「常滑の夫婦窯」ほか。

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加藤郁美 @katoikumi

さて今回の資料集めの大ビンゴは柿田富造氏「常滑の夫婦窯」1998。なんと!杉江製陶所夫婦窯(杉江家では双子窯)を調査した論文でした😆この段階でもう夫婦窯は非常にめずらしく、常滑に残るはこの一基のみだった由。「この夫婦窯は昭和46年頃クリンカータイルの生産を中止すると共に火もまた消えた」 pic.twitter.com/FiHIjdzL2H

2022-12-07 15:10:30
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加藤郁美 @katoikumi

窯の構造についてはリンデン先輩シャチョ八角さんに探究していただくこととして、じぶん的には「大正9年の『常滑案内』には、杉江製陶所の製品は機械製上下水道用土管・電話地中管・耐酸陶器・建築用陶器となっており、この頃よりタイルの製造もはじめたことが分かる」に興味津々! twitter.com/katoikumi/stat…

2022-12-07 15:23:52
加藤郁美 @katoikumi

大森一宏氏の「常滑窯業の発展と同業者組織」にも、「明治末期には、各工場でタイル試作がはじまっていた」p.79。21cm角のクリンカー石膏型も発掘され、杉江製陶所のタイル製造は大正12年より遡りそうに思う。大量生産が始まったのは帝国ホテルが契機でも、帝国ホテル前史が無視されすぎてきたのでは。

2022-12-07 17:39:03
加藤郁美 @katoikumi

こちらも面白かったでした。中野晴久氏「近代常滑の築窯業について」。常滑では大正期から昭和46年まで、山本組という専門的な築窯業者がいたという話。杉江製陶所の夫婦窯を設計・築窯したのもこの山本組だったと、柿田富蔵氏の論文にありました。 pic.twitter.com/01kNWGDdSY

2022-12-07 17:51:46
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加藤郁美 @katoikumi

明治の常滑の築窯職人は、農業の傍ら窯屋に要請されれば窯を築く、築窯に関する知識を持った窯仲間だったとのこと。築窯専業の山本組が出てきたのは、平地式石炭窯の普及により一戸単位でも築窯が可能になり、築窯需要が増加して専業者が必要になったと中野晴久氏「近代常滑の築窯業について」。

2022-12-07 18:00:54
加藤郁美 @katoikumi

常滑に最初に石炭窯をもたらされたのは、明治16年のことで、常滑美術研究所開設にも力を尽くした工部省大技長・宇都宮三郎の勧め。しかしこのときの鯉江方寿の試みは失敗。明治33年の陶器同業者組合が成功し、明治44年の調査で、常滑には16基の石炭窯があったとのこと(p.15)。

2022-12-07 18:11:47
加藤郁美 @katoikumi

多治見笠原町への石炭窯の導入は明治末で、笠原出身の山内逸三は大正15年、伝習生として就学していた京都の国立陶磁器試験所の石炭窯で巧みな焼成を行って周囲を驚かせ、その腕をかわれて宇野製陶所のテラコッタ工場長になってるから、常滑の石炭窯普及はずいぶん早かったんですね。

2022-12-07 18:15:39
加藤郁美 @katoikumi

『常滑窯業誌』1974に「大屋根」の項目がありました😃大屋根も石炭窯の産物で、それまで生地を外で天日干ししていたのが、石炭窯の余熱を利用し、窯のまわりや窯の上の2階3階を生地の乾燥室として作るようになった由。はじめはトタン葺きだったけれど、熱を逃さないよう次第に瓦葺きになったそうです pic.twitter.com/JUjfiNMnbQ

2022-12-07 21:10:20
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加藤郁美 @katoikumi

『常滑窯業誌』の「工場屋敷どり」図。杉江製陶所の工場屋敷どり図も作らねば!ですね😉 pic.twitter.com/hf14RT7wjw

2022-12-07 21:16:36
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