ってやることになった。それが影響してウラヌスは(障害が太すぎるので肢で落とそうとする事を断念し、結果)優勝した。 (ヨーロッパ勢の棄権も多かったらしい。)
2011-10-06 19:04:25ちなみに今村少佐もロスオリンピックに出場していますが、落馬して棄権したそうです。そして、引き続き帰国のさいに事件が…。こちらはバロン西の伝記、オリンポスの使徒 より。
2011-10-06 19:09:42帰りの馬匹輸送係には、今村が当ることになっていた。しかし、今村は有り金全部をお酒につぎこんでしまい、帰りのお金が無くなってしまった。それを見た大島中将が「ワシが出してやる」と言って出してくれたので事な機を得、無事に帰国できた。
2011-10-06 19:11:49【日本騎兵将校の悩み】 競技より社交に悩んでいたらしい。ヨーロッパ人は朝2時、3時ごろまでダンスに夜を徹しても、翌朝は平気で競技に出場することができるが、今村ら日本人は到底これに堪えられず、努めて夜会を断るようにしていた。
2011-10-06 19:24:19毎回夜会は断れない。たまに参加するけれど、ダンスが問題に。踊らなくてもどうにかなるが、心労の原因に。そして服装も悩みのタネ。正装は用意してなく、燕尾服はまだ作ってない。軍服は古く、乗馬用のキュロットはどれも膝が汚れていた。
2011-10-06 19:38:37今日紹介した今村少佐は馬術のためにイタリアに留学していました。陸軍からの俸給とは別に彼の愛馬の馬主がパトロンになっていたので、優雅な留学生活を送っていたとも。 優秀な騎兵将校ともなるとパトロンがついたのですね。
2011-10-06 20:53:53こんな豪快な今村大佐(最終階級)ですが、兄はいたって真面目な今村 均 大将。弟には航空科に進んだ 久 中佐と砲兵科の 方策 大佐がいます。お祖父さんは仙台藩の家老?で、奥羽越列藩同盟なんかの本にはチラッと名前がでていたり。
2011-10-06 20:58:14今村馬術 今村 安 http://t.co/Up19bS1w 今日の内容はこの本から。前半は技術的な内容ですが、後半に色々と面白いこぼれ話がのってます!
2011-10-06 21:11:35(http://t.co/VVLf9t2i)先日の記事から。「スポットライトで輝く勝者たち」Rudolf Lippert, Hauptman Ludwig Stubbendorf, und Freiherr von Wangenheim
2011-10-06 21:18:231936 Olympics Rudolf Lippert(1900.10.29.Leipzig - 1945.4.1.Bielefeld) Fasan Horse Equestrian http://t.co/o6nSR559 http://t.co/2wLX2NzL
2011-10-06 21:20:071936 Olympics Ludwig Stubbendorff (February 24, 1906, Turloff – July 17, 1941, Wismar) http://t.co/wwrYPZEj http://t.co/TVwuGTea ※-dorffでした
2011-10-06 21:27:321936 Olympics Freiherr von Wangenheim (Aug 20 1909 in Hannover – Jan 28 1953 in Stalingrad) http://t.co/sPkNwI6b http://t.co/fNuvH4W4
2011-10-06 21:39:58@rokuharaminami 池に落ちてもさまになっているというか(男爵、白いシャツが上品で 萌)。。。馬に乗っている将校さんは素敵ですね~♪
2011-10-06 22:13:24