78歳のおばあちゃん、戦争体験と原発事故について思うところ。

戦時中の貴重な体験談のツイート。今の状況とかぶるところがある模様。残しておきたいツイートです。
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osakihiroko @hiroloosaki

私78歳、戦争勃発は8歳、大本営発表を聞いて成長した我が世代。今も政府と東電の大本営発表を信じてる人達が居る。これからの日本を背負う人達には,本当の情報を知らせて欲しい。手遅れにならないように、国が手を打つべき!東電に補償させるべき!大本営発表を信じるな。己の信じる道を歩め。

2011-10-09 19:03:20
osakihiroko @hiroloosaki

戦争勃発は小学校3年生。可愛い少女。田舎に住んでたので、最初の頃は恐い思いもせず、普通に通学していました。だんだん物がなくなり各家庭に、米穀通帳が配布され,配給制度になって来ました、米やさん酒屋さんタバコ屋さん、皆足りない。農家の人達はまだ,良かったけど何でも制限されました。

2011-10-09 19:28:42
osakihiroko @hiroloosaki

田舎の町に集団疎開の、子供達が来たのは私が小5の頃です。女の子の記憶は無く、都会の男の子って感じでした。近所のお寺さんに疎開し、夜は寂しかった筈です。家に遊びに来ては母が芋等馳走し、お喋りしてお寺に、時々親御さんが面会に来てました。親御さんがお礼に寄ったのも、覚えています。

2011-10-09 19:30:10
osakihiroko @hiroloosaki

続 疎開組も二つあり、児童集団疎開と親戚 縁故を頼っての家族での疎開組、疎開組は一つになって、行動してました。集団疎開の子達って、結構裕福な子達だったのでしょうか?皆お坊ちゃんに見えました?が:親が迎えに来て東京に戻り、爆弾直撃を受け一人亡くなった、と悲しい知らせもありました。

2011-10-09 19:30:59
osakihiroko @hiroloosaki

B29が空高く飛んでると、警戒警報、低空飛行は空襲警報。何処の家にも防空壕があり空襲警報が鳴ると、電気を黒の布で覆い,暗ーくして,防空壕に入りました、今思うとその方が危険かも。土手にも防空壕が掘られ、「いざの時は入るのよ」と、いつ来るか分からないB29。防空壕の中には色んな物が

2011-10-09 19:32:06
こうじちん @koujichin

福島の36万人対象の甲状腺検査が始まった。担当の福島県立医大鈴木眞一氏について調べてみると、「福島の子どもたちは食の安全が確保されている」など根拠の無いリスク軽視の発言が多い。あの悪名高い山下氏が副学長に就任した福島県立医大。検査結果の改ざんなど無いことを祈ります #hibaku

2011-10-09 19:35:13
遠藤 雅彦 @endo530

@shunsoku2002 リツイートありがとうございます。僕は彼に「福島に帰って来なさい。住民の除染が始まった。綺麗になったころに帰ってくるようじゃ、福島県民は良くは思わない。」という旨の言葉を言われました。そして福島県民に避難するように言うなと言われた。聞きませんけどね

2011-10-09 20:03:26
osakihiroko @hiroloosaki

震災や不慮の事故によって、家族を失った人々のそばに いつも寄り添って下さい。心がいやされ、力づけられます様に::

2011-10-09 21:19:56
ほびっと @hobikichi

欧州から消える日本食品、原発事故の余波続く  :日本経済新聞 http://t.co/kcN28jNt

2011-10-09 21:35:44
osakihiroko @hiroloosaki

戦時中の防空壕は、庭の隅に何処の家でも掘ってました、今みたいにマンションとか、アパートなんてない時代。持ち家のない人でも、一軒家の借家でしたから、都会のアパートの人達は、共同で防空壕を掘ったはずです。ロウソク、提灯はよく使ってました。夜自転車に乗る時は、提灯を片手に、危ないよね

2011-10-10 11:03:35
osakihiroko @hiroloosaki

学校にも勿論防空壕がいくつもありました、でもあまりは入ったた記憶がなく、屋根がなかったので、もっぱら遊び場、洋服も白は目立つので、家で染め粉で、同化色に染め着たのです。今思うと屋根無し防空壕なんて、焼夷弾一発で、大変な事になったはずですよ田舎だったので、そんなに危機感はなかった

2011-10-10 11:21:08
osakihiroko @hiroloosaki

敗戦後も防空壕の跡は,何処でもしばらく残ってました。学校でも家でも、窓と云うか、ガラスで出来てるものは、紙に糊をべったりつけ、バッテン,シマシマ等で糊づけ、壊れた時に,怪我をしない様に紙を貼り、電気の傘は黒い布が,何時でも下せる様に準備、しょっちゅう停電。あるのはラヂオのみ。

2011-10-10 11:42:48
osakihiroko @hiroloosaki

続 ラヂオしかない時代に流れて来る「大本営発表」勇ましい軍歌の後に、強い、負けない? 大本営発表があるのです、神風日本。敗戦前日まで。。大人で気がついて口にすると、多分憲兵に逮捕?のような、時代。皆だまされてました。もうだまされてはいけません。自分で選択して、より良い道を::

2011-10-10 12:04:58
osakihiroko @hiroloosaki

私8歳の時、戦争勃発。普通に学校へ行ってました、関東生まれ。最初の頃は空襲もなく、学校では、防空演習をしてました。体育の日は男子は竹槍で,女子は長刀の練習。相手をやっつける?私なぎなたは好きでした。バケツリレー、焼夷弾が落ちて,火事になった時に消す為です。今考えると?でしょう?

2011-10-27 13:33:41
osakihiroko @hiroloosaki

続 子供達は皆真剣でした,竹槍や なぎなたで大丈夫、いざと言う時には日本には,神風が吹いて敵をやっつけられる!と思ってたのです。毎日ラジオからながれる、軍歌の後の勇ましい大本営発表! 朝から晩迄、、皆それを信じてお国の為にと、頑張って生きてきたのです。

2011-10-27 13:45:36